岩井田治行の『くまのアクセス上手♪』

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本来マンガってこういうものかもしれない♪

あさドラ!

浦沢直樹 小学館 ★★★★ 応援します♪

 

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1959年に日本を襲った伊勢湾台風から始まる名もなき一人の女性の一代記…

ということだが…

どうもこの台風の正体が事実と違うようなのである。

 

タイトルから朝の連続テレビ小説(通称朝ドラ)をベースにした物語に見えるが、

日本を襲った台風の正体が、なんと『怪獣?』らしい。

 

日本を襲うこの自然災害を相手に少女が日本を守る?

なんとも荒唐無稽・驚天動地の物語??

浦沢直樹は怪獣世代ということで、こういう発想なのだろうが

どんな展開になるのか先が読めないという期待感がある。

 

構想7年と帯にあるが、

浦沢直樹は2013年にビッグコミックに『怪獣王国』という短編を発表している。

内容は文字通り奇想天外なマンガである。

6年前の作品なので、このときすでに『あさドラ!』の構想を得ていたことになる。

浦沢マンガは長崎尚志氏とのコンビで緻密でリアルな長編マンガ

という新ジャンルを開拓したが、

この『緻密でリアル』というのはどうも長崎尚志の資質らしく、

浦沢直樹の本質とは違うのではないかと思う。

 

『怪獣王国』を収めた短編集『くしゃみ』には、

『ヘンリーとチャールズ』という動物マンガが収録されているが、

浦沢氏自身はこのマンガを最高傑作!とあとがきで自画自賛している。

余程気に入っているのだろう。

子どもの頃よりアメリカのTVアニメや

奥様は魔女』などのコメディが大好きだったらしい。

 

われわれは青年コミック作家の浦沢直樹というイメージにとらわれているが、

実はそのリアルな絵の裏側には、

子どもマンガの持つ『自由な発想』というものが脈々と生き続けている気がする。

浦沢直樹は劇画家ではなく、あくまで『マンガ家』なのだろう。

 

浦沢氏が心酔する手塚マンガから進化・派生した現在の日本マンガは、

コミックと呼ばれる頃から、その描写(話と絵)がかなりリアルになった。

昭和30年代のマンガに比べれば、それは『写実的』と言っていい。

そもそも手塚マンガは、初期のディズニーに大きな影響を受けているため、

絵柄が丸っこく、ゴムのように伸び縮みするという特徴を持っていた。

内容も子ども向けが中心で、夢のあるワクワクする作品が多かった。

手塚治虫の言葉を借りれば『落書き精神』こそがマンガの核だった古き良き時代だ。

 

それが『劇画』の出現によって表現の幅が広がり現在に至るのだが、

傾向としては少年マンガも昔に比べれば、

絵もお話も『写実的』な傾向があり、落書きとはほど遠い。

 

落書きと言えば手塚マンガの『ヒョウタンツギ』や『おむかえでごんす』などだが、

こういう『落書きキャラ』を描けるストーリーマンガ家はもういないだろう。

落書きキャラが違和感なく溶け込める作風というものが絶滅してしまったのである。

 

浦沢マンガにも、『ヒョウタンツギ』を受け入れる場所はない。

かなり柔軟性があり、荒唐無稽な物語を持つ浦沢マンガでさえ、

『落書き絵』とは程遠くなっている。

しかし浦沢直樹は、

そうした手塚マンガの落書き精神を継承しようと試みているフシがある。

 

以前、NHKの『漫勉』という番組で、五十嵐大介氏との対談があった。

五十嵐氏が「手塚マンガのヒョウタンツギは、

ボクのマンガに登場するとおかしいけど『ブラックジャック』では成立している。

そういうのやってみたいですね」と語ると、

浦沢氏が「手塚絵の自由度っていうのは、もう一度復権したいですよね!」

と応えていたのが印象的だった。

 

浦沢マンガも五十嵐マンガも、

手塚の言う『落書き絵』とはほど遠いスタイルを持ちながら、

この2人が手塚の『落書き絵』に憧れをもっているのが面白い♪

 

絵がリアルになるとその分、昔の子どもマンガが持っていた『自由度』が失われる。

そもそもマンガが簡単にテレビドラマや劇場映画になってしまうこと自体、

危惧すべきことなのかもしれない。

 

手塚マンガの主要なキャラクターをそのまま演じられる俳優はまずいない。

ヒゲオヤジもお茶の水博士もタワシ警部も生身の人間ではなく、

マンガの中にしか存在することができない。

まさに『マンガの絵』でしか表現できない特性を持っている。

日本を代表するマンガ作家である手塚治虫作品の映像化がひとつも成功しない理由が

そこにあるのだと思っている。

マンガのキャラクターを無理なく生身の俳優が演じてしまうことは、

お話さえあれば、マンガ絵によるビジュアル表現はなくてもいい。

そう言えなくないだろうか?

 

他愛もない子どもマンガの絵がコミックという新しい表現に変わり、

その多くが写実的なものに変貌したとき、荒唐無稽な物語を描くには、

かなり現実的な『理屈』が必要になってしまった。

それがマンガ本来の『自由度』を非常に窮屈なものにしているのかもしれない。

晩年、藤本弘藤子・F・不二雄)氏は、その不自由さを嘆いていたようだ。

 

今思うとマンガ批判の嵐が吹き荒れていたころ、

その批判の主な理由だったマンガの持つ荒唐無稽さ(デタラメさ)こそが

マンガというものの『本質』だったと思えてならない。

マンガを文学に対抗できるほどの芸術の域にまで高めるという崇高な行為は、

マンガ表現をひたすら退屈なものにするだけのただの徒労だったのではないか?

少なくとも浦沢直樹五十嵐大介の両氏は、

そのことを強く意識しているように見えるのだが…

 

浦沢氏の絵が手塚マンガのように丸っこくなることはないだろうが、

浦沢氏は本来マンガが持っていた『自由度』をその絵と物語によって、

新しい形で復活させようとしているのかもしれない。

この『あさドラ!』にはそういう期待感があり、

その作風には、ある種の品の良さを感じる。

 

ヒョウタンツギ』や『おむかえでごんす』は登場しないにせよ

(ぜひ登場させてほしいが♪)

現在の写実方向に偏った日本マンガの表現をその画力と物語の構成力で、

マンガは本来自由なものなんだ!ということを読者に示してほしい。

 

浦沢マンガは本来娯楽であり難解さはなく、どの作品もわかりやすい。

そのわかりやすさで『リアルな自由度』というものを

この『あさドラ!』で体験できるかもしれない。

 

がんばれ、浦沢直樹

最後(全20巻かな?)につじつまが合わなくなっても応援します!!

 

 

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