岩井田治行の『くまのアクセス上手♪』

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だ~んだ~ん、だんだん♪

 

 

アキラ

AKIRA

1988年 日本/大友克洋監督作品

満足度 ★★★ 今観ると古さを感じる

 

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いつの時代にも最先端を行く作品がある。

ニューウェーヴというらしい。

新しい波である。

 

♣︎

大友克洋の『アキラ』は、80年代のニューウェーヴだった(過去形)

創られてから30年以上経つのだから過去形は当たり前だが…

それにしても、今観ると古いなぁ~と思う。

 

ニューウェーヴというのはスタンダードにはなり得ないのだろうか?

少なくとも大友マンガは、ビートルズのようにはならなかった。

過去になってしまった。

80年代のマンガシーンだけでなく、若者文化に大きな影響力があったのに…

 

時代の先端を行く作品のいくつかは、その時代が終わると役目を終える。

久しぶりに観た『アキラ』は、そういう作品だった。

2時間が少し苦痛だった。

 

元々大友マンガは異端であり、マニアックな作品である。

非常に狭い世界でのカリスマ性が売りだった。

それは今も多分変わりないと思う。

 

映画版『アキラ』は、スケールが大きいわりに世界が限定されている。

意外に小さな世界を描いているんだなぁと。

第3次世界大戦後の東京を舞台にしているが、箱庭のように小さな世界だ。

 

観客もかなり限定される。

この作品のノリは『若者感覚』だ。それも男子の感覚である。

女子も出てくるが、ノリはアキラかに男子だ。

男子学生の学園生活のような『ノリ』がある。

多分、古さの原因はこれだろう。

 

こういう作風は、昔のマンガにはなかった。

マンガの主人公は、小学生から中学生,高校生、アウトロー、大学生

サラリーマンという形で世界を広げてきた(少女ものは除く)

 

大友マンガがアンチ手塚マンガと言われたのは、

その画力だけでなく、この若者感覚が顕著だったからだろう。

手塚先生はこれをロック世代と認識していたようだ。

 

『アキラ』の世界に女子はいない。男子だけの世界である。

放課後、男子生徒が仲間だけの世界に没頭して遊んでいる。

そんな感じがこのアニメの随所に観られる。

 

さらに、滑稽な宗教や反政府ゲリラ、機械と人間の一体化や超能力という

マニアックな素材がてんこ盛りだからエグイことこの上ない。

個人的には、鉄雄の変身シーンが好きなんだけど… キモイよこれ♪

こういう感性は日本人の好みから外れるのだろうか。

 

そういうキモイ感覚と学生のノリで第3次世界大戦後の世界を描いている。

何しろノリが男子学生のそれだからスケール感がいまひとつだ。

大友克洋の画力をもってしてもである。画力はスゴイ!

 

もともと異端である大友マンガにとって、

それは欠点ではなく『アキラ』の持ち味となっている。

ただこの味は限定される。口に合わない人が必ずいるだろう。

その味で世界を相手に渡り合い、日本マンガを知らしめた功績は大きい!

やはり、傑出した才能と言える。

 

手塚マンガ世代の多くのマンガ家は『子ども』にこだわった。

そしてそういうマンガ家は、そのほとんどが淘汰されてしまった。

藤本弘藤子・F・不二雄)以外は。

それが日本マンガの不幸だと嘆く世代は、60歳以上になっている。

 

大友克洋は初めから子どもには関心がない。

自分と等身大の若者感覚でマンガを描き始めた。

子ども文化ではなく若者文化としてのマンガの地平を切り開いた。

出発からして手塚マンガとは異質なのだ。 

 

♣︎♣︎

さて、この作品で注目すべきは超能力である!

かつてこの分野の開拓者は石ノ森章太郎だった。

超能力というのは、手塚治虫には描けないスタイリッシュな題材なのだ。

石ノ森章太郎のそれをさらに進化させたのが大友マンガである。

唯一の違いは、石ノ森の表現法が『キザ』なのに対して、

大友のそれは『リアル』と『重量感』だった。

 

現在の映像表現における超能力の表現法は、大友作品がオリジナルだろう。

マトリックス』の映像表現も『アキラ』がベースのはずだ。

 

最小限の動きで大きな力を表現するという技法は大友氏の発明だと思う。

ブルース・リーのヌンチャク同様、今や超能力の表現法はこれが定番だ。

 

心で念じるだけでモノが動いたり曲がったりする事象を

迫力のある映像にするのは、実は非常に難しいことである。

試しに、この『アキラ』での表現法以外で超能力をどう描くかを考えると、

(私が考えても仕方ないが♪)どうにも他に手立てはないように思う。

 

そういう決定的な表現を生み出しているのが『アキラ』である。

それが面白いかは個人差があるが、スンゴイんじゃないの大友さんって♪

 

人物を下から上向きに描くというのも決定打は大友画法だろう。

これは超絶テクニックと同時に『発明』なのだ!

 

大友マンガは手塚マンガのアンチテーゼではない。

実はユニークな発明に満ちている。

それまでなかったものを発明するってのは、スンゴイことだと思うよ。

 

この大友発明が世界のアーティストに与えた影響は大きかった!

クールジャパンの先駆け的作品の代表格である。

 

残念なことはただひとつ。

大友画法では可愛い子どもが描けない。

これはイタイ。

今の子どもは体型が大友マンガ的になっている。可愛くないのだ。

 

全体的に大人びた作風が日本漫画のスタイルになっている。

子供達はこの『大人びたビジュアル』を見て育っているのだろう。

眼から入ったこうした情報が、子どもの細胞のひとつひとつに影響して、

大友マンガ的体型を作り出すということは、まだ科学で証明されていない。

証明されていないからあり得ないとは言えない。あり得るかも!

 

だ~んだ~ん、だんだん♪ 子どもが大人びてきた。

だ~んだ~ん、だんだん♪ あどけない子どもが減ってきた。

だ~んだ~ん、だんだん♪ 人類が可愛さを失っている。

 

それにしても『アキラ』の映画音楽はなかなか良い♪

芸能山城組が担当したこの音楽だけは、今聴いてもゾクゾクする。

この音楽も時代を超えた『発明』と言えるだろう。

 

 

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