岩井田治行の『くまのアクセス上手♪』

興味を持った本と映画のレビューとイラストを描く♪

努力は才能なのか根性なのか?

 

才能があるから努力するのか

努力するから才能が芽生えるのか

どっちなの?
 

 

 

これはどっちなんでしょうね?

世の中には努力は面倒だという人が一定数います。

そういう人は面倒な努力はしないらしい。

ただ平凡に生きて死んでいく。

それでいいと思っているようです。

 

そういう生き方もあるでしょう。

あまり面白そうな生き方ではないけど、どう生きても自由ですから。

 

私は努力した方がいいと思ってます。

どんなに努力しても最期は死が待っているとしても、

最期まで努力し続けたいと私は思っています。

 

別にそう生きることが立派だからではなく、性に合ってますから。

努力するのは割と好きなんですよ。

変わってますかね、私?

 

 

努力も才能だと思う理由

 

文学部に在籍中、日本文学の講義で芥川龍之介の話になった。

芥川さんは稀代の読書家だったそうです。

東京から大阪だかどこかに行く車中で分厚い専門書を一冊読んで、

帰りの車中でも同じように分厚い専門書を読破したとか♪

 

芥川さんはそうやってたくさんの本を読んだそうです。

つまり努力家だったわけですが、

普通の人にできますかね、

揺れる電車の中で分厚い専門書を読み切るなんて。

 

やはりこの読書力は『才能』だと思いますよ。

私なんか気が散って無理ですもん♪

 

また、天才マンガ家の手塚治虫さんも大変な読書家だったそうな。

新連載の打ち合わせで編集者にこう言いました。

「資料が必要なのでアレとアレとアレを揃えてください」と。

 

手塚先生が編集者に頼んだ本はどれも専門書らしく、

指定された本を買って翌日持って行くと

手塚先生は大喜びで、

「ヤァありがとう! じゃぁ、明日までに読んでおくから♪」

と笑顔で言ったそうな。

 

いくら天才でも複数の連載を抱えた状態で

専門書を5~6冊、一晩では読めないだろうと思いつつ、

翌日手塚プロに行くと、手塚先生はちゃんと本を読んでいた。

 

読んでいたばかりでなく、内容が頭に全部入っていたそうで、

「この本のココは使えるがココは使えないよ」

と全ての本の内容を編集者に説明したとかしないとか♪

 

この話は多少尾ひれがついているとしても事実だと思う。

 

高田馬場手塚プロに行く途中に本屋さんがありました。

ある日、編集者が原稿を取りに行くとその本屋さんに手塚先生がいて、

本を立ち読みしていたそうです。

 

手塚先生の本の読み方は独特で、

人差し指で本の右上から左下へ向かって、スッスッと斜めに線を引く。

これで1ページ読んじゃうそうです♪

 

なんでも学生時代からそういう読み方だそうで、

立ち読みで一冊読んでしまうらしい。

 

手塚先生が本を読んでいるところを見た人は少ないらしく、

この編集者はたまたま手塚御大の立ち読み姿を目撃したそうです。

人差し指で斜めに線を引くだけで1ページ読めるなら、

一日5~6冊は読めるでしょうね。

 

手塚治虫先生は努力型の大天才でしたが、

果たしてこの努力を真似できる人がいるでしょうか?

 

こういう話を聞くとですね、

やはり努力は『才能』に比例すると思うわけです。

 

 

じゃあ、才能がないと幸せになれないの?

 

幸せは歩いてこない♪ そうですから、

こちらから幸せに向かって歩いていかなければなりません。

この『幸せに向かって歩くこと』が『努力』です。

 

だから努力した方がいいのですが、

努力は才能ですから、才能がなければ努力はできません。

つまり凡人は幸せにはなれないわけです。

 

そういってしまうと身も蓋も、取っ手すらない。

 

 

才能なんてなくても生きていけます、多分

 

以前、才能について書きました。

才能とは、無理せずにできることだと。

だから才能は誰にでもあります。

ただ才能は、必ずしもお金にはならないだけ。

そういうことを書きました。

 

努力が才能だとすると、努力家は無理なく努力している。

つまり根性ではなく楽しんでいる。

そういうことになります。

 

私は子供の頃から劣等生だったので、

人一倍努力しないと生きていけないと思っていました。

もう悲壮感さえあった。

 

だから何をやるにも慎重に、どんなに時間がかかっても諦めない。

とにかく時間さえかければ大抵のことはできると信じていました。

ウサギとカメなら私はカメでしたが、別に恥ずかしくはなかった。

歩みが遅いことは恥ではありません。

そう開き直っていたから♪

 

絵だって、多分、おそらく、間違いなく、確実に

晩年型だと勝手に思ってた。

若い頃には認められないだろうと覚悟していました。

 

いまだに無名ですけどね♪

まぁ、想定内なのであまり気にならない。

 

努力が才能なら、その才能がなければ努力は苦痛でしかない。

努力が続かない人は必ずしも根性なしというわけではなく、

努力する才能に恵まれていないだけです。

これは本人の責任ではなく、生まれつきだから仕方ない。

 

例外なく、才能のある人は努力家です。

本人は努力しているとは思わないのでしょう。

ただひたすら楽しいから続けているのだと思います。

根性では努力はできません。

精神論ではないのです。

『楽しい♪』ということが長く続けるコツなんです。

何かに挑戦して、それが楽しくなければ才能はありません。

 

私の若い頃は『巨人の星』というスポ根マンガが大ヒットして、

『根性』が美徳と言われた時代でした。

ど根性ガエル』なんて人気マンガもありましたから♪

 

『努力に限界はない!』なんて言われると奮い立ったもんです。

今考えるとバカバカしいですけどね♪

そういう時代だった。

でもそれは間違っていました。

 

努力に限界はあります。

才能がなければ努力し続けることはできません。

ある程度のところで挫折するのが普通です。

根性がないのではなく、才能がなかっただけです。

 

自分に努力という才能があるかどうか確かめるには、

とにかくなんでもいいから興味のあることをやってみて、

それがどこまで続くか見定めることです。

 

才能があれば努力ではなく、ただ楽しくなるはずです。

楽しいから毎日でも続けられる。それは才能がある証拠です。

そうやって自分に何の才能があるか確かめるといいかもしれない。

 

そして何もないと思ったら、

才能に頼るのはやめて、普通に生きることです。

普通というのも楽しいものですよ。

私なんかずっと憧れてきましたから、普通の人に。

今でも少し憧れます。羨ましいですよ、普通ってね♪

 

でも、絵が描ける時点で普通じゃないわけです。

特殊能力者ですからね、画家というのは。

そして特殊能力者というのは苦痛なんです。

だからずっと普通になりたいと思っていたけど、ある日諦めた。

俺には普通は無理だと覚悟しました。

 

学生時代、毎朝下宿から近くの駅まで行くんです。

そこでお勤めの人をずっと眺めていた。

「どうやったらあの人たちの仲間になれるんだろう?」

そう思って通勤する人を見ていたことを想い出します。

「俺には無理だなぁ…」

そう思うと悲しかった。

 

今はもう普通になろうとは思わない。

今さらね、普通になっても手遅れだから。

このまま行きます、どこまでも♪

 

才能(特殊能力)というのはそういうものです。

だからあまり憧れないほうがいいかもしれない。

そういう特殊な能力などない方が幸せかもしれない。

 

才能がない人は才能に憧れるけど、

才能を持つというのも辛いものなんですよ。

圧倒的な才能ならいいけど、

多くの人の才能は『並の才能』ですから。

私も並の才能の持ち主なので、圧倒的な才能を見ると落ち込みます。

 

「才能って、ああいうものなんだなぁ…」

そう思うとね、マジで凹みますよ。敵わないからね。

才能って、時に他人を傷つけることがあるんです。

 

でも、才能がなくてもあっても生きていけます。

どっちでも生きていけるんです。

そしてどっちでも幸せになろうと努力すればなれるかもしれない。

 

人生で他人より優位に立とうとするためではなく、

幸せになるために努力するのなら楽しいんじゃないだろうか?

そういう才能なら誰でも持っているかもしれない。

最近そう思います。

 

 

 

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ワンワンを描こう♪(水彩画新作)


パグ犬を描く

 
パグという犬がいます。
小型のブルドッグのような可愛い犬です。
人懐こくておとなしく、子供にもすぐ慣れるとか。
いろんな犬種がいますが、
このパグ犬はとても可愛いので描いてみました。

 

パグの親犬
(ワトソン紙にホルベイン&クサカベ透明水彩)

 

パグの親犬と子犬
(ケント紙にホルベイン&クサカベ透明水彩)


なんとも可愛い犬です。ワンワン



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努力も才能のうちって、ホントなの?

 

 

努力って、どうよ?
 

 

 

努力は面倒だと言う人がいます。

その通りだと思います。

努力するって本当に面倒です。やりたくないですよ。

 

ただし、それは意識して努力しようとするときに感じることです。

私のような絵を描く能力は『努力』なのか『才能』なのか?

どっちやねんということですが、どっちなんでしょうね。

 

そもそも人間は興味のないことには努力できません。

意識して「努力しよう!」というのは無理があります。

 

私、こう見えて努力家なんですけど

なぜ努力するかというと前に書いたように

才能が枯れてしまうのが怖いからです。

 

ただでさえ大した才能ではないのですから

できるだけ長持ちさせたい♪

 

努力しなければ10年で消えてしまう才能なら

なんとか30~40年保たせたい。

そのために必要なのが努力ならやろうじゃないかというだけです。

他に取り柄がないというのもありますが♪

 

その意味では、私はかなり意識して努力しているかもしれない。

とにかく怖い、絵が描けなくなることが。

もう考えただけでゾッとする。

だからそうならないようにしているだけです。

 

意識して努力していますが苦痛は感じません。

つまり向いてるんですね、努力することに。良かった♪

 

楽しいから続けられる。

継続は力ですから、続けていると少しは上手くなります。

上手くなると嬉しいです♪

だからずっと絵を描いていたいと思う。

そしてまた努力や工夫をします。

 

これが私の努力です。

あまり根性ではやっていません。疲れるから。

 

まさか70歳まで絵が描けるとは思っていなかったから、

この先突然描けなくなることはまずないだろうとは思っています。

 

それでも怖いことは怖いんですよ。

つまり、絵は描けるが自分で納得できる絵が描けない。

そして自信を失ってしまうんじゃないか。

 

描いても描いても納得できない。

これなら描けない方がマシ、そうなるんじゃないかと。

 

そういう恐怖感は常にあります。

でも未来は誰にもわからない。

私の絵を描く能力は神様からのギフトですから、

私からその能力を取り上げるのも神様からのギフトだと思います。

 

「もうお前にはその力は必要ない」

 

絵が描けなくなることがそういうことなら諦めるしかない。

神様が決めたことなら従うしかないでしょう。

その時には何か別の能力が芽生えるんじゃないかと期待していますが

 

 

そもそも才能って、何なの?

 

これはもう大して頑張らなくても出来ることです。

そんなに必死にならなくてもなぜか出来ちゃうこと。

それが才能です。

そういう力は誰にでもあると思います。

 

私には何もないという人がいますが、

それは才能を職業に結びつけようとするからです。

才能という言葉で連想するものは、

私のような絵を描くとか歌を歌う、お芝居をする、踊る、小説を書く

などのいわゆる芸術系の仕事だと思います。

 

ところが才能というのはそう特殊なものではないと思う。

たとえば『気づかい』というのも才能でしょうから。

でも気づかう職業はないです。

日々の様々な場面で気づかいが必要になることはありますが、

気づかいの専門家という職業は聞いたことがありません。

 

才能とは特殊な能力だと考えると「そんなものはない」となりますが、

大して努力しなくても出来ることと考えれば何かあると思います。

 

無理なく出来る力は全て『才能』だと私は思う。

ただ、その力は必ずしもお金にはならないというだけです。

 

つまり才能があってもお金が稼げるわけではなく、

有名になれるわけでもないんです。

 

ただ人より楽に出来る力というだけ。

才能って、そんなものなんじゃないかと。

そうそう特別なものだけではないと最近思います。

 

ですから、特殊な力はなくても何らかの才能はあるんですよ。

なかなかそうは思えないでしょうが、

才能はきらびやかなものというイメージが強いですからね。

 

ちなみに私は才能で絵を描いているわけではなく、

大好きな絵が描けなくなるのが怖いから絵を描く努力をしている。

 

最近そう思うようになりました。

 

 

 でさぁ、詰まる所、努力したらどうなるの?

 

本当ですよね。どうなるんだろう?

例えば私の場合、絵を描く努力は怠りませんが、

その結果、昔よりは少しだけ上手く描けるようにはなりました。

 

でも私の人生はまだまだ続きます。

努力した結果どうなるかという質問は、

人生の最期にどうなるのかという究極の答えに辿り着くんです。

なんかすごいですよね、究極の答えって♪

 

努力して努力して、頑張って頑張った先に何があるの?

というと、

努力もチャレンジもその9割は報われません。

下手すれば全滅です。私、過去に全滅したことがあります♪

 

努力の末に報われることもたま~にあるでしょう。

でもそれは究極の答えではありません。

 

頑張って努力した先に待っているのはね、『死』ですよ。

全ての人間、というか生物は死んじゃうの、最期はね。

そう出来てるんです。

 

死というのは恐ろしいものだとみんな思っています。

私だって死ぬのは怖いです、とっても怖い。

 

でもこの死というのは怠けていた罰ではないんですね。

要するにいつか幹細胞が死んでしまうから、体細胞が作れなくなる。

その結果が死なんだそうです。うろ覚えの知識ですが♪

 

ということはどういうこと?

努力してもしなくても最期は死んじゃうんです。

別にバチが当たるわけじゃない。とても公平なの。

 

人間が努力した先に待っているのは、その努力が報われた未来かもしれない。

でも報われた先に待っているのは恐ろしい死なんです。

 

何だよって思うわけです。

誰かが怠けている時に頑張って努力したんだからご褒美くれよって、

そう神様にお願いしても無駄。死んじゃうの、みんなね。

 

そういう究極の答え、と言うか結末が決まっているなら、

ここで究極の疑問が起こるわけです。

 

何で努力するの?

 

ハイ、皆さんご一緒に、大きな声でもう一度。

 

 

何で、何で努力するの?

損じゃん!

 

ハイ その通りです♪

 

死ぬほどの努力の末にそれが報われても死んじゃうんですよ。

人生はそういう仕組みになってる。誰が決めたんだか知らんけど。

まぁ、神様が決めたんでしょうね、ゴールは死だよと。

 

そう考えるとですね、死は恐ろしいものじゃないんじゃないか。

安らぎなんじゃないかと思うわけです。

安らぎという神様からのご褒美。

 

そしてこの安らぎはみんながもらえる、公平なんです。

努力してもしなくても、怠けていても最期は安らぎが待っている。

あぁ、よく出来てるじゃん人生は。さすが神様!

って、ちょっと待てや!

 

そこで生まれるのが究極の怒りです。

(あんさん、究極好っきゃなぁ♪)

 

怠けた奴は地獄へ落ちろや! 安らぐなよ!

努力した人だけ安らげばいいじゃん!

私はそう思います。

 

 

では、努力するだけ損なの? しない方がいいの?

 

努力した方がいいと思います。

何ででしょうかね?

 

答えは簡単なんですよ、その方が楽だから♪

 

努力してもしなくても、努力が報われても報われなくても

人間、最期は死んじゃいます。

そして(多分)死とは安らぎなのでしょう。

 

つまりね、死んだらみんな公平に安らげるんです。

そういうシステムなんだと思いますね、人生は。

 

ここで気づかなければならないことは、

『死んだらみんな公平に安らげる』ってことです。

生きているときは違うんですね、公平じゃない。

 

努力している人と怠けている人では公平ではないんです。

努力してもバカを見るかもしれない。

怠けていても、それはそれで楽しいかもしれない。

同じ人生ではないんです。

 

でも私が知る限り、怠け者の人生が楽しいことは稀です。

と言うか、絶対に楽しくないと思う。

 

これは仕事も同じです。

真面目にきちんと働く方が楽なんですよ。

いい加減な仕事をしているとですね、必ず反動があります。

心が落ち着かないんでしょうね。

 

楽な道とシンドイ道があったら迷わずシンドイ道を選べ!

と言うのはそういうことです。

 

楽な道の先には退屈しかありません。死にたくなるほどの退屈。

少しシンドイという負荷がかかっている方が楽なんです。

人間の脳はそう感じるように出来てますから。

 

人間が公平になるのは死んだ後です。

生きている時は同じじゃないんですよ、みんな違う人生です。

 

だから努力している人の人生と怠けている人の人生は違います。

前者の方が楽に生きていると思う。

この場合の『楽』というのは、負荷がかかった人生のことです。

シンドイけど楽しいという人生です。

 

絵を描く行為もシンドイですよ、でも楽しいの♪

それなりに負荷がかかっているからでしょうね。

楽に短時間で素敵な絵が描けたらつまらないですよ。

 

苦しんで苦しんで、迷って迷った末に絵が完成した時は、

もう天にも昇るような気持ちになれる。

いくらお金をもらってもこういう気持ちにはなれません。

仕事をする喜びとはそういうもののはずです。

そうじゃなければウソですよ。

 

だから、9割が報われなくても努力した方がいい。

9割が失敗してもチャレンジした方がいい。

その方が楽なんです。そう思います。

 

報われる確率の低い努力ですが、それを勧めるには理由があります。

一つはその方が楽だからですが、

もう一つは努力したことは無駄にはならないからです。

いつか必ず役に立つと私は信じています。

 

ここ数ヶ月、私は水彩画に挑戦していますが、

実はこれが3回目のチャレンジです。

 

一回目は20代でしたがダメだった。

プロになってからもう一度チャレンジしました。

水彩画で絵本の挿絵も描きました。

 

これはそこそこ上手くいったのですがやはり挫折しました。

私は元々、手塚マンガに影響を受けて絵を描き始めました。

だからスタートはペン画(線画)なんです。

ドローイングってやつですね。それもマンガ絵です。

 

プロデビューした作品もペン画でしたし、

絵本のデビュー作『ぼく そらをさわってみたいんだ』は色鉛筆画でした。

全てドローイングです。

 

でも水彩画が好きなんですよ。

何とも言えない魅力があるんです、水彩表現には。

そこでドローイングの合間に水彩画を描くんですが上手く描けない。

ぐちゃぐちゃになってしまう。

そういうことの繰り返しで、46歳の時に水彩画は諦めた。

 

それから水彩画は描いていませんでした。

買った水彩絵の具はカチンコチンに固まり、

水彩パレットの絵の具も干からびてしまった。

 

もう描くことはないだろうと思ってましたが、

去年の秋頃から無性に描きたくなり今に至っています。

そして今までで一番描けるんですよ、何十年も描いてないのに。

 

これは奇跡なんかじゃない。

20代から努力してきたことが蓄積されて、今ようやく形になった。

だから努力したことは絶対に無駄にはならないと思う。

体がね、覚えてるんですよ、体が!

 

今すぐには結果が出なくても将来はわからない。

未来は信じるしかないんです。神のみぞ知るですから。

 

報われなくても努力した方が楽な人生になります。

そして努力は無駄にはなりません。

お金にはならないかもしれませんが、無駄ではないんです。

 

だから、死という安らぎを得るまでは努力を続けた方がいい。

生きている間に楽をしたいのなら、迷わず努力した方がいいです。

 

 

ただし、辛い経験をして心がクタクタに疲れている人は、

今は努力より休んだ方がいいです。

怠けてると言われてもいいから休んでください。

そして少し元気になったら、少し努力してください。

あなたの努力は報われないかもしれませんが、

努力したことは絶対に無駄にはなりませんから。

 

 

 

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正確なデッサンができると絵は上手くなるの?

 

 

デッサンって、どうよ?!
 

 

 

20代の頃、

絵の先輩からこう言われました。

 

デッサン力というのはね、

描く対象がそれらしく描けていればあるんだよ。

その力をどこまで磨くかは、本人の好き好きなんだ。

 

つまり人間を描いて人間に見える。犬を描いて犬に見えれば、

その絵には最低限のデッサン力がある。

必ずしも写真の様に正確な絵だけがデッサン力があるわけではない。

どんなに稚拙な絵でも

描く対象がそれと分かればそれでいい。

それ以上の技術を磨くかどうかは本人次第なんだ。

そう先輩は言いました。

 

当時、ちょうどアンドリュー・ワイエス展をみたばかりの私には、

この先輩の言葉は新鮮で衝撃的でした。

ワイエスの絵が草木の一本一本まで正確に描く

スーパーリアリズムだったからです。

 

私にはワイエスのような技術は一生無理だと

諦めていた時に聞いた先輩のデッサン論は驚きでした。

具体的には下の絵の通りです。

 

この2枚のライオンの絵を見て、

デッサン力があるのはどちらだと思いますか?

 

 



本物らしさがデッサン力のある証拠だとすれば1枚目です。

いかにもライオンだし、本物みたいですから。

 

しかし先輩に言わせると2枚ともデッサン力があります。

なぜならどちらもライオンだとわかるからです。

描いた対象が何かわかるのは、対象を描く力があるからです。

その力をデッサン力と言うならば、2枚ともデッサン力はあります。

どう見てもライオンですからね。

先輩は私にそう教えてくれました。

 

ただし「面白い絵(楽しい絵)はどちらですか?」という質問にすると、

答えは変わると思います

 

今でも描いていて、どこまで写実で描こうかと考えた時に、

この先輩の言葉を思い出します。

「岩井田くん、それは好き好きなんだよ」

 

子供の絵のようなタッチで完成しても

ワイエスのような超リアルな作風まで精進しても

どちらでもお好きなように。

デッサンとはそういうものだと先輩は教えてくれたのです。

 

この考えが正しいかどうかではなく、

一つの考え方として記憶にとどめておいてもいいと思います。

 

特に絵の初心者にはこの考え方は希望だと思うので。

 

 

絵の初心者はどうやってデッサンを身につければいいの?

 

趣味で絵を描きたいと言う人はいますが、

なかなかその一歩が踏み出せない人が多い。

「どうしてですか?」と聞くと必ず

「私は絵が下手だから」という答えが返ってきます。

 

絵が下手だから勉強して上手くなりたい。

でも下手だから無理だろうと尻込みしてしまうわけです。

その気持ち、よくわかります。

 

自分には伸び代がないと思う事に敢えて挑戦するには勇気がいる。

そんな勇気を持った人は滅多にいません。

 

でも、

そうやって尻込みしてしまう人には絵に対する思い込みがあります。

 

絵は上手くなければいけない。

上手い絵とはデッサン力のある絵のことだ。

デッサン力とは、対象を正確に本物らしく描く力である。

 

こう考えてしまうと、

自分にデッサン力がある! と自信を持てる人は少なくなる。

特に初心者の場合は。

 

逆にこう考えるのも自由です。

 

絵は上手くなくてもいい。

デッサン力とは、それらしく描く技術のことだ。

だからそれらしく描けていれば下手でもいい。

その絵が下手だと言う人は無視すればいい。

デッサン力の有無より描いていて楽しいかどうかが大切だ。

 

それでも初心者はこうは考えられません。

これはプロの考え方だからです。

つまり、ある程度の余裕がなければ言えないことなんです。

 

でも前述の先輩の言葉のように、

どこまでデッサン力を身につけるかは好き好きなんだ。

初心者はこう考えた方がハードルが低くなって気が楽です。

気が楽楽しいということがとても大事なんです。

 

絵を勉強する際に、

芸大に進学するのでない限り、石膏デッサンは必要ありません。

そもそも石膏デッサンは退屈です。

私は20代の頃、画材屋で石膏のデッサン像を買って

下宿の壁に設置して毎日描いていました。

 

でも正直つまんないのね。

スケッチブック片手に近所をスケッチする方が数倍面白い。

またはバスに乗って乗客をスケッチするとか。

バス内でのスケッチはよくやりました。

 

そういう『生きたデッサン』の方が面白いんですよ。

バスや電車内でのスケッチは最初はちょっと勇気がいりますが、

慣れると他人の視線は気にならなくなります。

 

でもどうしても人前でスケッチするのは恥ずかしいという方は

無理にやる必要はありません。楽しくないからです。

 

それより、スマホで乗客を撮って、

自宅に帰ってからスマホを見ながら描く方が落ち着いて描けます。

やりたくないことや向いてないことはやらない方がいい。

人にはそれぞれ向き不向きがありますから。

自分にあった勉強法を見つけることから始めるべきです。

勉強法は他人と違ってもいいのです。

 

 

挫折せずに 絵の勉強を続けるにはどうすればいいの?

 

習い事に挫折はつきものです。

挫折する理由は上達しないからです。

楽しく描くと言っても、そもそも上達しないと楽しくありません。

ここをどうクリアするかですね。

これはプロでも難しい難問です。

 

上手く描けないつまらない希望がない楽しくない や~めた!

プロもこういう経験をします。

どうしても上手く描けない時が必ずあります。

それをどう乗り切るか?

 

どう乗り切ってるんだろう、私は?

 

まず上手く描けない時は手を止めて考えます。

画集を見たりして何かヒントはないかと探します。

こういう時間は苦痛ですが耐えるしかありません。

 

ただプロはこういう状態に慣れていますから、

「あっ、また来たな」と思えるんです。

「大丈夫、必ず乗り越えられる。今までもそうだったから」

プロの脳はそう考えるように訓練されています。

ある意味自分を上手く騙すわけです。

 

「俺はできる! 根拠はないけど、なんとかなる

私はいつもそう考えます。

で、何とかなるんですね。不思議です

 

でも初心者はこうはいきません。

何とかなると思えるには場数を踏まなければなりません。

場数とは、つまり『修羅場』です。

 

何回修羅場を経験しているか。

プロは皆この修羅場を経験しています。

プロの仕事は修羅場の連続なんですよ、実際はね♪

 

素人にこの修羅場を経験しなさいというのは酷でしょう。

修羅場なんて知らない方が幸せですから♪

だから一般の方が絵を描き続けたいと思ったら、

これはもう『楽しむ♪』しかありません。

上手い下手ではなく、いかに楽しむかです。

 

プロはある程度の上手さを求められますが

この『上手さ』というのは実は落とし穴です。

 

一例を挙げます。

水彩画は数ある画材の中で一番難しい画材です。

習得するのにはそれなりの『時間』がかかります。

この『時間』をかけてもなかなか上達しないのが水彩技法です。

 

そうは言っても水彩技法は反復練習によって上達します。

一番早く到達する地点は『写実』だと思います。

水彩絵の具は『写真のように描く』のに適しているからです。

 

手先の器用な方なら『写真のように描く』地点にたどり着けます。

ここまで来られる人は結構います。

問題は『写真のように描く』技術を習得すると

みな同じに横一線に並んでしまうことなんです。

つまり、似たような絵になってしまうんですね。

 

そこからどう抜きん出るかという壁が待っています。

『写真のように描く』のは『個性』というより『技術』です。

この『技術』は反復練習によって身につきます。

時間はかかってもある程度は身につくと思います。

でもそこから先に行ける人は少数なんです。

 

写真のように描いているけど、誰の絵か一目でわかる。

そういう絵が描ける人は少ない。

油絵やアクリル画は専門外なので知りませんが

やはり同じではないでしょうか。

 

リアルには描けても個性的にはなかなか描けないものです。

絵を描く上で大事なことは『技術』より『個性』です。

その人しか描けない世界があるかどうか。

他人に真似できない自分だけの世界です。

 

この『自分だけの世界』を創るために必要なのが『技術』ですが、

それは目的ではなく、あくまで手段です。

水彩技法の練習をしていると、

いつの間にか技術の習得が目的になってしまい愕然とします。

 

技術は手段であって目的にはなり得ません。

水彩画を描いていていつもそう思います。

「ああ、こういう絵は誰でも描けるなぁ… ここを越えないとなぁ…」

私もそう思いながら今も試行錯誤を繰り返しています。

 

上手くなるために技術は必要ですが、そこには落とし穴がある。

技術的な進歩に惑わされないことが大事なんです。

 

ですから、

絵の初心者は最初から『上手さ』を求めない方がいいと思います。

上手さより楽しさを追求してください。

 

どうやったら絵が上手くなりますか?

という質問には『楽しんでください♪』と答えることにしています。

 

プロもこの『上手さ』という落とし穴に落ちないように工夫しています。

それが『敢えて下手に描く』というスタイルです。

意図的に下手に描ける人は実は上手いのです。

サーカスのピエロと同じですね。

 

道化師は観客の前で滑稽な演技を披露します。

玉乗りをしては失敗し、ブランコからは転げ落ちるのです。

これを本当にやったら大怪我をします。

道化師はきちんと受け身を取って転びます。つまり上手いのです。

 

絵を描く時もこういうスタイルの人がいます。

ある程度上手く描けるようになると上手さに興味がなくなるんですね。

このブログでも書きましたが、リスベート・ツヴェルガー女史がそうです。

 

彼女のデビュー作のデッサンは天才的なものがありました。

このデッサン力はどんどん進化して頂点まで行くと

今度は深化していきました。

つまり、上手いデッサンを消しにかかるというスタイルに変わるんです。

 

一見ツヴェルガーさんの絵じゃないと思うぐらい変化しました。

正確なデッサンを見せる絵から深みが増して

落ち着いた柔らかなタッチに変貌していきました。

上手く描くことに飽きてしまったんでしょうか。

 

そして深化した絵は何度見ても見飽きない不思議な力を持っています。

ものすごく成長したなぁと彼女の画集を見て思いました。

すごい境地に達したものだなぁとね。

 

絵の初心者がこの境地に達するのは無理ですから、

最初から上手さを求めない方がいいのです。

プロを目指すのでない限り『描く楽しさ』が最優先されるべきです。

それが私の考えです。

 

 

ではどうやって自分の世界を創ればいいの?

 

創作とはつまるところ『自分をどう表現するか』です。

どんなに上手くても自分でなくては意味がありません。

他人と違う自分の世界を表現する必要があります。

そもそもこれはプロでも難題なのです。

 

なぜなら、

ゼロから何かを作り上げることが人間には出来ないからです。

創作するには必ず土台が必要になります。

つまり何かをヒントにするわけです。

 

有名な話では、

シェークスピア作品はオリジナルではないというものがあります。

現存するシェークスピア作品には全て種本があるらしい。

ヒントになった元の作品があるようです。

 

シェークスピアの時代は今のような著作権はありませんでした。

あったらシェークスピアは訴えられていたかも

 

あの有名な『ロミオとジュリエット』もオリジナル作品ではなく、

『ナントカとナントカ』という元の作品があったらしい。

シェークスピアはその作品を翻案したのです。

しかし彼の作品の完成度があまりにも高かったため今に残った。

どうもそういうことらしい。

 

ちなみに『ロミオとジュリエット』の元になったお話にも

実はタネ本があったそうです。元の元があった

だからいったい誰が『ロミオとジュリエット』という悲劇を

最初に思いついたのかはわからないらしい。

口承(口伝え)の作品だったのでしょうね。

 

こう考えると創作とは『何かを参考にして初めて成立するもの』です。

つまり『真似る』から『学ぶ』わけです。

何かを学ぶためにはまずは模倣することから始めます。

 

絵ではこれを『模写』と言います。

模写すると何が学べるかというと、

その絵描きさんの筆使いや絵の具の塗り方などがわかるんです。

 

好きなマンガ家の絵を真似ると

そのマンガ家がペンやベタ、トーンをどう使っているかがわかります。

そうやって『真似る』ことから『学ぶ』わけです。

 

こうして真似ているとあることがわかります。

それは『どう描いても真似られない箇所がある』ということ。

人間には手グセというものがあります。

筆跡などがそうですが、絵も同じです。

 

同じ画材を使って描いても全く違った仕上がりになります。

どうして真似ているのにソックリに似ないのか?

理由は2つあります。

 

一つ目はただの『技術不足』です。

二つ目はその人の『個性』です。

似せて描こうとしてもソックリにならないのは、

その人が持つ個性が邪魔をするからです。

 

ですから、真似る時はこの個性を伸ばすのがいいのです。

ソックリに真似られないとガッカリするでしょうが、

ソックリに描けない部分に自分が出ているかもしれません。

ですからガッカリしないで、そこを伸ばす。

「ああ、自分はこう描くんだ」そう思った方がいい。

 

ソックリに描いて完成ではただの『真似』です。

真似しているのにどこか違う。

この『違う部分』がその人なんです。

この違う部分がたとえ下手でもいいから開き直る。

私はそうしています

 

上手くなくてもいいのです。

上手く描けても、それだけでは自分の世界は創れません。

逆に下手でも自分の世界は創れるんです。

そして下手なら下手を楽しむことです。

 

自分はこんなにも下手なんだ。

何て面白いんだろうと

(悟りやな、悟り

 

 

詰まる所、絵は下手でもええんかい?

 

いいと思います♪

少なくとも『鼻につく上手さ』より数段マシです。

初心者は上手く描こうとしないで、ひたすら楽しむこと。

「ああ、今日も絵が描ける! 楽しいなぁ♪♪」

これでいいと思います。

 

 

 

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いろんなアストリッドを描こう♪(水彩画新作)

 

 

様々なアストリッドを描く

 

 

色々なアストリッドを描いてみました。

 

 

映画ポスター風アストリッド

(ワトソン紙にホルベイン&クサカベ透明水彩)

 

こんなポスター、どこかにありそうですね。

 

 

デッサン風アストリッド

(色上質紙びわ色にホルベイン&クサカベ透明水彩ガッシュ)

 

 

写楽風アストリッド

(色画用紙クリーム色にホルベイン&クサカベ透明水彩ガッシュ)

 

これはYouTubeにアップされている

『アストリッドとラファエル』のNGシーンからヒントを得ました。

セリフの途中でアストリッド役のサラ・モーテンセン

セリフにつかえて、思わずこんな顔をするので、

共演者のロラ・ドベールさんが吹き出して撮影は中断、NGになりました。

その時のサラの表情が何かに似てるなぁと考えていたら

写楽の有名な『三代目大谷鬼次奴江戸兵衛』に思い至りました。

素顔のサラさんは意外とお茶目な女性なんですね♪

 

 

立姿のアストリッド2点

(ケント紙にホルベイン&クサカベ透明水彩ガッシュ)

 

向かって左の絵は、

トレース台で参考写真をトレースしながら直接着色したもの。

右の絵は、フリーハンドデッサンに着色したものです。

 

 

絵はいろいろ工夫することで変化が出ます。

同じ人物画を続けて描いていて、飽きてきたら試してください。

 

 

 

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会心のアストリッド♪(水彩画新作)

 

 

いい絵が描けた ワオ♪

 

 

たくさん描いていると

本当にごくたまに会新作ができます

個人的によく描けたなぁと思える絵のことです。

それがこの作品です。

 

(ケント紙にホルベイン&クサカベ透明水彩)

 

 

あくまで自分で『会新作』と思っているだけで、

他人が見てどう感じるかはわかりません♪

 

これも写真を元に描いていますが、

元の写真には捜査本部の背景がありました。

完成作の絵ではこの背景を全て省略しています。

 

そもそも元の写真がとてもいい写真なのです。

その理由は、

アストリッドの神経質で不安そうな表情と横向きの上半身のポーズです。

 

写真を見たときに

まずこのポジティブな形が目に飛び込んできました。

「面白いなぁ」と思ったのです。

 

絵を描くときに、ポジとネガという考え方があります。

ポジティブな形とは主体となる物の形で

ネガティブな形とはその周りの形、つまり背景のことです。

 

この写真でいうと以下のようになります。

右がポジの形、左がネガの形です。

どうでしょうか、面白いと思いませんか?

 

参考写真を見たとき、最初に感じたのがこのポジとネガの形の面白さでした。

ですからこの絵のテーマは、

アストリッドの表情ではなく、

彼女の斜め横向きの上半身の形とそれを取り巻く背景の形なのです。

 

背景のネガティブな形を強調するために

フリーハンドで四角い枠を描きました。

それ以外は軽くスパッタリング技法で絵の具を数滴飛び散らせて

背景にしているだけです。

 

この絵にはこれ以上の要素は必要ないと思います。

 

 

♥♥

絵は作り物です。

だから、どんなに写実で描いても現実のトレースではありません。

あくまでも画面上で創り上げていくものだと思います。

 

このアストリッドの絵はいつものフリーハンドではなく、

写真から鉛筆で輪郭をトレースしました。

そこまでは写真の写し取り作業で、絵にするのはそこからです。

 

シャープペンシルの3Bで輪郭だけをざっと写し取り、

練りゴムで線をこすり、線の濃さを少し薄くしてから着色しました。

 

色は写真に沿って塗っていますが、そのままではありません。

ところどころに創作の色を加えています。

例えば髪の毛ですが、サップグリーンという緑が入っています。

またセルリアンブルーという青も混ぜています。

 

個人的にこの緑と青はよく使う色なんですが、

現実の髪の毛の色ではありません。

 

顔色の青白い部分もセルリアンブルーです。

血色のある部分にはカーマインとカドミウムレッドの赤、

それに少しカドミウムエローライトを加えています。

 

余談ですが、

カドミウムエローライトとカドミウムレッドは肌の色の基本色です。

ただし、主に白人と黄色人種に適用される色です。

なぜなら、今では『肌色』という表示は差別用語だからです。

黒人や南米に住む人の肌色は違いますから。

 

黄色と赤で肌色を作り、

影の部分はそれに青(セルリアンブルー)を加えるという基本は、

今や全人類共通の肌色表現ではないのですが、

アストリッドは白人なのでこの基本に従っています。

 

 

♥♥♥

この絵を見ると、

アストリッドの顔は楕円形の卵型、

首は円柱で

上半身は半円のさらに半分の形から成り立っています。

 

背景部分の左側は、長めの三角定規みたいです。

右の背景はボルトを締める工具のようにも見えます。

ちょうど顔の部分がボルトですかね♪

 

絵を描くときに

対象物の形と背景の形に注目して描くと面白いと思います。

人物を描こうとするとどうしても感情表現が主となります。

喜怒哀楽が描けているか。

人物の性格が描けているか。

漫画風のイラストの場合はキャラが描けているかどうか。

 

そういう描き方もありますが、

人間ではなく『何かの形』として認識する描き方もあります。

このアストリッドの絵は、

アストリッドという女性であると同時に

『面白い形』でもあるんです。

 

描き方は自由です。

どう描いてもいいと思いますが、

絵とはこういうものだという先入観にとらわれずに

色々な視点や考え方で描いてみると楽しいと思います。

 

 

 

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アストリッドとサラを比べてみよう♪(水彩画新作)

 

 

アストリッドサラを描く

 

 

さて、

アストリッド・ニールセンと演じるサラ・モーテンセン

どれほど違うかを比べてみましょう。

もう全然違います。

 

まず、自閉症のアストリッド・ニールセンです。

神経質そうな感じがよく出ていますが、

これは全て演技によるものです。

アストリッドを演じるサラ・モーテンセンさんはこんな感じです。

 

どう見ても別人です。

YouTubeに素顔のサラ・モーテンセンさんのインタビューがありますが、

とても利発なお嬢さんという感じです。

女優おそるべしですね

 

 

 

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