天国と地獄
1963年 日本/黒澤明監督作品
満足度 ★★★★★ やはり面白い♪
観たい映画がなくなったので、久しぶりに鑑賞した。
有り難い事に、後半の展開はすっかり忘れていたので新鮮そのもの♪
面白いことはわかっていたが、やはり面白かった♪
一応、誘拐サスペンスなのだろうけど、なぜか泣かされた。
三船敏郎演じるナショナルシューズの常務・権藤の息子と間違われ、
お抱え運転手の息子が誘拐され、身代金を要求される。
さてどうなる? というお話。
★
この権藤という男。
人物造形としては、『用心棒』の桑畑三十郎を真面目にしたタイプだ。
口べたで愛想がない。ウソやズルい事が嫌い。(三十郎はズルかったが♪)
困っている人間を見ると、ほっておけない。そして助ける。
自分がたとえ損をしようと、弱い者を助ける。
この物語でも、誘拐されたのは自分の息子ではなく運転手の息子、
つまり『他人』なのだ。
権藤という男は、そういう人物として描かれる。
ちょっと出来すぎた人物だ。
なにしろフィクションだから、創り手のさじ加減でどうにでもなる♪
一言で言えば『気概のある人間』ということになる。
黒澤明は、こういう人物が好きだったのだろう。
権藤の妥協しない仕事ぶりなど、自身を投影させたのかもしれない。
生涯に渡って、自分もこうあろうとした理想像とも思える。
『気概のある人間』というのは、この時代の他の映画や小説にも登場する。
黒澤明の理想であると同時に、当時の日本人の一つの範であったと思う。
人間の価値を計る基準として、何十年か前には確かにあったものだ。
人間というのは、頭が良いだけではいけない。
勉強や仕事が出来るだけではいけない。
お金をどれだけ持っていて、どれだけの地位があるかということでもない。
ウソをつかない。卑怯なことはしない。弱い者いじめをしない。
困っている人に手を差しのべる。よくばらない。えばらない。
そういうことが、人間には男女を問わず大切なんだという意識があった。
権藤はこれを全て持っている。
実際、権藤のような人物が昔は今よりも多くいたのだ。
黒澤明がこの作品で、それを声高らかに謳い上げようとしたわけではないにせよ、
そういう人物が心底好きだったに違いない。
それが脚本や演出に自然に現れているように観える。
わざとらしく聞こえそうなセリフが、なぜか胸を打つ。
拳を振り上げ、絶叫などしないのに、その心情がよくわかる。
声高に叫びがちな他の黒澤作品とは明らかに違い、自然体なのだ。
だから権藤の言葉や行動には説得力がある。
黒澤明も三船敏郎も、そういう自然な表現が出来る年齢だったのだろう。
私はこの作品を観て、心の底から権藤さんを応援した。
仲代達矢演じる戸倉警部と同僚の刑事たち、新聞記者たちも応援した。
皆、『気概を持った人間』だからだ。
今こういう人間描写をすると、クサイと言われるかもしれない。
しかし、今一番必要なものは、男も女もこの『気概』を持つことだと思う。
★★
脚本の面白さ、緻密さは言うまでもない。
特急第2こだまでの身代金受け渡し場面の緊迫感は、少しも色あせない。
執念で犯人を追いつめる刑事たち。ひたすら運命に耐える権藤。
それをあざ笑う犯人。脇を固める俳優たちの存在感。
いつもながら、監督が俳優を大切にしているのがよくわかる。
見過ごしてしまうほどの場所に、千秋実さんがいたりする♪
欠点を指摘するのが申し訳なくなるほど、良く創られている。
だから悪口は書かない♪
この作品はサスペンスのくせに泣けるのだ。ズルイ!
泣かせようとしていないのに、泣けてくるのだ。ズルイ!
私は犯人逮捕より、権藤さんがどうなるのか心配だった。
この作品のラストで、権藤は犯人と対峙する。
犯行の動機は、はっきりしない。屈折した心情という他はわからない。
このラストシーンのすばらしさは、
犯人の言い分を黙って聞いている権藤が、少しも動じないところだ。
それは、正直に生きてきた人間の心の穏やかさなのだ。
いくら強がっても、犯人にはこの穏やかさがない。
口から出る言葉とは裏腹に、体は震えてくる。
死ぬのは怖くないと言いながら、心は動揺している。
人間というのはこれではいけない。
たとえ全てを失おうと、心の穏やかな人間が一番強いのだ。
勝ち負けではなく、人間の価値というものはそこにある。
人間はそういう生き方をしなければいけない。
少なくとも私にはそういうラストシーンに観えた。
だから泣かされたのだ。ズルイ! サスペンスのくせに!
権藤という理想を追い求めたのが、黒澤明の一生だったとすれば、
それがどれだけ辛いいばらの道だったかは、想像に難くない。
★★★
何やらひとクセありそうな『天国と地獄』というタイトルも面白い。
黒澤明の人生観を、そのままタイトルにしたのだろうか。
善と悪の二極化を象徴するタイトルというより、
私には犯人の屈折した主観を現しているように思えるのだ。
丘の上の豪邸に住む権藤は、天国暮らしのように見える。
下町に住む犯人は、地獄の人生を送っているように感じている。
しかし、そのように犯人が見て感じているだけで、現実は違う。
権藤を取り巻く人間関係は天国とはほど遠い。
犯人の生い立ちなどの詳しい説明はないが、
犯人と同じような境遇から努力して成功した人間はたくさんいる。
地獄を天国に変える力を人間はもっているから。
なにより、犯人には権藤にない『若さ』がある。
犯人は権藤が辛酸をなめつくして成功を手にした道のりを知らない。
黒澤明がこのタイトルにそういう含みを持たせたかはわからないが、
人生にはこういう屈折したひがみ根性に支配される時期がある。
そういう時期は、本当に地獄のように辛い。
自分以外の全ての人間を呪いたくなるほど辛いのだ。
ただ、そこで人間が試されることは間違いない。
屈折した心情の虜になってしまうのか、
長い時間その苦痛に耐えるのかで、その後の人生は大きく変わる。
その地獄の責め苦に耐えることができれば、
犯人は権藤を超える人物になれたかもしれない。
結局、この作品に登場する人物は誰一人『天国』には住んでいない。
過酷な現実の中で、自分に与えられた役目を必死に果たそうとしている。
権藤も妻も運転手も戸倉警部も部下たちも、そして新聞記者たちも。
この作品は、大きな苦難に人生を支配された時、人間はどう立ち向かい、
どう生きるべきかという理想を描いているようにも観える。
犯人像をあえて詳しく描かないのは、
主人公に立ちふさがる苦難の象徴として犯人を描いているとも取れるから。
人間はどうあるべきか? 真に強い人間とは?
それがラストの権藤と犯人が対峙する場面だ。
理想ではあるけれど、なかなかそう生きるのは難しいけれど、
人間はその理想に向かって生きることが、本当の強さにつながるのだろう。
自分の中に『天国』を持っている人間が、真に強い人間なのだ。
ラストの権藤の穏やかな顔は、黒澤明の理想なのだ。
しかし、善と悪を描いた作品として観ると、犯人の人物造形が浅い分、
何かもうひとつという感がなくもない。でも悪口は書かない♪
これはサスペンスという衣をまとった、権藤という男に始まり、
権藤という男で幕を閉じる物語なのだ。犯人なんかどうでもいいのだ♪
とってもわかりやすく、最後まで飽きずに観れる面白い映画!
映画職人が、細部にとことん凝って創り上げた映画!
でもって、なぜか泣ける不思議なサスペンス映画なのである♪
(そら、アンタが涙もろくなっただけとちゃうん?)
ほっといてくれ! 100点… にしよう♪
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