月おとこ
トミー・ウンゲラー 評論社
★★★★★ ただただ感心する面白さ!

世界的に有名な絵本作家なので、ファンの方は多いと思う。
実は私も大ファンなのだ。
トミー・ウンゲラーさんはフランス人である。
憧れのアメリカに渡り、夢を叶えようとしたが病気になり、
食うや食わずで絵本を描いて売り込んだ。
あまりの空腹のため、編集部で倒れてしまったらしい。
壮絶ですね、この方は!
ところが親切な編集者が気の毒に思い仕事をくれたという。
良かったですね~ こういう編集者は日本にはいない。
そこからはトントン拍子で出世して…
遂には、国際アンデルセン賞を受賞したのだから才能があった。
大天才だったのでしょう。
それは彼の絵本を見ればわかります。
非常に独創的である事は、一目瞭然だから。
♥
トミー・ウンゲラーさんがユニークなのは、その表現法である。
子どもの本だけでなく、大人向けの風刺画やマンガも描く。
残念ながらそれらの作品は、日本ではほとんど見られないが、
子ども向けの本は、何冊か出版されている。
ウンゲラーさんの絵はいわゆる『マンガ絵』だろう。
線画にその特徴がある。
海外にはこのようにマンガと絵本の両刀使いがいる。
ここが日本と違うところ。
日本の場合は、『手塚マンガ革命』が起こったために、
世界でも非常に珍しい形でマンガが進化してしまった。
そのため、絵本とは全く違うジャンルになっている。
日本のストーリーマンガには、絵本との共通点が全く見出せない。
比べて欧米の場合は、マンガと絵本の間の垣根がないように見える。
違うジャンルではあるが、この垣根は行ったり来たりできる。
少なくとも私にはそう見えるのだ。
ウンゲラーさんの絵本を見ているとその感を強くする。
日本のストーリーマンガではないが、
マンガ的なタッチがうまく絵本に溶け込んでいて、
そこに違和感が全くないのだ。
欧米のクリエイターにとっては当たり前のことだろうが、
手塚マンガで育った世代から見ると、これはかなり羨ましい。
欧米の絵本における『マンガ絵』は、あくまでも『絵』なのに対し、
日本の『マンガ絵』は、映画的なために説明的なのだ。
絵で表現するというより物語を補完する役目が大きい。
これは物語性が強くなればなるほど、
『マンガ絵』は『絵』から離れていくことを意味する。
だからウンゲラーさんのような絵本スタイルは、
日本では浸透しにくいのだろう。
♥♥
さて、『月おとこ』である。
なぜこの絵本が大好きなのかというと、
大人と子どもの感覚の同居である。
月に住む月おとこが、地球人の暮らしを羨ましく思い、
流れ星の尾をつかんで地上に来るというお話。
実にたわいないお話なれど、秀逸な仕掛けにより傑作となった。
子どもの本は、子どものために創るものなので、
そこに大人の感覚があまり入り込まない方がいい。これが基本。
大人の感覚の導入は、どうしても大人に都合のいいものになりやすい。
ところが大人はこれを喜ぶ傾向がある。
大人の多くが『優れている』と評価する作品の中に、
大人に都合のいい作品(特に芸術系の作品)があるので
かなりややこしいのだ。
大人になると、分かりやすさは底の浅いものと感じやすい。
もっと複雑で分かり難いものが『高尚なもの』となるからだろう。
その底の浅いものの代表がマンガ表現だった。
残念ながらそういう歴史がある日本では、
マンガ絵で子どもの本を創るという発想にならなかった。
やなせたかしさんや馬場のぼるさんらは、画家としては評価されない。
マンガ絵の描き手という認識止まりなのだと思う。
そういう垣根が欧米の子どもの本には見られない。
仲良く共存しているように私には見えて羨ましい限りだ。
私がマンガ絵を賞賛するのは、その自由さにある。
元々マンガには体制に対する反逆心のようなものがあり、
権威やその背後にあるウソを徹底的に茶化すという役割がある。
これは日本の児童書業界がもっとも嫌う通俗性に繋がる。
福音館書店の『おおきなポケット』の失敗はここらにあると思う。
自由さを嫌う世界で、反逆的なマンガ表現を創るのは無理なのだ。
そこが日本の児童書の限界なのかもしれない。
ところが欧米のマンガ絵の描き手は、
この高い垣根を実に軽やかに飛び越えていく。
トミー・ウンゲラーさんだけでなく、
モーリス・センダック、デイヴィッド・ウィーズナー、
ウィリアム・スタイグ、ヨセフ・ラダ、
そして、レイモンド・ブリッグズというクリエイターたちだ。
このブログでも繰り返し書いているが、
マンガ的センスと子どもの本の融合というのは、
決して、商業主義と一緒になることを意味しない。
むしろ逆であることを海外のクリエイターの作品が証明している。
日本の児童書業界は『通俗性・大衆性』を極端に嫌う。
そういうものに対して過剰に反応する。
それが質の低下につながると危惧するからだ。
一方、欧米のマンガ的センスというものは、
必ずしも質の低下に直結するものではなく、
『通俗性や大衆性』は、わかりやすさ、親しみやすさにつながっている。
つまり、実にセンスがいい。
『いい加減』が『低俗』にならず、『程よい加減』に仕上がる。
そのセンスの良さがある。
私はとても上品だなぁといつも思う。
上記した絵本作家のコミック的感覚には、それがある。
もちろん、センスのいいものしか翻訳しないのだろうが、
それにしても、それらに匹敵する絵本が日本ではほとんど見当たらない。
これは日本の児童書関係者にマンガセンスがないということだけでなく、
日本のマンガ表現が絵本とは別物となっているからだ。
何度も書いているが、その核にあるのが『手塚マンガ』である。
♥♥♥
『手塚マンガ』については何度も書いているので繰り返さないが、
欧米のコミックとは全く違うスタイルを生み出した。
それは他の追従を許さぬ独自性を持つと同時に、
絵本的世界から遠く離れるものともなった。
日本でコミック絵本が確立できないのはそのためである。
欧米の絵本の『絵』には、マンガの『絵』が含まれるが、
日本の場合、マンガは『絵』としては評価されない。
そういう時代がこれからも続くのかと思うと気が重い。
なんとか若い人に頑張っていただきたいのだが、
『お手本』がない。
その『お手本作り』に関しては、
私はまだ諦めてはいない。
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