賢者の贈りもの
O・ヘンリー傑作選1
★★★★★ 微笑ましい!

何十年かぶりにO・ヘンリーを読んでみた。
とても面白いです♪
そして思うのは、これは『お伽話』だなぁということだ。
一つ一つの短編が実によく出来ている。
出来すぎている。
およそリアリティとは縁遠い作品群である。
ご都合主義の玉手箱とでも言おうか。
そのタイミングでその出会いはないだろう。
それはあまりにも辻褄が合いすぎるだろう。
そういう作品である。
そして思うのだ。これは何かに似ていると。
そう。『子どもの本の質感』に近いんじゃないか。
ちょっとこじつけだけど♪
♥
O・ヘンリー(本名:ウィリアム・シドニー・ポーター)は、
アメリカを代表する短編の名手という評価が定番になっている。
もちろん童話作家ではない。
訳者の小川氏は『あとがき』でこう述べている。
O・ヘンリーは二十世紀のトップバッターというよりは、
十九世紀のラストバッターではなかったかと訳者は思う。
(P.266)
私はこの言葉にハッとした。
ああ、そういうことなのかと。
二十世紀の文学は、O・ヘンリーのような物語が影を潜め、
どんどんリアルな方向へ向かった。
科学が幅を利かせ、あらゆることが科学的に語られるようになり、
精霊や妖精、山の神や海の神は信じられなくなっていく。
大げさに言えば、おとぎの国の崩壊を目撃する時代になったのだ。
この影響は様々なものに及び、子ども文化も例外ではなくなった。
日本ではマンガの世界にこの影響が現れた。劇画の台頭である。
その影響は子どもの本にも及び、芸術絵本の全盛期を迎える。
空想やおとぎの国は夢物語の安っぽいものと見下されてしまう。
現実的なものが持てはやされる時代になった。
夢がなくなったのだ。
O・ヘンリーは、この夢の最後の紡ぎ手だったのかもしれない。
それほど現実離れした物語の集まりなのである。
表題作の『賢者の贈りもの』はとてもよく出来たすれ違いの物語。
しかし、こんなにも面白く切なく微笑ましく物事がすれ違うだろうか?
ここには明らかに露骨な作為がある。
しかしその作為が心地いい。
お伽話だからだろう。
『春はアラカルト』は、偶然と偶然が絶妙のタイミングで重なる。
それが微笑ましいハッピーエンドへ向かう。
『緑のドア』もこんなに素敵な偶然なら何度あってもいいだろう。
『巡査と賛美歌』は、ここぞという時に思い通りにならず、
ここでは困るという時に思いが叶うという皮肉なお話だが、
こんなにうまくすれ違うものだろうか?
これは明らかにコメディだ。
『赤い酋長の身代金』もコメディである。
誘拐した子供がよりによって
『ロケット花火に二本の足が生えたみたいな餓鬼』で、
『山猫に雀斑(そばかす)くっつけて体重を40ポンドにしたようなやつ』
である確率はどれぐらいあるのだろう?
ほぼあり得ない♪
いいかげんにしねえと、まっすぐ家へ帰らせるぞ。
(P.213)
このセリフは何度読んでも可笑しい。
一体何のために誘拐したんだよと♪
そういうあり得ないようなお話が、あったら面白いなぁ
という感じで描かれている。
ありのままの現実ではなく、まさに『お話』の世界である。
『始まり始まり』で始まり、『おしまい』で終わる。
リアリズムとは程遠い物語世界。
それはおとぎの国であり、子どもの本の世界によく似ている。
空想性とユーモアで構成された作り物の世界である。
私にはそれがたまらなく心地良い。
♥♥
大人はいつ頃からそういう物語世界を忘れてしまったのだろう?
私が子どもの頃は、なかなか大人にしてもらえなかった。
「そういうことは大人になってからやりなさい」とよく言われた。
確か高校生の頃まで言われた記憶がある。
いったいいつになったら大人になれるんだと♪
それがいつの頃からか、
「早く大人になって稼げ!」と言われるようになった。
「いつまでも子どもじゃないんだ!」
親にそう言われる子どもの方が多いのではないだろうか?
子どもである時間がどんどん短くなっていく。
大人に余裕がなくなってしまったのだ。
不況で失われた30年。コロナ禍の後は物価高だ。
子どもの夢を育てるどころではないのだろう。
O・ヘンリーの短編は子どもの本と相性がいい。
『賢者の贈りもの』は複数の絵本になっている。
あのツヴェルガーさんもさし絵を提供しているほどだ。
この傑作集に収録されている作品のいくつかは絵本になり得る。
子ども向けに翻案できそうな題材がある。
それが何を意味しているかというと、豊かな物語性の証明だ。
その豊かさは子どもの本の持つ豊かさと繋がるものがある。
おとぎ話なのである。
柔らかく暖かな世界がそこにはあるのだ。
それはリアリズムではなく、作為的に創られた世界である。
まだガス燈があり、馬車が通っていた十九世紀の世界。
O・ヘンリーの世界はその少し後であるけれど、
古い時代の柔らかく暖かい質感に溢れている。
偶然の出会いや運命の皮肉、そして出来すぎた結末。
『作り物』と一笑に付してしまいがちだが、
そこには我々が失ってしまった豊かさがある。
O・ヘンリーの短編は童話ではないけれど、童話のような質感がある。
私にはそれがたまらなく心地良く、懐かしいのだ。
秋の夜長、読書の秋である。
久しぶりにO・ヘンリーのあまりにも出来すぎた物語を
読んでみてはいかがだろうか。
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