いつものように、何気にアマゾンサーフィンをしておりますと、
やたら『鬼滅の刃』という作品が表示されるのです。
これは一体なんなのだと興味が湧きました。
少年ジャンプに連載中の少年漫画らしい。
またジャンプかよと、ジャンプ漫画と相性の悪い私は思ったのだが、
食わず嫌いはいけないなと1巻を買って読みました。
★
まず、絵がヘタ。
これでもプロかというほど下手ではないが… まぁ、ヘタである。
しかし、前回の荒木さんの漫画術の本の中に、
絵が上手いからといってその漫画がヒットするとは限りませんし、
逆に「なんで、こんなに下手な絵なのに人気が出ているんだろう」
と思うような漫画もあります(P.154)
という言葉が載っています。
荒木さんはこの謎を究明しようと色々考え(よ~考えるお方やなぁ…)
では、「下手でも売れる」漫画の絵は
「上手なのに売れない」漫画の絵と何が違うのか。
その秘密は、作者が誰かすぐわかる、ということです(P.155)
という結論にたどり着くのであった。
吾峠呼世晴の『鬼滅の刃』は、まさにこれに当たる。ピンポーン!
達者な絵ではないが、人マネではないのである。
『進撃の巨人』も第1巻の絵は酷かったが、誰の絵にも似ていなかった。
お金を取るプロなのだから、絵は上手いに越したことはないが、
表現というのは技術ではなく、その人独自の世界を見せることだろう。
吾峠呼世晴は絵が救い難く下手くそだが(そこまで言わんでええよ)
一見して、今風の日本漫画のスタイルとは異質なのである。
ぶっちゃけ、では今風の絵を描いてみろと吾峠呼世晴に言っても描けない。
技術のある人には描けちゃうものが吾峠呼世晴には描けない。
つまりそれほどに絵が下手なのだ(強調せんでええから!)
では下手な人はどうやって絵を描くか?
これはもう自分に描けるように描くしかない。
そこで吾峠呼世晴は、
自分に描ける絵を描いたのだが、残念ながら下手な絵だった(コラコラ!)
下手でも受けるというのはどういうことだろうか?
それは魅力的ということに尽きるだろう。
吾峠呼世晴の絵は、私にとってあまり魅力的ではないのだが、
これが受けるというのはわかるような気がする。
吾峠呼世晴は、自分の絵が『達者』でないことを恐らく自覚しているだろう。
だからその自覚に抗うことなく受け入れることを起点にしたのだ。
下手でも自分の絵を描こう!という覚悟で。
それはプロとしての自覚である。
その意味で、吾峠呼世晴はプロなのだ。
私の好みの絵ではないが、
『鬼滅の刃』第1巻には、ハッ!と目を惹く絵がいくつかある。
★★
まず注目するのは髪の毛の描き方だ。
主流かどうかは知らないが、
現在多く見かける髪の表現法は、筆ペンによる質感に
キューティクルの輝きを白地で抜く方法だと思う。
これはちょっと技術を要する技法で、吾峠呼世晴には無理だった(コラ!)
そこで吾峠呼世晴が編み出した(かどうかは知らないが)方法が、
黒地に髪の質感を白く抜くという方法である。
こういう髪の毛はあまり見ないと思う。
このお話は、舞台を大正時代に設定しているが、
その頃の版画のような雰囲気を持っているのだ。
もちろん、吾峠呼世晴がそこまで計算して描いたとは思えない。
やはり『オリジナル』なのだろう。まぐれかもしれない(コラ!)
しかし、これがまぐれでない証拠がある。眼だ。
さあどう描く、吾峠呼世晴?
出た! 渦巻き!
渦巻きの眼というのはユニークではないか!
普通の眼を上手く描けちゃう人には思いつかないだろう、渦巻き眼!
さらにすごいというか健気というか… 着物の柄の描き方。
今はもうスクリーントーンで無限に表現できる時代だ。
吾峠呼世晴はどう描いたのか?
うっ、手描き!
おそらく、雲と波頭? だろうか…
でも、よ~く見るとどことなく健気で味がある。
技術を超える『味』がある。吾峠呼世晴、立派だ!
★★★
私は決して吾峠呼世晴の悪口を書いているのではない。
(ずいぶん書いている!)
ただ思うまま、素直に書いているだけだ。
(素直に悪口を書いている!)
『鬼滅の刃』は、ジャンプ久々の大ヒット作らしい。
荒木さんは、漫画を漫画たらしめているものは絵だと断言している。
しかも、その絵は下手でもいいのだと。
大事なのは『自分』があるかないかなのだ。
その意味では、吾峠呼世晴は自分の世界を持った漫画家と言えるだろう。
主流の絵柄と距離を置く吾峠呼世晴の絵は、
しかしよく見るとジャンプらしい過激さと無縁なのがわかる。
とても素朴で優しい雰囲気を持つ絵柄なのである。
理不尽がまかり通るこの時代に、多くの人が求めるものは何だろう?
それは過激さではないのだろう。
多くの読者はそこに惹きつけられているのかもしれない。
絵のことだけ書いてきたが、物語にも注目したい。
まず第1巻の第1話だけ読めばわかることがある。
とても読みやすいし、物語に無理のない整合性がある。
ずいぶん苦労してネームを仕上げているのだろうし、
編集のフォローも大いに役立っているとは思うが、
吾峠呼世晴の語り部としての資質に裏付けられたものが大きいはずだ。
期待の新人かどうかは知らないし、ジャンプ漫画はどうでもいいのだけど、
こういう素朴な優しさに満ちた娯楽活劇が受けるというのは、
それだけ時代の不幸を反映しているとも言える。
同時に、その支持の多さに救いを感じるのだ。
ちなみに、『鬼滅の刃』は2巻まで買って読んだ。
吾峠呼世晴の下手な絵に3巻まで付き合う気は今のところないが、
興味のある方は読んでみてはどうだろう。
『鬼滅の刃』連載の前に描いた短編が『吾峠呼世晴短編集』として出版されている。
試し読みで冒頭部分を読んでみたがなかなか面白い。
独特の絵世界がすでにそこにある。
がんばれ、吾峠呼世晴!
(どうでもいいが)
新しいジャンプ文化の担い手になれ!
(なれるものなら!)
この記事は、
「『鬼滅の刃 絵が下手』でアクセスが増えた件」に続きます。
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