岩井田治行の『くまのアクセス上手♪』

興味を持った本と映画のレビューとイラストを描く♪

いきなり傑作♪

 

 

その男、凶暴につき

 

1989年 日本/北野武監督作品

★★★★★ ホントに面白い♪

 

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古いVTRを処分していて、捨てる前にもう一度と観始めたら最後まで。

この映画を初めて観たときは、少なからずショックを受けた。

冒頭、ビートたけし扮する刑事が警察署に向かう。

歩く姿を移動カメラで横から撮るというさり気ないシーンを観て、

わっ、才能ある! と驚いた。

 

予定通り深作欣二監督がこの作品を撮ったらどうなったろう?

北野版『その男,凶暴につき』を観てからでは、

深作版を想像するのは難しいが、

1992年の深作監督作品『いつかギラギラする日』を観る限り、

恐らく従来の日本の活劇映画から出られなかったように思う。

『いつか~』は、ショーケン木村一八の怪演があったものの、

アクションに関しては、迫力はあっても凡庸で新しさを感じなかった。

それに比べ、北野武の映画は深作映画のピンチヒッターではなく、

北野映画という完成形だったのだ。

 

 

どういう経路で北野武が監督することになったか知らないが大当たり。

元の形がわからぬほど、現場で大きく脚本に手を加えたことは明白で、

これは紛れもなく『北野武ワールド』に昇華されている。

ほとんどオリジナルと言ってもいい完成度である。

 

ビートたけし演ずるはみ出し暴力刑事もユニークだが、

敵対する狂喜のあんちゃんやくざに扮した白竜や

岸部一徳扮する悪の黒幕実業家が本当に恐い。

この恐さは、リアルなのに創られた恐さ、独特のスタイルがある。

長い間、日本映画ではこういう悪役を描けなかった。(時代劇は別)

白竜さん、一徳さん、演じていて楽しかったと思う。

 

日本には、他にも存在感のある悪役がいるのだが、

脚本や演出がそれをうまく生かせないことが多い。

深作映画に登場するアウトローは、大体わかりやすい。

何を考えているのかわからない不気味さというものは薄く、

ワルはワルとしての居場所があって、そこから出ることはない。

 

活劇映画の醍醐味は悪役なのに、

日本映画界の古い体質では、現代劇として、どうしてもそこが描けない。

『狂気の男』というキャラも、そういう範疇でしか描けない。

松田優作が主演しても、日本のアクション映画がつまらないのは、

奥行きのない活劇や魅力的な悪役の造形に失敗するからである。

主役はなんとかカッコよく描けても、敵対する悪に魅力がないのだ。

 

日本の現代劇は、その問題を先延ばしにして解決しなかった。

長い間、古い世代の感覚が映画の現場を支配し続けたのだろう。

その男、凶暴につき』は、活劇物の部類に入るのだろうが、

それまでの和製活劇とは一線を画している。

商業作品でありながら作家性が濃いのである。

 

北野武という稀代の才人は、日本の活劇映画の常識を無視した。

自分が撮りたいように撮った。おそらくそういうことなのだ。

銃の撃ち方、ナイフの使い方、活劇に於ける間の撮り方、構図、

こういうシーンはこうして撮るのが常道という

日本映画の現場で培われて来た古びた方法論に興味はなかった。

 

こう撮ったら面白いと思えばそう撮る。非常に感覚的だ。

北野流の方法論はあるだろうが、古びた慣例にこだわらない。

低予算でも面白い映画を撮れる。そういう自由さがあった。

 

劇中で、たけし刑事が言う漫才の小ネタのようなセリフは、

野沢尚の脚本にはないアドリブだろう。

 

『おじさん、何の仕事してるの?』と聞かれ、

『鉄砲の通信販売♪』と答える。

『先輩、始末書書いたんですか?』と後輩刑事に詰め寄られれば、

『書いたよ、お前の名前で♪』と答える。

 

この映画は、随所にこの『たけしリズム』がある。

 

『たけしさん、そこに照明は当たらないでしょ?』と言われても、

『もう当てちゃったよ♪ これで行こう!』

『たけしさん、ここにカメラは置けませんよ!』と助言されても、

『いいから、黙ってカメラ持ってろよ!』

『このカット長すぎません?』と冷笑されても、

『長いからいいんだよ♪』と。

 

すべてのシーンが『たけし流』なのだ。スタッフは戸惑ったはず。

つまり、この映画は伝統的な日本映画の延長線上にはない。

じゃあ、どの上に成り立っているのかというと、

北野武がそれまで観て来た個人的な映画体験の線上なのだろう。

この道は北野武以外、まだ誰も歩いたことのない道である。

そういうものを初めから持っていたということだ。

 

 

やったら出来ちゃった! 創ろうと思ったことはない! なんてセリフを

一生に一度ぐらい言ってみたいものだが、凡人の私には無理だ。

やったら必ず予定とちがうものが出来上がり、

創ろうと思わなければ何も創れない。

そういう凡人から観ると、なぜ創れるのだろうと羨ましくなる。

北野武初監督作は、そういう魅力と驚きに満ちている。

 

私のお気に入りは、とにかく歩くシーンの面白さだ。

ああ、その角を曲がると商店街で、その先は歩道橋なのか。

通りを渡ってしばらく歩いてビルの裏手の道に入ったんだな。

夜だから人気はない。だから靴音がずいぶん響くな。

こんなところを一人で歩くのは心細いだろうに…

 

歩くシーンだけで、こんなにも引き込まれる映画は少ない。

計算というより現場での思いつきを優先している感じだ。

だから、技巧派という印象がない。子どもが絵を描くのに似て自由だ。

 

もうひとつ印象的なのは、ラストの対決シーン。

白竜が銃やら銃弾やらを無造作に詰め込んだケースを引きずる。

ずるずると引きずっていく。数秒のシーンだがゾクッとする。

こういうタッチは日本映画では珍しい。

 

しょうがねえだろ、これから殺し合いになるんだからよぉ~

そういう感じがセリフがなくても伝わってくる。

白竜の捕らえ所のない不気味さがよく出ているシーンだ。

鉄砲の入ったケースを無造作に引きずるというのは恐いよ。

 

漫才師として成功したビートたけしは、

この作品の中でも絶妙な間で笑わせてくれる。

そして、この微妙な笑いが狂気と愛称がいいのである。

深作演出では、こういう狂気は生み出せなかったと思う。

この映画の『暴力と笑い』は、ちょっとした北野武の発明かも♪

 

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観ていて楽しい映画ではないが、これは傑作の部類に入る。

ヨーロッパ的感覚でありながら、やはり純日本映画である。

日本ではなく、世界が先にこの才能を認めたことが悲しい。

 

 

 

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