岩井田治行の『くまのアクセス上手♪』

興味を持った本と映画のレビューとイラストを描く♪

天才絵本作家の傑作絵本♪

 

 

月おとこ

トミー・ウンゲラー 評論社

★★★★★ ただただ感心する面白さ!

 

 

 

世界的に有名な絵本作家なので、ファンの方は多いと思う。

実は私も大ファンなのだ。

トミー・ウンゲラーさんはフランス人である。

憧れのアメリカに渡り、夢を叶えようとしたが病気になり、

食うや食わずで絵本を描いて売り込んだ。

 

あまりの空腹のため、編集部で倒れてしまったらしい。

壮絶ですね、この方は!

 

ところが親切な編集者が気の毒に思い仕事をくれたという。

良かったですね~ こういう編集者は日本にはいない。

 

そこからはトントン拍子で出世して…

遂には、国際アンデルセン賞を受賞したのだから才能があった。

大天才だったのでしょう。

それは彼の絵本を見ればわかります。

非常に独創的である事は、一目瞭然だから。

 

 

トミー・ウンゲラーさんがユニークなのは、その表現法である。

子どもの本だけでなく、大人向けの風刺画やマンガも描く。

残念ながらそれらの作品は、日本ではほとんど見られないが、

子ども向けの本は、何冊か出版されている。

 

ウンゲラーさんの絵はいわゆる『マンガ絵』だろう。

線画にその特徴がある。

海外にはこのようにマンガと絵本の両刀使いがいる。

ここが日本と違うところ。

 

日本の場合は、『手塚マンガ革命』が起こったために、

世界でも非常に珍しい形でマンガが進化してしまった。

そのため、絵本とは全く違うジャンルになっている。

 

日本のストーリーマンガには、絵本との共通点が全く見出せない。

比べて欧米の場合は、マンガと絵本の間の垣根がないように見える。

違うジャンルではあるが、この垣根は行ったり来たりできる。

少なくとも私にはそう見えるのだ。

 

ウンゲラーさんの絵本を見ているとその感を強くする。

日本のストーリーマンガではないが、

マンガ的なタッチがうまく絵本に溶け込んでいて、

そこに違和感が全くないのだ。

 

欧米のクリエイターにとっては当たり前のことだろうが、

手塚マンガで育った世代から見ると、これはかなり羨ましい。

 

欧米の絵本における『マンガ絵』は、あくまでも『絵』なのに対し、

日本の『マンガ絵』は、映画的なために説明的なのだ。

絵で表現するというより物語を補完する役目が大きい。

これは物語性が強くなればなるほど、

『マンガ絵』は『絵』から離れていくことを意味する。

 

だからウンゲラーさんのような絵本スタイルは、

日本では浸透しにくいのだろう。

 

 

♥♥

さて、『月おとこ』である。

なぜこの絵本が大好きなのかというと、

大人と子どもの感覚の同居である。

 

月に住む月おとこが、地球人の暮らしを羨ましく思い、

流れ星の尾をつかんで地上に来るというお話。

実にたわいないお話なれど、秀逸な仕掛けにより傑作となった。

 

子どもの本は、子どものために創るものなので、

そこに大人の感覚があまり入り込まない方がいい。これが基本。

大人の感覚の導入は、どうしても大人に都合のいいものになりやすい。

 

ところが大人はこれを喜ぶ傾向がある。

大人の多くが『優れている』と評価する作品の中に、

大人に都合のいい作品(特に芸術系の作品)があるので

かなりややこしいのだ。

 

大人になると、分かりやすさは底の浅いものと感じやすい。

もっと複雑で分かり難いものが『高尚なもの』となるからだろう。

その底の浅いものの代表がマンガ表現だった。

 

残念ながらそういう歴史がある日本では、

マンガ絵で子どもの本を創るという発想にならなかった。

 

やなせたかしさんや馬場のぼるさんらは、画家としては評価されない。

マンガ絵の描き手という認識止まりなのだと思う。

そういう垣根が欧米の子どもの本には見られない。

仲良く共存しているように私には見えて羨ましい限りだ。

 

私がマンガ絵を賞賛するのは、その自由さにある。

元々マンガには体制に対する反逆心のようなものがあり、

権威やその背後にあるウソを徹底的に茶化すという役割がある。

 

これは日本の児童書業界がもっとも嫌う通俗性に繋がる。

福音館書店の『おおきなポケット』の失敗はここらにあると思う。

自由さを嫌う世界で、反逆的なマンガ表現を創るのは無理なのだ。

そこが日本の児童書の限界なのかもしれない。

 

ところが欧米のマンガ絵の描き手は、

この高い垣根を実に軽やかに飛び越えていく。

 

トミー・ウンゲラーさんだけでなく、

モーリス・センダック、デイヴィッド・ウィーズナー、

ウィリアム・スタイグ、ヨセフ・ラダ、

そして、レイモンド・ブリッグズというクリエイターたちだ。

 

このブログでも繰り返し書いているが、

マンガ的センスと子どもの本の融合というのは、

決して、商業主義と一緒になることを意味しない。

むしろ逆であることを海外のクリエイターの作品が証明している。

 

日本の児童書業界は『通俗性・大衆性』を極端に嫌う。

そういうものに対して過剰に反応する。

それが質の低下につながると危惧するからだ。

 

一方、欧米のマンガ的センスというものは、

必ずしも質の低下に直結するものではなく、

『通俗性や大衆性』は、わかりやすさ、親しみやすさにつながっている。

つまり、実にセンスがいい。

 

『いい加減』が『低俗』にならず、『程よい加減』に仕上がる。

そのセンスの良さがある。

私はとても上品だなぁといつも思う。

 

上記した絵本作家のコミック的感覚には、それがある。

もちろん、センスのいいものしか翻訳しないのだろうが、

それにしても、それらに匹敵する絵本が日本ではほとんど見当たらない。

 

これは日本の児童書関係者にマンガセンスがないということだけでなく、

日本のマンガ表現が絵本とは別物となっているからだ。

何度も書いているが、その核にあるのが『手塚マンガ』である。

 

 

♥♥♥

『手塚マンガ』については何度も書いているので繰り返さないが、

欧米のコミックとは全く違うスタイルを生み出した。

それは他の追従を許さぬ独自性を持つと同時に、

絵本的世界から遠く離れるものともなった。

日本でコミック絵本が確立できないのはそのためである。

 

欧米の絵本の『絵』には、マンガの『絵』が含まれるが、

日本の場合、マンガは『絵』としては評価されない。

 

そういう時代がこれからも続くのかと思うと気が重い。

なんとか若い人に頑張っていただきたいのだが、

『お手本』がない。

 

その『お手本作り』に関しては、

私はまだ諦めてはいない。

 

 

 

 

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あなたが絵本作家を目指すなら、この本は読むべきです♪

 

 

絵本のなかの動物

なぜ一列

歩いているのか

矢野智司・佐々木美砂 勁草書房

★★★★★ 良作!

 

 

 

 

絵本についての技法書はいくつかある。

絵本の他にもプロを目指す人を対象にした指南書は、

マンガ、文学、ミステリー、俳句などでも出版されている。

 

実際にそれらの本を読んでプロになった人は少数だろう。

創作というものは、個人の資質によるところが大きいからだ。

しかし努力で上達する部分もかなりあるので、

これらの技法書に目を通すことは無駄ではないと思うが、

創作の手助けになるような良書は実は少ない。

 

『絵本のなかの動物は なぜ一列に歩いているのか』という

魅力的なタイトルのこの本は絵本作家になるための指南書ではなく、

純粋な研究書である。

にもかかわらず、優れた指南書ともなっているので推薦したい。

特に絵本作家を目指す人には必読書の一つと断言できる。

 

 

これまでの絵本研究は、

主に『物語』と『絵』について論じられてきたらしい。

この2点をテーマにした優れた絵本研究書はあるが、

著者の佐々木女史は、それでは十分ではないと言う。

なぜか?

 

絵本には『物語』と『絵』だけでは語りきれないものがあり、

それは『空間構成のプロセス』という視点だと言うのだ。

さあ、お立会い!

 

『空間構成のプロセス』とは耳慣れない言葉ではないか。

いかにも研究書らしい表現でわかりにくい。

これを簡単に言うとどうなるのか、

実は私には上手く説明できない。

 

『空間』とは、つまり絵本の見開きページ全体を含む

絵本全体(基本は15画面30ページ)のことだろう、多分。

 

『構成』とは、

その絵本全体の空間をどう埋めていくかということだろう、多分。

 

絵本の構成は、絵と文である。

絵で表現できないものは文で書き、文で表現できないものは絵で描く。

まるで互助会のような関係性があるのだ♪ 

 

それにさらに『ページをめくる』という行為が加わる。

本は全てページをめくるという行為を伴う。当たり前だ。

しかし、絵本の場合はこの『めくり』に特別な意味がある。

 

絵本には、ページをめくると必ず新しい展開、出会いがある。

めくるたびに世界が一変するのだ。

この『めくり』のリズムが絵本の核とも言えるだろう。

 

このリズムは小説の『めくり』やマンガの『めくり』とは違う。

そもそも小説には『めくりのリズム』はない。

あるとすれば、それは極めて個人的なものだろう。

 

マンガには『めくりの効果』はあるがリズムはない。

絵本と比べるとそれは、

前ページの最終コマと次ページの最初のコマだけの関係性で、

画面全体で言うと、左ページの左下と次ページの右上だけの関係である。

つまり、『めくるリズム』と呼べるものはマンガにはないのだ。

 

絵本の場合は、部分から部分(コマからコマ)への関係ではなく、

ぺージをめくることによって前のページ全体の状況が大きく変化する。

この変化によって絵本の物語は前へ進む。

非常にリズミカルに。

 

この独自のリズムを持っているのは絵本以外には紙芝居ぐらいだろう。

そしてこのリズムと子どもの感性はとても相性がいい。

だから絵本は『物語』と『絵』だけでは語り尽くせないのである。

 

この絵本独自の物語(または状況)の変化・進展が絵本を構成している。

これらすべての過程(プロセス)には一定の法則(約束事)がある。

その約束事について、実際の絵本作品を分析しながら語ったのがこの本だ。

 

この説明でわかってもらえるだろうか?

というより、著者の佐々木女史の言わんとするところを

私は十分に理解しているのだろうか?(理解してからレビュー書けよ!)

 

この本は、その約束事をいくつかの『型』として分類している。

<行列型> <詰め込み型> <積み木型><てぶくろ型> <入れ子型>だ。

 

普段から絵本をよく読む人には何となく思い当たるだろう。

動物が行列を作る絵本、動物が特定の空間に詰め込まれていく絵本、

動物が積み重なっていく絵本、動物が狭い空間に入り込んでいく絵本、

そして規則正しい関係性を持って、動物が入れ子のようになる絵本。

絵本の主役は必ずしも動物ではないが、

これら繰り返しの型に様々なサイズを持つ動物はよく合うのだ。

 

人生(生身の人間)を描く以外の絵本は、

ほぼこのどれかの『型』に当てはまるという研究書である。

 

それを実際の絵本を解説しながら語っていて、とても参考になる。

ただ、未読の絵本に関しては全てネタバレになっているので、

読む楽しみが半減する可能性がある。まっ、大丈夫でしょう♪

 

これがなぜ絵本作家を目指す人必読の本かというと、

まず、超初心者には難しいかもしれないと言っておきます。

あくまで実際に自分で絵本創作をしたことのある中級者向けなのだ。

 

その中でも特に、絵は得意だがお話創りが苦手という人向け♪

実はお話創りが苦手な人は結構多い。

私もその一人だが希望がある。

 

それは絵本の物語は小説の起承転結とは違うということ。

この本で分類されている絵本の型は、ある意味でワンパターンだ。

小説で使えばすぐに飽きられてしまうかもしれないが、

絵本という表現法ではとても有効に働くというマジックがある。

 

絵本年齢の子どもは『繰り返し』を好む。

そのリズムに安心感を覚えるのだ。

だから、絵本の持つ一定のパターンとマンネリとは別物である。

 

あなたが絵本作家を目指すなら、

小説家のストーリーテリングは必要ない。

全くないとは言わないが、恐らく必要はない。

 

絵本に一定の型(約束事)があるように、

小説にも『王道』と呼ばれるお約束のストーリーラインがある。

仲の悪い二人は必ず仲良くなるとか、悲劇の前には幸運な場面を描き、

ハッピーエンドの前には必ず主人公は悲劇のどん底に突き落とされるとか。

 

しかし、これらの『王道』と絵本の『型』は、全く違うのである。

絵本作家は文章で語るだけでなく『絵』で多くを語れる。

絵本は視覚的な語り口を持ち、語りには『型』がある。

子どもはその『型』を繰り返し楽しむ。

 

絵本という表現法は、

『起承転結』という論理的な語りだけでなく、

視覚的な語り口もあるので、小説家のようにお話が創れなくても、

『絵』と『型』で語ることが可能なのである。

 

とは言っても全ての人がこの本を指南書として使えるわけではない。

だから興味のある人は、この本を研究書ではなく『実用書』として読み、

紹介されている絵本を手に入る限り全て読んでほしい。

 

この本は研究書なので、かなり理詰めに書かれている。

だからあくまでこの本は参考程度にして、

紹介されている絵本を読む方がいい。

積み木型絵本にはどんな作品があるのか、

てぶくろ型の絵本とはどのような構成なのか。

実際の絵本を読めばすぐにわかるはずだ。な~るほど~ と。

 

この本を参考に絵本のダミーを作ってほしい。

ダミーが一つも創れなければ、この本はあなたには向かない。

もし一つでも絵本のダミーが創れれば儲けものである♪

 

ここに紹介されている絵本の大半は新品で購入できる。

そして絵本を読むことはとても楽しいことなのだ。

さらに自作の絵本を創作することはもっともっと楽しいはずだ♪

 

絵本作家を目指す人は、ぜひ一度目を通してほしい。

この本で紹介されている『型』をそのまま使ってもいいし、

いくつかの『型』を組み合わせてもいい。

あなたにもオリジナル絵本が創れるかもしれない。

オススメ致します♪

 

 

 

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子ども向けではないが、一見の価値がある絵本♪

 

 

 

くも

しおたに まみこ 偕成社

★★★★★ ゾクゾクする!

 

 

 

 

これまで絵本の中にはたくさんの雲が描かれてきた。

子どもの本に現れる雲は、擬人化されることがある。

擬人化法は、

イソップの『北風と太陽』のようなものがほとんどだろう。

自然物の中に顔や手足がついているというものだ。

 

あまりリアルに描くと子どもが怖がりそうだ。

そういう配慮があるのだろうが、あまり配慮しない画家もいる。

イギリスのアーサー・ラッカムなどはその典型かも?

ラッカムの擬人化された樹々などは容赦がない。

かなりグロテスクだ。

にもかかわらずファンタジーを感じさせる手腕は見事である。

 

さて、雲の擬人化である。

簡単そうで、なかなか奥深いものがある。

そう気づかせてくれたのがこの『くも』という絵本だ。

 

擬人化の方法がとてもユニーク。

こういう雲は、よくよく考えても見たことがない。

どこかで見たかもしれないが思い出せない。

雲全体が擬人化されるのとはちがい、雲自体は変化しないのだ。

 

では何が変化するかというと、表紙の絵を見てほしい。

雲人間? が雲を帽子のようにかぶっている。

髪の毛だろうか? きのこ人間のようでもある。

ところがテキストにはこう書かれている。

 

でも、くもは

ちいさな ちいさな みずや こおりの あつまりだとか。

なにか かんがえたりは しなそうです。

 

この『なにか かんがえたりは しなそうです。』という部分。

科学的に説明しているように見えて、何とも不気味だ。

つまり、

『なにか かんがえたり していそうです。』とも読めるから。

怖い!

 

このフレーズがさりげない伏線になり、ラストへつながる。

実に心憎いシナリオだなぁと感心した。

 

著者は画家なのだろうが、文章が魅力的!

独白というのだろうか、

つぶやくようなシンプルな文がリズミカルで心に響く。

面白い感性だなぁと思う。

 

絵も文もちょっと含みを持っている。

これは低学年には難しい。

でも、この素晴らしい絵を見ているだけで、

小さな子どもたちも十分に楽しめるのではないか。

 

嵐の場面は少し怖い。夢に出てきそうだ。

巨大なフランケンシュタインの怪物が徘徊するような世界。

私はとっても好きなのだけど、子どもはどうなんだろう?

 

兎にも角にも、この作家の感性はユニークで本物だ。

ぜひ、子どもさんと一緒に読んで震えてほしい♪

 

 

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実にアメリカらしい絵本で、傑作と言われるのがよくわかる古典♪

 

 

アンディ と らいおん

ジェームズ・ドーハーティ ぶんとえ

むらおか はなこ やく 福音館書店

★★★★★ 快作!

 

 

 

 

ライオン大好きのアンディ少年と恩を忘れなかったライオンのお話。

この絵本は一読して物語に不自然な箇所がある。

アンディくんとライオンが出会うシーンだ。

 

注意して読むと、物語に不自然さが出ないように

ちゃんと伏線が張られている。

しかしこの伏線自体にかなり無理がある。

現実的に考えればの話だが。

 

ところが

この不自然さを全く感じさせないストーリーテリングの妙がある。

ここが子どもの本の強みだろう。

ただのいい加減とは違うのである。



♣︎

子どもは動物が理由もなく人間の言葉を喋っても受け入れる。

大人だと、ひとツッコミ入れたくなることでも平気なのだ。

 

有名なウクライナ民話に『てぶくろ』がある。

ある冬の日、おじいさんが落とした片方の手袋を見つけた野ねずみが

その手袋に住み始める。

そこへカエルがやって来て、一緒に住もうと言う。

さらにうさぎがやって来て… とだんだん数が増えていく。

 

カエルはいいとして、うさぎが手袋に入るだろうか?

さらにキツネがやって来て、オオカミ、イノシシと増えていく。

 

絵をよく見ると

小さかった手袋が動物の体に合わせてどんどん大きくなる。

それでも不自然さを感じさせない絵のマジック!

 

子どもの本にはこういうマジックがたくさんある。

でも子どもたちは、これをマジックとは思わない。

ごく自然に受け入れ楽しむ柔軟性があるのだ。

 

大人はどうしても『現実的に考えておかしい』と思ってしまう。

実はそういう人は、子どもの本を真に味わえない。

心が硬直しているからだ。



♣︎♣︎

日本人は真面目なのはいいが、真面目すぎると言われて来た。

児童書に関してはまだそういう真面目な部分が残っている反面、

そこまで自由でいいの? と少し違和感を覚えるような作品もある。

 

この硬直した真面目さと対極にあるのがアイデア絵本だ。

度肝を抜くようなアイデアで子供も大人も虜にしてしまう。

このアイデア絵本に関しては、

一過性のブームなのか新しい表現形態として定着していくのか、

その判断が私にはつかない。

 

イデア絵本自体は昔からある。

五味太郎さんの絵本のほとんどはアイデア絵本と言えるだろう。

そういうジャンルはすでにあるので新しくはないが、

最近のアイデア絵本のいくつかは少し違う。

 

発想の元がこれまでとは明らかに異質なのである。

わかりやすく言えば、お笑い芸人のフリップ芸のような感じだ。

ベテラン芸人ではバカリズム氏が有名だろうし、

最近の若手では、友田オレという才人まで現れた。

 

これらの芸人さんの中には画才のある人も少なからずいて、

実に味のある絵を披露しながら笑わせてくれる。

 

カラテカのボケ担当の矢部太郎さんなどは、

芸人よりもマンガ家の才能が開花している。

決して達者な絵ではないが、実に味のある絵を描く。

絵本も創作しているのではないでしょうか。

 

こういう芸人さんの独特の感覚に非常に近い感性を持つ絵本。

主に『お笑い』がその核にある絵本を最近よく見かける。

それがここで言うアイデア絵本である。

 

これが子どもの本の未来を担う新ジャンルなのか

ただの一過性のものか判断がつかないのは、

この手の作品の創り手の質なのだ。

子どもだけでなく、大人をも巻き込んで笑わせ喜ばせる才能。

それがあるのは間違いない。何十万部も売れているのだから。

 

でもこの才能は、子どもの本を創る才能なのだろうか?

私にはそこがわからない。

 

子どもたちを笑わせ喜ばせるのなら、

芸人でもマンガ家でもゲームクリエイターでも出来る。

子どもの本の描き手でなくてもいいだろう。

 

子どもたちを喜ばせる人と子どもの本を創る人を

区別した方がいいと考えるのは、

現在、日本で減少しているのが、

この『子どもの本を創る人』ではないかと思うからだ。

 

子どもを楽しませる人が全て子どもの本の創り手ではない。

最近の売れ筋のアイデア絵本を見ると、

そういうことを考えてしまう。


♣︎♣︎♣︎

このように理詰めに考える必要はないのだけれど、

マンガの歴史を見ているとそう思わざるを得ないのである。

 

昔のマンガは子どもマンガと大人マンガしかなかった。

普通、マンガ家といえば、全て子どもマンガ家を指した。

 

ところが劇画という新しいジャンルの登場により、

青年(成年)コミックというジャンルが生まれた。

このジャンルのマンガ家の読者は子どもではないから、

子どものことを知らなくても創作ができるようになった。

 

私が子どもの頃は、

子どものことが知りたければ、小学校の先生に聞きなさい。

それでもわからなければ、マンガ家に聞けばわかる。

そう言われた。

昔のマンガ家は、小学校の先生より子どもに近い場所にいた。

そうでなければ仕事にならなかった時代だ。

 

ところが最近のマンガ家の大半は子ども向けのマンガを描かない。

それでも仕事ができる環境が整ったから。

 

かつてこれと同じようなことが絵本の世界にも起った。

マンガ界の劇画表現と大人向け(芸術)絵本ブームがリンクしたように。

そういう反省から、何とか絵本は子どもに向き合うようになった。

 

大人向けの絵本は今でもあるが、

絵本はまず子ども向けが中心である方が健全だという原点に戻った。

私はそう見ている。

 

それでも『絵本』という魅力的な表現はクリエイターを刺激する。

子どもに興味がなくても絵本は創れるからだ。

こうして創作された絵本は、必ずしも大人向けではなく、

むしろ若者向けだったり、絵本ファン向けだったりする。

 

絵本であっても子どもの本とは微妙に違う。

絵本作家であっても子どもの本の作家ではない。

そういう人たちがこれから増えていくのではないか。

 

それが子どもの本にとって幸せなことかは私にはわからない。

 

実は私も子どもの本とは何なのかの答えが未だにつかめない。

だから特に古典と言われる絵本や童話をよく読むことにしている。

そこに大切なヒントが必ずあると思うから。

 

古典はもう古いという人がいる。

そら古典だもの古いさ。

でも、そういう古い作品を熟読していると感じるものがある。

上手く言葉にできないのだが、豊かな心持ちになれるのだ。

ゆったりとした居心地の良さを感じる。

1930年~1950年代に創作された欧米の絵本や童話作品が持つ

あの豊かさの謎が知りたくて仕方ないのだ。

 

どうやら私はかなり保守的な人間のようだ。

歳のせいもあるのだろうが、

無性に昔の絵本や童話、マンガに惹かれるのである。

 

昔と今では、豊かさの定義が違うのかもしれない。

 

面白さでは日本の児童書もなかなかのものかもしれないが、

心のしなやかさ・豊かさでは、欧米の絵本や童話の方が優っている。

私には今はそう思える。

 

日本人の真面目すぎる面も少しづつ変わっていくだろうが、

しなやかさを得るための訓練として、子どもの本はとても役に立つ。

 

『アンディとらいおん』は、

その意味では大人にこそ読んでほしい絵本です。

 

 

 

 

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子どもの本のお手本となる絵本♪

 

 

 

ちいさい おうち

ばーじにあ・りー・ばーとん ぶんとえ

いしい・ももこ やく 岩波書店

★★★★★ 大傑作です!

 

 

 

 

 

バートン女史の代表作でアメリカ絵本の傑作のひとつ。

日本では、1954年に出版され、現在97刷である。

いかに息の長いロングセラーかがわかる。

 

この絵本は女性に人気があるようですが、

男女関係なく楽しめる傑作絵本です。



 

静かな田舎に小さな家が立っていました。

建てた人は、孫の孫のそのまた孫の代まで立派に建っているだろう、

そう確信するほどのお気に入りでした。

 

小さな家もこの田舎がとても気に入っていました。

ちなみにこの家は女性という設定です。

サブタイトルに『HER-STORY』とありますから、

一人の女性のお話なのです。

 

 

遠くに都会の灯りが見えると、

都会に住むってどんな気持ちかしらと思うのですが、

やはり大好きなこの場所が彼女の一番のお気に入りでした。

 

ところが時が経ち、家の周りが少しずつ変化していきます。

馬車の代わりに自動車が現れ、道を舗装し始めます。

その道を車が通るようになり、車の数はどんどん増えていきます。

 

ガソリンスタンドが建ち、小さなお店が次々に現れます。

畑の中には新しい道路ができ、アパートや公団住宅や学校や駐車場、

小さな家はそれらの新しい建物に囲まれてしまいます。

 

そして夜になっても暗くならない大都会になってしまう。

高架線の下、大きなビルに囲まれた小さな家を振り返る人はいません。

 

そんなある日、昔この家に住んでいたおばあさんのひ孫が

この小さな家を見つけ、

業者さんに頼んで家ごと田舎に引っ越すことになります。

 

そしてすべては元通りになるというお話です。

誰が読んでも感動することでしょう。

 

 

この絵本がアメリカを代表する傑作絵本と言われるのは、

この作品が子どもの本として、高い完成度を持っているからでしょう。

しかし大人の私はどうしても深読みをしてしまいます。

 

この絵本にはバートンさんの社会を見る確かな眼がある。

それは文明批評とも言えるかもしれません。

初読の時、私はそんなことを考えました。

 

大人がいかにも喜びそうなテーマです。

単なるおとぎ話ではない、確かな批評眼がある。

小さな家は文明の進歩に翻弄される人間かもしれません。

チャップリン『モダンタイムス』の中で訴えたものと同じ、

人間が人間らしく生きるにはどうすればいいかという叫びを

この小さな家が体現しているように感じました。

 

チャップリンに比べるとソフトな表現ですが、

とても強い芯を感じる絵本なのです。

こういう作品を読んだ大人たちは

色々と理屈をこねたくなるかもしれません。

 

子どもの本ではあっても大人の鑑賞に耐え得る。

芸術的にも申し分ない。

ここには単なる子どもの本を超えたものがある。

絵本表現の可能性を押し広げた。

 

そして最後にこう言うかもしれません。

 

もはや絵本は子どもだけのものではない。

 

この後に来たのが大人の絵本や芸術絵本のブームで、

結果、子どもたちが置き去りにされてしまいました。

 

ここには、子どもの本は大人の本の下に位置するという考えがあります。

だから大人の鑑賞に耐え得る作品にならなければ価値がない。

そういう無意識の偏見があるのです。

 

かつて児童文学とは何か? という問いに、

子どもも読める文学だと答えた人たちがいました。

つまり大人がメインで子どもはおまけという感覚です。

当時、こういう考えを支持した人は少なからずいたのです。

 

子どもの読み物として完成するという考えではなく、

そこから上がって大人の鑑賞に耐えて初めて完成なのだと言うのです。

私はものすごく違和感を覚えました。

 

思想、芸術、文明批評は子どもの本に不可欠なものではありません。

あってもいいけど、なくてもいいのです。

でも大人はこういう権威に近いものが大好きです。

自分の居場所へ行くための通行手形になるからでしょう。

 

ところが『ちいさい おうち』という絵本は、

そういう権威の面から語られることはほとんどありません。

 

古典であり、名作であり、傑作であると言われることはあっても

子どもを超えた大人の読み物に昇華されているとか、

深い思想を表現する絵本の可能性を秘めているとか、

もはや子どもだけに読ませるにはもったいないほどのレベルの高さを

もち合わせた最高の芸術作品である、

なんて言う声はほとんど聞いたことがありません。

 

それはなぜなのでしょうか?

バートンさん自身の言葉を借りるとこういうことらしい。

 

「歴史を全体像としてつかむこと」「時の流れといった考え方」

子どもにわかる言葉で伝えようとした(ウィキペディア参照)

 

そこには、チャップリンのような皮肉や風刺というものはなく、

『歴史』と『時の流れ』がメインテーマだと言うのです。

ちょっと意外です。

 

そういう視点で描いた絵本だとは想像もできませんでした。

この二つの視点がバートンさんの優れた才能なのでしょう。

 

子どもの本をそういう視点で描く作家は滅多にいませんから。

 

そうは言ってもこういう作品は、

やはり大人が色々と小難しい理屈をつけたがるもの。

そうならなかったのは、

バートンさんが天性の子どもの本の作家(画家)だったからです。

 

まず、絵が圧倒的に可愛いのに、子どもに媚びていない。

これを芸術や文明批評なんて言うのが恥ずかしくなるほど、

ただひたすら可愛い絵本なのです。

 

この絵からは、

大人の理屈を近寄せない凛としたものを感じます。

 

さらに、読んでわかると思いますが、とにかくお話が面白い。

この小さな家(彼女)がいったいどうなってしまうのか。

それがとにかくハラハラドキドキなんです。

 

おそらく子どもたちもそうなのでしょう。

この動くことのできない家をなんとかしてあげたい。

何とか幸せになってほしい。

そう願いながら読むにちがいありません。

 

このストーリーテリングには、大人の都合が入り込む余地はありません。

お話自体が完璧に子どものものなのです。

 

いったいどうやったらこんな絵が描け、こんなお話が書けるのか。

才能のない私はただただ脱帽するのです。

素晴らしい才能だなぁと。

 

これから子どもの本を描(書)こうという人。

現在創作中だけど、道に迷っている人。

そういう人たちにとって、

とてもいいお手本になる絵本です。

 

子どもの本は、こういう方向に向かっている限り、

絶対に道を間違えることはないと思います。

 

お勧めいたします♪

 

 

 

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差別を乗り越え復活した絵本♪

 

 

 

ちびくろ・さんぼ

ヘレン・バンナーマン 瑞雲社

★★★★☆ よく出来てます!

 

 



 

 

最初はイギリスで手作り絵本として作られ、

後に公刊され大人気となった快作。

オリジナルは、ヘレン・バンナーマンさんの絵と文で出版されている。

この原著は現在は中古本でしか入手できない。

 

元々はイギリスで創られた絵本だが、

アメリカに渡り、かなりの海賊版が生まれ、

そこから日本に入ってきたらしい。

 

だから、

ここで紹介するフランク・ドビアスさんの絵もオリジナルではない。

でも日本で出版されたのは、このドビアスバージョンらしい。

 


当時は今と違って、日本語を横文字で読む習慣がなかったため、

すべて縦読みに変えられている。

当然、全体のレイアウトも変えられてしまった。

 

その時、カットされたイラストが数点あったようだが、

今回、当時カットされたイラストを全部掲載しているという。

ただし、縦組みの文字はそのままだ。

 

著作権法がなかったので、海賊版を自由に作れた時代。

今思うと、とても大らかな時代だったと思う。

だから、私が子どもの時に読んだバージョンがどんなものだったか、

今となってはもうわからない。

かなり質の悪い海賊版を読んでいた可能性がある。

 

それでも、トラが木の周りをぐるぐる回っているうちに、

バターになってしまうという有名なシーンだけはハッキリ覚えている。

そこにいくまでのエピソードは全く覚えていない。

さんぼのキャタクターもぼんやりとしか記憶にない。

 

とにかくトラがどろどろに溶けてバターになるという発想。

トラの体色がバターに似て黄色いからということなんだろうけど、

この発想が今読んでもぶっ飛んでいる。

ちびくろ・さんぼと言えばこのシーンがとにかく有名だからだ。

 

今回じっくりと読んでみて驚いたのは、ドビアスさんの絵である。

太い輪郭線で描かれた人物や動物、風景はとても独創的でオシャレだ。

色は、赤・黄・緑・青の4色と黒のみ。

そして絵柄が造形的にとてもユニークなのである。

 


当時も、とてもモダンで時代を先取りしてたんじゃなかろうか?

さらにデッサン力が半端なくすごい!

その安定感に惚れ惚れする。ピカソみたいです♪

相当の描き手だったのだろうと思う。

 

26ページのさんぼが傘を持って立っている横向きの全身像の絵なんか、

震えるぐらいに素晴らしい!

とても愛らしいキャラクターなのだけど、

今でも不快感を感じる人が大勢いるのだろうか?

 

 



 

日本に住んでいると、

こういう人種間の問題にほとんど触れる機会がないので、

かなり鈍感になっているにちがいない。

オリジナルではないこの復刻版でも十分にその面白さは堪能できるので、

ぜひ自分の目でその価値を確かめてほしい。

 

お勧めいたします♪

 

 

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くり返し くり返し読んでほしい絵本♪

 

 

 

ぞうのホートン たまごをかえす

ドクター・スース 偕成社

★★★★★ 快作です!

 

 



 

日本人にはあまり受けないのだろうか?

ドクター・スースの絵本は、現在新品で買えるのはこの本だけらしい。

私は個人的に大好きな絵本作家なので残念である。

 

ドクター・スースさんは、

アメリカでは大人気でたくさんの作品が出版されている。

英語版なら入手できます。

 

日本の児童書業界が長年大事にしてきた

『面白くてためになる』内容とは真逆の世界を構築した絵本作家である。

とにかく面白さに徹する姿勢がプロなのだ。

それもワンアイデア絵本ではなく、練り込まれた脚本が素晴らしい。

練って練って練りこんだ物語の見本のような作品である。

 

大人になってみると、

スースさんのような作品の方が心に深く残っていたりする。

大人が求める『ためになる』とは何なのだろうかと考えてしまう。

 

 

日本の児童書業界を長年支配してきた鉄則がある。

面白いだけではダメだ。何を書くかが大事なのだ。という考えだ。

それ自体は悪くはない。むしろ好ましいかもしれない。

 

ところがこの鉄則を使うのが大人であることに問題があった。

真面目で融通が効かず視野が狭い。

そういう人ばかりではなかったろうが、ほとんどがそんな人たちだった。

 

その結果、息が詰まるという閉塞感を招いた。

私にはそう見えるが、当事者たちは自覚はなかったと思う。

 

『ためになる』という考えのどこに問題があるのだろう?

いいじゃないかと言う人はたくさんいる。今も。

そういう人たちは落とし穴に気づかない。

 

子どもの本は大人が創るものだ。

そしてこの社会を支配しているのは子どもではなく大人である。

だから、子どもから支持される本を創るだけでは居場所を得られない。

すべての大人には居場所が必要なのだ。

 

子どもの本を創る大人にも自分の居場所が必要である。

それが『権威』の周辺にたくさんあるらしい。

権威というお墨付きを得られると居場所だけでなく、

色々と生きていくのに都合が良くなる。

大人の世界はそう出来ている。

だから権威を欲しがる大人はたくさんいるのだ。

 

『ためになるもの』を創ろうとすると、知らずにこの権威に近づいてしまう。

近づいたことすら気がつかないかもしれない。

そこに『落とし穴』があると思う。

 

手塚先生はこう仰っていました。

 

子どもたちがおもしろがって、自分から手に取って読んでみたら、

じつに栄養になった、というふうでありたいのです。

(『ガラスの地球を救え』P.67)

 

大人にとって都合のいい子ども文化になってしまっていないか

との反省が必要です。

(『ガラスの地球を救え』P.154)

 

子どもの本の仕事は、子どもだけに支持されてもダメで、

必ず大人たちの支持と評価が必要になります。

子どもの本の主役は大人なんです。

大人に評価されなければ居場所はありません。

 

だから、大人にとって都合のいい子ども文化になりやすい。

その方が簡単だし、楽ですから。

 

そういう『落とし穴』に落ちることなく、

子どもたちがおもしろがって、

自分から手に取って読んでみたら、じつに栄養になった

という本を書くにはどうすればいいのでしょうか?

 

その答えはいくつかありますが、

ドクター・スースさんの絵本は、その答えの一つです。

 

 

というわけで、ホートンである。

ホートンは象である。とても気の良い象なのだ。

 

物語の冒頭に登場するのは、なまけもののメイジーという鳥の母親。

『なまけもの』というネーミングが泣かせる♪

物語は、すべてこのメイジーが『なまけもの』だから起こる。

『なまけもの』でなかったら成立しない物語である。

 

メイジーは何に対して『なまけもの』かというと、子育てである。

もういきなり『ためになる』設定ではない。でもとてもワクワクする♪

何と! この絵本は育児を放棄する母親が冒頭で登場する。

これをどうやって子どもの本に仕上げるのか。

そこがスース先生の腕の見せ所だ。

 

一日中卵の上に座っているなんて、何て退屈なのかしらと、

この母鳥は身もふたもないことを呟く。

このままではただの育児放棄の悲惨な物語だが、救世主が現れる。

象のホートンくんである。

 

「ちょいとお兄さん、あたしの卵を代わりに温めてくれない?」

すごいね、この母鳥は! いきなり育児を他者に押し付ける。

 

ところが気の良いホートンくんは引き受けてしまう。

で、母親メイジーはどうするかというと、フロリダへ遊びに行ってしまう。

聞いたか。フロリダだ。パームビーチだ! 何だよこの母親は!

 

これがスースさんの世界である。もう大好きなのだ♪

ためにならないにもほどがある。

 

育児放棄された卵をホートンくんは律儀にも温める。

雨の日も風の日も嵐の日も真冬の寒さにもめげない。

 

何しろホートンくんは、一度引き受けたことはやり通す。

約束したことは守るのだ。おっ、何だかためになりそうな…

 

象は正直者で通っているらしい。

だからホートンくんは、卵を温めるというメイジーとの約束を守る。

うん、ためになりそうな展開だ♪

 

ところが森の動物たちは、ホートンを見て笑う。

そりゃそうだ、何しろ象が鳥の卵を温めているのだから。

しかし正直者のホートンくんはメイジーとの約束をあくまでも守り通す。

 

そこへハンターが現れて、事態は大変な方向へ向かう。

 

果たして卵はかえるのか? 

メイジーは帰ってくるのだろうか?

ホートンくんの運命やいかに?

という絵本である。

 

ためになってもならなくても、

ここまで来ると嫌でも最後がどうなるか知りたくなる。

 

腹が立つのがメイジーだ。

コイツ、パームビーチで日光浴してるんだぜ!

 

そもそも象が温めた卵がちゃんとかえるのだろうか?

無事産まれたとして、子育てはどうなるのだ?

メイジーは、二度と卵なんか温めないって言ってるんだぞ!

 

もう知りたいことのオンパレードじゃん。

 

ところがこのとっ散らかった物語に奇跡のオチがつく。

このオチには感心する。ああ、そうなるのねと♪

このオチの発想に、子どものような柔軟性があり驚く。

そこまで飛躍して考えるんだと私はひっくり返った。

 

何という善意の世界! 何という可笑しさ♪

多分、ためになっているんだろう♪

 

何度読んでも面白い♪ くり返しくり返し読んでも飽きない。

お勧めいたします。

 

 

 

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