魔法のカクテル
ミヒャエル・エンデ 岩波少年文庫 ★★★★★ 文句なく面白い!
1989年に書いた長編ファンタジー。
とにかく面白いの一語に尽きる!
私は年甲斐もなく夢中になって読んだ♪
それはこんなお話である。
♥
地上を人間の住みにくい世界に変えようと画策する一人の魔術師。
魔術師は地獄の大王とある契約を結んでいる。
それは毎年いくつかの自然を破壊し、何種類かの動物を絶滅させ、
恐ろしい疫病を最低一つは流行らせるという何とも恐ろしいものだ。
ところがこの企みに気づいた動物評議会は、
1匹の猫のスパイを魔術師のもとへ送り込む。
この猫がスパイであることにすぐに気づいた魔術師は、
計画を邪魔されぬよう、あの手この手で猫を手なずける。
その甲斐あって、猫はすっかり魔術師をいい人だと信じ込んでしまった。
なんとも頼りないスパイだが、
魔術師はこの猫のご機嫌取りに時間を割かれ、
大王との契約事項を完遂できないまま年の瀬を迎える。
そこへ地獄から大王の使いが催促にやって来た。
大王様は大層ご立腹なさっておりますと。
時は大晦日の午後5時である。
新年まで残り7時間で、1年分の悪事の遅れを取り戻さねばならない。
魔術師は焦っていたが諦めたわけではない。
年明けまで、まだ7時間もある。大丈夫ですよと♪
しかしほんとうに大丈夫なのか?
たった7時間で契約した悪事のノルマを全て果たせるのか?
というわけで、
年が開けるまでの7時間のスリリングな物語が始まる。
この魔術師に叔母の魔女が加わり、
さらに動物評議会から魔女の動向を調査するために送り込まれた
カラスのスパイも加わり、
事態はとんでもない方向へ進んでいく。
魔術師と魔女の奥の手『魔法のカクテル』とは?
ちょっと間抜けな猫とお調子者のカラスのスパイは、
魔術師の悪巧みを阻止して新年までに地球を救うことができるのか?
この7時間というタイムリミット設定がとても面白い♪
ハラハラドキドキの7時間なのだ!
♥♥
日本の童話作家にはなかなか書けない。
別に書けなくても恥ではないが、やはり寂しいものがある。
そもそも日本には魔法使いや魔女がいない。
妖精もいなければ王様も王子様もお姫様もいない。
殿様や姫君はいるがこの手のファンタジーには不向きだ。
日本流のファンタジーはあるが
この『魔法のカクテル』のような世界ではない。
やはりこういう空想物語は欧米の伝統的お家芸なのである。
だから真似はしない方がいいのかもしれないが、
私などは子供の頃からずっと憧れ続けている。
別に欧米の文化に憧れなくてもいい。
日本独自のスタイルで創作すればいいのだ。
とは言うものの、この手の物語を作り上げるために
必要不可欠の要素が最低2つある。
本題から少し逸れるがちょっと書いておこうと思う。
興味のない方は、♥の書評だけ読んで以下は飛ばしてください。
♥♥♥
さて、
もっとも重要なのが動物をチャーミングに描くということ。
文章で書くだけでなく、絵で描く技術やセンスも必要になる。
なぜかといえば理由は簡単。
子供は動物が大好きなのである。
だから子供向けの作品を書こうという人は、
動物が書けなければならない。
同じように画家は動物が描けなければならない。
これは基本中の基本だと私は思う。
欧米はこの基本を今でもきちんと守っている。
だから児童書の伝統が廃れないのだろう。
ところが今の日本には
動物童話や動物絵本はまだあるが
動物マンガや動物アニメがほとんどない。
これは動物が描けるマンガ絵の描き手がいなくなったからだ。
私が子供の頃(昭和30年代)は、
柔らかいタッチで動物物語を空想的に表現できるマンガ家がいたが、
今や絶滅危惧種である。
イルミネーションのアニメ『SING』や
ピクサーアニメなどは、この動物を実に効果的に使っている。
動物ものには、子供だけでなく大人をも夢中にさせるものがあるが、
マンガやアニメだけでなく、日本ではこの分野がやせ衰えてしまった。
なぜそうなったかと言えば、
まぁ興味がないんでしょうね、創る側も受け手側も。
特にマンガ業界で動物を可愛くチャーミングに、
なおかつ正確に描ける人はほとんどいないと思う。
手塚先生は動物を描くのが大好きだった。
ディズニーに影響を受けただけに、
柔らかいタッチで描く動物画は天下一品である。
あの手塚マンガのような滑らかな動物を今のマンガ家は全く描けない。
関谷ひさし氏の描く動物なんて、もう感涙ものの上手さだった。
それぞれのスタイルで動物が描けた。
そういう伝統がどこかで途絶えてしまったのだ。
現在では、99%のマンガ家が四つ足動物(哺乳類)が描けない。
別に描けなくても困らないから構わないのだろうが、
私なんかはとても寂しい。
人間を描かせたら、ずば抜けた画力を持つ浦沢直樹氏でさえ、
四つ足動物になると途端にデッサンが硬くなる。
日本を代表するマンガ家が動物を巧みに描けないというのは、
とても寂しいなぁと思うのは、多分私だけだろう。
動物を描くというのはとても難しい。
偉そうなことを言う私だって、四つ足動物を描くのは苦労する。
四つ足動物で一番簡単に描けるのは『顔』である。
これはそれほど難しくない。
四つ足動物の『顔』が描けないマンガ家は多分いないだろう。
恐竜とか爬虫類、両生類も比較的楽に描ける。
人間とは『骨格』が違う体型なのに、なぜかこれらは簡単に描ける。
しかしこれが哺乳類の四つ足動物になると途端に難しくなる。
犬も猫も牛も馬も羊もライオンも豹もネズミもリスも
人間とは『骨格』が違う点は同じなのに、なかなか描けない。
四つ足動物(哺乳類)の関節は、私にはとても魅力的で、
特に後足の関節を描くときは快感すら感じる。
手塚先生はこの後足がとても上手である。
手塚マンガに登場する猫の後足の柔らかさなんかもうたまらない。
四つ足動物の次に難しいのが鳥だ。
鳥も顔は簡単に描けるが、羽と足が難しい。
鳥の羽は複雑で、足は逆関節ですからね。
手塚先生は、この鳥も上手に描かれた。
ここでいう『動物』とは、キャラクターとしてのそれではない。
動物4コマなどの可愛い系のキャラは、動物画とは言わない。
やはり骨格をきちんと描いたものでなければ動物画ではないからだ。
別に写実的でなくてもいい。
それらしく自然に描ければいいのである。
そういう動物をチャーミングに描ける画家もマンガ家も
日本の児童文化シーンには、本当に少なくなった。
いても皆60歳以上だろうと思う。
30~40代の優れた動物の描き手が作家も含めほとんどいないというのは、
今後の日本には動物が描けるクリエイターがもう育たないということだ。
動物表現と同等に必要なのが『空想性』である。
動物だけでなく空想的なお話がきちんと描ける人もほぼいない。
藤子・F・不二雄(藤本 弘)先生が最後の一人だった。
動物と空想性という2大柱が日本の文化から消えつつある。
動物マンガや童話、絵本はあるにはあるのだが質感が違う。
欧米のような豊かな質感は日本ではほとんど見られない。
そういう伝統がどこかで途切れてしまったのである。
伝統というのは2世代も中断すると復活させるのに苦労する。
動物画と空想性に関しては、
すでに5世代ぐらい中断しているのではないだろうか。
何より受け手のほとんどが求めていないというのは、
つまりその分野はお金にならないということだ。
だから動物と空想性という2大柱を復活させるのは、
多分、日本ではもう無理だと私は思っている。
♥♥♥♥
さて、話を本題に戻そう。
『魔法のカクテル』は動物だけが主役ではないが、
それでもやはり伝統的な『動物童話』と言っていいだろう。
だから私などは、この作品を読むと本当にため息が出るのである。
生まれる場所を間違えたんじゃないだろうかと。
マンガに関しては日本人で良かったと思えるのだが、
マンガや絵本を含む児童文化全般に関しては、
日本人であることを後悔することが度々あるのだ。
そんな私に、本当に久しぶりに夢の広がりを
空想の楽しさを、動物という表現の面白さを思い出させてくれた作品。
それがミヒャエル・エンデ氏の『魔法のカクテル』である。
大人も子供もハラハラドキドキしながら読むべし!
きっと楽しい時間が過ごせますよ♪
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