岩井田治行の『くまのアクセス上手♪』

興味を持った本と映画のレビューとイラストを描く♪

アニメ『うぇぶぁんげりうぉ~ん♪』

 

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序

EVANGELION :1.0 YOU ARE (NOT) ALONE

2007年 日本/庵野秀明 摩砂雪 鶴巻和哉監督作品

★ よくわからない!

 

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★ うぇゔぁんげりうぉ~ん ★

まず、名前がスゴイ♪ 『ヱヴァンゲリヲン』である!

漢字で書くと『円盤蹴音~♪』

(そんなボケはええねん!)

 

ヱヴァンゲリヲン』初体験である♪

 

TV版の放映は、1995年というから、ずいぶん昔の作品だ。

TV版は『エヴァンゲリオン』で、 劇場版が『ヱヴァンゲリヲン』らしい。

ヱヴァンゲリヲン』→『うぇぶぁんげりうぉん』と読むのか?

実に何とも、あざとい表記である。

 

今回、私が観たのは新劇場版の第一部『序』だ。

ただ、『新劇場版:TV版』とあったから、TV用のダイジェストなのか?

まぁ、ダイジェスト版でも面白いものは面白いはずだと観始めたが…

 

舞台は2015年の地球だが、どうも架空世界のようだ。

使徒』と呼ばれる謎の物体が、いきなり現れて暴れる。

『おいおまえ、どっから来た~?』と、聞いてる場合じゃない!

それを国連?のナントカ機関が迎え撃つ。

 

このナントカ機関が所有する汎用人型決戦兵器がうぇぶぁんげりうぉんだ!

この『汎用人型決戦兵器』というのが、よくわからない。

 

『汎用』なんだから、いろいろ使えるぞ♪

さらに『どうやって動くの?』などと聞いてはいけないらしい。

使徒』をやっつけるには、うぇゔぁんげりうぉん しかないのだ!

『うぇぶぁんげりうぉん』→ え~い、言いにくい!

 

使徒』って、キリストのお弟子さんのこと?

十二使徒』って言うぐらいだからね。

では、キリストのお弟子さんが人類を襲うのか?

これはキリストが磔(はりつけ)にされた復讐をするお話なのか?

どうやって復讐する? 果たせなかった夢を果たす?

世界中をクリスチャンにしちゃうとか?

では、仏教は滅ぶのか? 他の宗教もみんな滅んで、アーメンか?

 

ネットで『ヱヴァンゲリヲン』の世界を調べると、かなり複雑である。

それなりに考えられているが、要はゴチャゴチャしているだけだ。

そこに整合性はなく、あざとさだけが光る。

 

この手のお話は、『わかりにくく作る』のがポイントのようだ♪

何層にも謎を重ね、決して解決しない。解決する気がない。

 

解決しなければ、様々な経済効果を持続できる♪

グッズが売れ、ファンが喜び、関連企業が儲かり、作者も儲かる♪

こんないい循環はない。だから、『わかりにくい』方がいいのだろう。

 

ヱヴァンゲリヲン』を観たが、よくわからない。

そういう人は、どうすればいいのか? 簡単である♪

 

疑問点をネットで質問する→ ファンが懇切丁寧に教えてくれる

エヴァンゲリオンがさらにわかる動画』で検索→ 約十四分でわかる

そういうシステムになっている。

 

だから、観てわからなかった人は、ネットでどんどん聞けばいい。

聞くのが面倒な人は、約十四分の動画を観れば、なんとなくわかる。

何やら、紀元前 四十億年ぐらいから始まるぞ♪

(ちなみに、動画はユーザーが勝手に作ったものらしい…)

 

オリジナルのTV シリーズは、結局まとめられなかったと聞く。

紀元前 四十億年からの話を、二十六話でまとめられるのは神だけだ。

それを劇場版四部作として再構成し、完結するという。

この神をも恐れぬ無謀な企てが、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』らしい。

 

しかし…

まとまらなかった時点で、『まとまらない作品』として完結なのだ。

神様にしかまとめられないお話を新展開させてはいけない。

どうせなら神の許しを得て、初めから創り直すべきである♪

この作品のスタッフは、そういう知恵の木の実を食べていないらしい。

 

旬の過ぎたものは、心静かに懐かしむ方がいいのだが…

完結すると価値が下がるので、新たな経済効果を狙うってか♪

いいなぁ~ 儲かって♪ この罰当たり者が~!

 

★ しゅじゅぃんくぅぉ~(主人公) ★

さて…

このヱヴァンゲリヲンは、人間が乗って操縦する。

そして操縦するのが、なぜか14歳の少年少女である。

義務教育の最中に謎の物体『使徒』から地球を守らねばならない!

無茶だ! そんな課外授業はない!

 

なぜ無茶をするかというと、『適合』というのがあって、

誰でもがヱヴァンゲリヲンを動かせるわけではない? らしい。

しかし、中学生に地球を守らせるのはど~よ?

 

ど~よ? と言われても他に策がないらしい。

本編では、『適合』の理由が物語として語られないのでわかりにくい。

だからまずここで、何人かの観客が置いていかれる♪

 

なぜ『適合者』しか操縦出来ないのか?→ ネットで聞いてみよう♪

 

ヱヴァンゲリヲン』の主人公 碇(いかり)シンジは、

従来の『少年戦士』というヒーローではなく、普通の中学生である。

 

しかしある日、シンジ少年は(私の聞き違いでなければ)

そのナントカ機関に『セッシュウ』される。

確か『セッシュウ』と聞こえた。

漢字で書けば『接収』と書くんじゃないのか?

 

『接収』とは、国や軍が個人の所有物を没収することだ。

だとすると、これは大変な世界である。私は眼が点になった!

 

『接収』だ。水墨山水画の『雪舟』ではない。接収!

それでは人間ではなく『物』である!

 

そう、大人の都合で中学生が『物』として戦争に駆り出されるという

実に何ともムチャクチャなお話なのである。

それにしても、なぜ適合者が『14歳の子ども』なのかわからない。

ここでさらに置いていかれる人が増える♪

 

『14歳』に、どんな意味があるのか?→ ネットで聞いてみよう♪

 

ともかく、

使徒』とは何なのか? なぜ人類を襲うのか?

この謎めいた展開にワクワクする♪

これからいったいどうなるのだろう?

 

 どうなるのだろう? → ネットで聞いてみよう♪

 

この少年少女らが、『使徒』との戦いの中で、

悩み傷つきながら成長していくところが新機軸らしい。

しかし、思春期の子どもが戦争に駆り出されたらどうなるのか?

このアニメの真骨頂はここにある!

つまり、『どうなるのか?』を『リアル』に描こうというのだ。

さて、どうなるのか?

 

どうなるのかって… ヘタすりゃ天国だ!

命が助かっても、取り返しのつかない後遺症が残る。

おそらく、この子らの一生は台無しだ。リアルに描けばそうなる。

 

では、そうなっていくのかというと…

シンジ少年は、何と! ヱヴァの操縦席に自分の居場所を見つけてしまう!

他の子どもたちも同様であるって、ど~よ?

 

子どもが、ヱヴァの操縦席に自分の居場所を見つけたら大変だ!

戦闘に喜びを見いだす子どもなんて異常である!

まともな子どもなら操縦席には座らない!

まともな大人なら操縦席には座らせないだろう、絶対に!

 

しかし、世の中に『絶対!』はない! しかも、戦時下という設定だ。

子どもたちは、割と簡単に操縦席に座り、

大人はあろうことか、それを後押しするって、ど~よ?

 

ど~よ?って、ぜんぜんリアルじゃないだろう!

当然だ。本当にリアルに描いたら、アニメではなくなる。

やるならそこまでリアルに描くべきか。描かない中途半端感がいいのか。

とにもかくにも、物語は『リアルらしく』進んでいくのだ。

この『らしく』というところがインチキ臭い。

 

戦闘員となる少年少女は、消耗品である。部品と言ってもいい。

子どもたちは健気(けなげ)にも、地球を守るために戦うのだが、

大人の都合にふりまわされるだけである。

ひどいじゃないか!

 

観客の子どもたちは、こういう場面を観て辛かったのだろう。

『かっこいい!』けど『これ、ヤバくね?』みたいな。

これはある意味、児童虐待アニメである。

 

子どもは、そんなに急いで大人にならなくてもいいのだ!

まともな大人になりたければ、出来るだけ長く子ども時代を過ごすこと。

そうすれば『頭でっかち』にならなくて済む♪

大人の言いなりになって『操縦席』に座る必要などないのだ。

 

しかし今の子どもは、この『長く子ども時代を過ごす』ことが出来ない。

今の大人にそんな余裕はないからだ。

はやく大人になれ! 独立しろ! 稼げ! と子どもを急かす。

主人公の碇シンジと父親ゲンドウとの確執は、その縮図のようだ。

実に何とも救いのない世界である。

 

そういうリアルらしき描写が、戦闘シーンと交互に描かれる。

しかし、その『リアル』が感傷的、説明不足で説得力がない。

 

シンジ少年がヱヴァンゲリヲンの操縦席に座るまでの物語を

この第一部で一時間ぐらいかけて描けば、少しは納得できるのだろうが、

そこをじっくり描くほど、作者は暇ではないらしい。

かと言って、『少年戦士』という従来の設定には興味がないようだ。

 

『リアル』でいくのか『活劇』でいくのか、どっちやねん?

この二つのバランスが、実に中途半端で落ち着かない。

見せ場である『使徒』との戦いも、『戦う理由』がわからない。

 

ここら辺で、さらに置き去りにされる人が増えていく。

今さら『TV シリーズを全部観てくれ!』と言われても困るので、

『置き去りバスツアー』は、徐々に満席になっていくのだった♪

 

★ マンガってなんだ~ ★

どんな物にも役割分担というのがあって、

マンガやアニメは『子どもの空想世界』を描くことに秀でている。

空想世界は映画や文学でも描けるが、

マンガやアニメは、瞬時に子どもたちと同化できるという特性がある。

だから悪影響もあるが、きちんと創れば良い影響力の方が大きい♪

 

荒唐無稽・現実逃避と言われようと、それが漫画の王道と思う。

『リアル』という変化球などいらないのではと。

 

そもそも、アニメの声優の声で『リアル』な表現は無理。

本物の俳優には、かなわないだろう。

それに、やたらと難しい用語が出てくるから安っぽい。

活動限界、形象崩壊、実証評価? 思考形態、的確処理 etc etc …

『四文字熟語大会』みたいだ♪ 漢字の勉強にはいいぞ♪

 

今はこういうマンガやアニメが増えている。

『子ども向け』という基本を忘れた作品が氾濫している。

と言うより、漫画の基本が『子ども向け』と考える人がもういない。

すべてが『大人びて』いる。

われわれはそういう世界に住んでいるのだ。

 

ヱヴァンゲリヲン』は、従来のアニメ表現を変えようとした。

少なくとも、『変えようと試みた実験作』かもしれない。

だから、このアニメが社会現象になったというのも、うなずけるのだ。

『お子さま向け』という位置に甘んじていたTV アニメが、

大人たちに『考察』される対象になるとは誰も思わなかった。

 

ここでいつも思うのは、

なぜ大人たちが興味を示すと、マンガやアニメの価値が上がるのか?

という素朴な疑問である。

 

それは多分、世の中を支配しているのが大人だからだろう。

子どもが支持するだけでは価値はないのだろうか?

価値はあるだろうが評価はされない。

決定権は常に大人にある。

『大人の鑑賞に耐え得る作品』が『優れた作品』とは限らないが、

大人が自分の居場所を確保するためには必要なものだ。

大人はズルイのである。

 

大人たちが、こういう『ズルさ』や『お金儲け』に浮かれている時、

大人とは全く違うアンテナを持った思春期の子どもたちの感性が、

本能的に感じ取った彼らなりの『リアル』な世界。

TV版『エヴァンゲリオン』とは、そういう作品だったのだろう。

子どもたちには、かなりショッキングな作品だった。

『グサッ!』っと、胸に突き刺さるものがあった。

観ていると、そういう雰囲気がある。

 

『14歳』という年齢には、' 80年代後半から、' 90年代にかけて起った

中学生による犯罪などが反映されているかもしれない。

そういう世の中の動きに、作者の感性が反応した結果なのか?

その時代に制作されたのだから、何らかの影響はあったのだろう。

 

しかし…

アニメを超えた『何かスゴイもの』が生まれたとは思えない。

このダイジェスト版を観る限り、

庵野秀明監督は、人間を深く洞察するより、メカの方が好きらしい♪

『メカ及び戦争おたく』ではないかと推察する。

別にそれでいいと思う。好きなんだから。

実際、よく出来てるのはメカとアクションだけ。

特にテーマなどはなく、あるのは技術という感じだが、

何か深遠なテーマが潜んでいるように思わせるというあざとさが

この作品の核なのだろう。

だから、あまり真に受けてのめり込まない方がいい。

 

★ 子どもへの愛なき世界観 ★

どういう意図で、TV『エヴァンゲリオン』を制作したかは知らないが、

1900年代に制作されたこの作品は、図らずも現代を予見していた。

つまり、子どもや若者を個性ある人間として扱わない、

大人の都合で利用し、不要になれば切り捨てる。

若者に救いの手を差しのべない。育てない。励まさない。助けない。

 

つまり、これは『大人たちの愛』が欠如した現代社会そのものである。

『愛』というとキザだが、子どもたちを気遣う視点がない。

新劇場版『ヱヴァンゲリヲン』にも、それは受け継がれているようだ。

 

ただ、この作品で描かれる『リアルらしきもの』には、

アナログ時代にあった、生々しさがない。

それでも若い観客には、十分『リアル』に観えるのだろう。

戦闘に駆り出される少年少女たちは、大人に操られ反抗出来ない。

アニメで、こういう『大人社会の理不尽さ・非情さ』を観ることは

とても『リアル』に映るはずだ。

 

しかし、' 60年代の『怒れる若者』のように、

主人公を含む少年少女が『大人たちの理不尽さ』に立ち向かうという

外へと向かうエネルギーに満ちているわけではない。

非常にナイーヴで弱々しい。

今の香港の若者とは正反対なのだ。

 

シンジくんたちは、ただ個人的に悩むだけである。

思春期の子どもたちが、自我に目覚めていく『個人的なお話』と、

一大叙事詩的な宇宙規模の基本設定(裏で進行する謎の『ナントカ計画』)

この二つが、どこでどういうふうにシンクロするのか?

それが観客を魅了する『ヱヴァ』の最大の見せ場(謎)なのだろうが、

この二つは永久にシンクロせずに終わるはず。

謎を解いてしまうと、この世界は成り立たないという構造だから。

 

だから今日も、この『置き去りバスツアー』は予約だけで満席らしい。

このツアーへの参加者が後を絶たないところは、本編以上の謎だ!

でも、解き明かされない世界というのは案外魅力的かも。

 

愛があっても、人間は不完全な生きものだから

愛を補うのが『ナントカ計画』でなければこの作品は救われない。

その人間を神様がナントカするという発想が『頭でっかち』である。

神様は人間を裁いたりはしない。自由にやり! 言うてます。

クールなアクションに惑わされてしまうけど…

このままずっと児童虐待が続くのかと思うと、心痛むことは確か。

 

『カッコイイ!』けど、のめり込まない方が『健全』かも。

それが『ヱヴァンゲリヲン』系のアニメだと思う。

人間や社会の歪みについて深く知りたければ、小説を読む方がいい。

このアニメで人間や社会を知ろうとすると頭でっかちになる。

特に子どもは作品と距離を置く。のめり込まない。

そういう付き合い方をすれば、親が心配するほどのものではない。

娯楽として観れば及第点だと思う♪

 

ただ…

この手のアニメが社会現象になる社会を作ってしまった大人たちは、

自らを反省するために『ヱヴァンゲリヲン』を観るべきかも。

 

若い人は『個』を大切にするべき。

決して大人の都合で動く『部品』にならないでほしい!

そのためには何をどうすればいいのか。

そういうメッセージは… ない!

この作品にあるのは『テーマ』ではなく『技術』だから。

 

やはりアニメというのは、子どもの文化として進化するのが本来で、

こういうアニメがもてはやされる現代社会って、ど~よ? と思う。

それに対する答えを、この作品が示してくれるとは思えない。

それを示すのは漫画の役割ではないと思う。

 

この第一部は、ラストのヤシマ作戦が面白かった♪

一言で言えば…『電気の無駄使い』だが。

その電気代は全部国民が負担するというリアル。

使徒』を倒すには、金がかかるということらしい。

そういうところは妙にリアルだった。

 

 

ネット上の『ヱヴァンゲリオン新劇場版:序』の画像を流用させて戴きしました 感謝!

 

 

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