★★★★★とても参考になる♪
まず、
ASD(自閉スペクトラム症)の『自閉』の意味が冒頭で説明されるが、
それを読んで目からウロコが落ちた。
発達障害での『自閉的』とは、人を避け心を閉ざすということではなく、
自分が慣れ親しんだもの以外を受け入れられないということらしい。
つまり、自分と異なるものを受け入れることに強い抵抗を感じる、
または、全く受け入れられないということだ。
これがなぜ『生きづらさ』につながるかと言えば、
我々が生きるこの世の中は常に変化しているからだろう。
この自然の変化さえ、
ASDの人には、自分の慣れた世界を侵食するものに感じられ、
不安や恐怖の対象になるとすれば、これは大変なことである。
人の気持ちも常に変化していくのだから、
ASDの人にとっては対応が難しくなる。
なるほどそういうことなのかと腑に落ちた。
とてもわかりやすい。
♣︎
発達障害というのは、
遺伝による脳の損傷が原因で治療できないというのが定説だったようだ。
だから本人がその症状を自覚するだけではなく、周囲の理解が必要になる。
そうして症状と共存していくしかないと言われていた。
しかし最近はこの遺伝説だけでは説明できない事態が起こっている。
それはASDの人が先進国で急増しているという事実だ。
アフリカや南米などでは発症率は少ないにもかかわらず、
なぜ先進国で増えるのか?
遺伝説だけが正しいなら、世界中で増えるはずなのに。
ここからわかることは、
ASDというのは近代化の代償でもあるということ。
我々現代人の生活様式などが脳に負の影響を与えているらしい。
となれば、明日は我が身かもしれないのが、
決して他人事ではないのだ。
ASDの中でもカナータイプと呼ばれる症状には、
言語的、知的遅れが見られるため、
幼児期に診断できる。まず親が気づくからだ。
ところがアスペルガータイプには、この言語的、知的遅れが見られない。
さらに今ほどASDに関する認識がなかった時代(1980年代以前)には、
知的遅れのない軽症のASDの人の大半は見過ごされてしまい、
その世代が今50~60代になっているらしい。
その数は何百万人にもなるというから大変な問題である。
大人の発達障害、またはグレーゾーンと呼ばれる人たちで、
子供の頃は気づかなかった症状が、
社会人になってから表面化し本人を苦しめている。
と言っても、本人にその自覚はない。
子供の頃には何も言われなかったのだから。
ところが成人するにつれ、
生きることが楽しさよりも苦痛や不安に満ちた体験として感じられ、
その生きづらさを誰とも共有できずに1人で苦しむことになる。(P.29)
これは辛い。自分では原因がわからないのだから。
自分はダメ人間ではないのか?
なぜ他の人のように人生を楽しめないのか?
いくら考えても答えが見つからず、やがて鬱になり心療内科へ。
そこで初めて自分が診断から漏れてしまったASDだとわかる。
中高年や老年になってそれがわかるというのは、
大きなショックだと思う。
♣︎♣︎
実は私も還暦を過ぎてから、あるきっかけで、
自分が軽度のASDだと知ったのである。
もうね、今更なんだよ~! もっと早く教えてくれよ~!
と3週間ぐらい泣いた。涙が止まらなかった。
発達障害なんて他人事だと思っていたから、ものすごく凹んだ。
しかしこの本に書かれているASDの特徴的な症状を読むと納得できる。
これまで自分が感じていた生きづらさのいくつかは、
自分の能力の無さや運の悪さだけではなく、
ASDという脳の特性によるものだったということがわかり、
しばらく落ち込んだ後はホッとした。
なんかね、霧が晴れたような爽快感がありました。
あっ、そういうことなのねと♪
ただ、自分が軽度のASDと知らずに過ごした時間はもう戻らない。
もっと早く知っていれば、別の人生を送れたかもしれない。
もっといろんなことができたかもしれないという想いは残る。
正直悔しいが、
これが二十歳の頃ならこういう心境にはなれなかったと思う。
今だからこそ、冷静に受け止められるのだと。
この本の第4章では、
ASDの特性に応じた進路、適職、生き方が具体的に書かれていて、
とても参考になる。
自分に向いた仕事、向かない仕事がどういうものか、
またその理由もわかるので、特に若い人は読むと救われると思う。
遺伝以外のASDの原因と考えられる事柄についても、
専門的で少し難しいが詳しく書かれていて、
ある程度は改善が可能だという希望が持てる。
定型発達の人と同じにはなれないにせよ、
その症状を和らげることが今では可能になっているという。
だから諦めてはいけないのだ。
発達障害以外の人を『定型発達』という言葉で表しているが、
この本を読むと、
文字通りの『定型』の人なんていないんじゃないかと思えてくる。
『個性』なのか『障害』なのかをどう見極めるかは、
専門家でも難しいという。
完璧な人間がいない以上、
人間はみんな『定型』ではなく、どこかおかしいのだ。
それが個性として役立っているか、
生きづらさの原因になっているかということで、
『障害』レベルが重度でも、前向きに人生を楽しめる人もいれば、
軽度でも生きづらさを感じてしまい人生が困難になる人もいる。
いわゆる『グレーゾーン』と呼ばれる診断未満の人達の方が、
感じる生きづらさは大きい、というところに問題があるようだ。
♣︎♣︎♣︎
発達障害という脳の特性は、
決して人に隠すような恥ずかしいものではなく、
グレーゾーンも含めて、障害と診断されたとしても落ち込む必要はない。
そう生まれついてきたのだと自覚し、
むしろその特性を生かす努力をするべきなのだ。
この本の中でも、
特に第8章の『回復例が教えてくれること』は感動的だ。
重度の発達障害の男の子が、両親の懸命の努力の結果、
ほぼ定形発達の子と同じ状態まで回復した軌跡が詳しく書かれているからだ。
これはもう両親の愛情以外の何物でもないのだが、読んでいて涙が出た。
この息子に対する両親の取り組みを読んでいて思うのは、
人を簡単に否定してはいけない
ということに尽きる。
他人の欠点を指摘するのは快感であり、優越感も得られる。
自分が正しいのだという安心感も得られるだろうが、
否定された方は不快感しかない。
この本にも、
罰を与えるより褒める方が相手の行動を変化させる力が強いと書かれている。
私もそう思う。簡単に他人を否定してはいけないのである。
読み終わって他人の見方が大きく変わった。
これまで、単に『嫌な奴』『変な奴』と決めつけて、
距離を取ったり付き合いを切ってしまった人の何人かは、
もしかしたらASDだったのではないか?
もしそうだとすれば、
私はその人の真の姿を知らないまま疎遠になってしまったことになる。
あの時の自分に、このASDの知識が少しでもあれば、
いい人間関係を築けたかもしれない。
また逆に、相手に問題はなく、むしろ自分のASD的対応によって、
知らずに自分で人間関係を壊してしまったのではないか?
そういう反省の念が後から後から湧いてきた。
今更後悔しても取り返しはつかないが、知らなかったとは言え、
なんとももったいないことをしたなぁと思うのである。
♣︎♣︎♣︎♣︎
この本を読んで、
人間を完成度で評価してはいけないとつくづく思った。
人をその完成度で測ると優生思想という極端な考えに行き着く危険がある。
100点満点で、100点に近い点数が良くて、
100点から遠ざかるとそれは劣ったものと見なされる。
そして優秀なものだけ残し、あとは排除する。
そういう世界は偏った世界であって、人間らしい世界ではないはずだ。
人間を完成度で測れば、定型発達(一般人)が100点に近く、
発達障害という脳の特性を持った人たちは、100点から遠い人たち
という誤解や偏見につながりかねない。
今、発達障害という特性を持ちながら働こうとすると、
様々な偏見に会い、なかなか理解してもらえないで苦しむことになる。
そういう人たちがたくさんいて、大きな問題になっている。
発達障害というのは、生まれながらの障害であるだけでなく、
前述したように、近代化の代償である可能性が否定できなくなっている。
つまり、他人事だと思っていたら、それは自分だった。
そういう事例がこれから増えていくのだろう。
本当に他人事ではないのだ。
近年、先進国で大人の発達障害が急激に増加しているという事実には、
何か深い理由があるに違いない。
だから他人に完全を求めるのはやめた方がいい。
人間は不完全な生き物であり、発達障害というのは、
人間の持つ多様性の一つだと考える方が自然である。
♣︎
私と同じように、
50代~60代になって自分がASDと知ったショックは大きい。
もっと早く知っていればと誰もが思うはずだ。
しかし、より多くの経験を積み、
若い頃より少しは理解力が高まっているのが
50代~60代に達した人の強みだと思う。だから悲観することはない。
私はこの本で、
ASDというのは人に隠すような恥ずかしいものではないと知り、
救いを得ることができた。
これまでの自分の生きづらさの正体がわかっただけでも幸せなのだと。
ASDど真ん中と診断された人、グレーゾーンと診断された人、
もしかしたら自分も… と思いながら、
誰にも相談できずに苦しんでいる人は多いと思う。
そういう人だけでなく定型発達の人にも、
先進国で急増しているASDという特性について知るために、
ぜひ一度読んで頂きたい入門書だと思う。
お勧め致します。
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