岩井田治行の『くまのアクセス上手♪』

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今読んでも体が震える感動と迫力がある 大友克洋の『童夢』♪

 

 

 

童夢

大友克洋 講談社

★★★★★ やはりすごいです!

 

 



 

童夢は、

アクションデラックス特別増刊 1980年1月19日号に第一話が掲載され、

その後は、10月5日号、81年2月1日号、7月6日号に掲載というように、

商業誌の連載としては変則的な創作だった。

 

これは大友氏の創作法が
当時の(今の)マンガ雑誌のシステムから大きく外れており、

それだけでもかなり『特殊な』マンガ家だったことを示している。

 

大友マンガの影響力は大きく、『大友以前、以後』と言われた。

これに続く『アキラ』も同じ変則的な連載方法で完結まで通したが、

作風がマンガ界に与えたほど大きな影響を制作システムに持たらすことはなかった。

 

ただ大友氏だけがそういう特殊な創作を成し得たに過ぎない。

つまり、日本のマンガシステムには大した影響はなかったのである。

 

これほどの才能を持ってしても、週刊誌化されたシステムは元には戻らなかった。

それどころか、この十年でさらに『分業化』が加速している。

これが日本のマンガにとって幸が不幸かはわからない。

 

ただ、週刊誌化され、分業化された今のシステムからは、

第二の大友は生まれないだろうと思われる。

週刊誌化と分業化による大量生産から生み出される作品は、

質感が皆同じものになるという宿命を持っているからだ。

 

特殊なものには汎用性がないということを『大友マンガ』は示している。

そこがとても残念だと、個人的には思うのだ。

 

 

作品そのものについては『素晴らしい!!』の一語である。

何と言っても童夢というタイトルがいい。

よくこんなマンガを『描いてしまった』ものだなぁとただただ感嘆するばかりだ。

 

『アキラ』が評判になった頃、こんな大友マンガ批判があった。

 

「大友マンガは、ただ正確で細かいだけで、あれなら練習すれば誰でも描ける」

 

確かそんな感じの批判だか『ひがみ』だかよくわからないのがあった。

当時の私はどう思ったかと言うと、

「そうは言っても、あそこまで細かく描く人はいなかったよなぁ」である。

この感想は今でも変わらない。

改めて童夢を読んで(見て)そう思う。

 

いくら大友氏が若かったからと言って、あそこまでよく描いたよなぁである。

そして、細かく描くなら『誰でも描ける』なら、

なぜ大友氏以前のマンガ家は『そこまで細かく描かなかったのか』である。

 

答えは簡単で、『描こうという発想がなかった』のだ。

この発想が大友氏の才能なのだと思う。

 

これはイラストレーターの和田誠氏の作画スタイルにも言える。

当時、私の知り合いが和田氏の絵を見てこう言った。

 

「あんな簡単な絵なら俺でも描ける。あれはプロではない!」

 

これも同じで、

ではなぜ誰も和田氏より先に『そう描かなかったのか? 』である。

そう描こうという『発想』こそが才能の核心なのだ。

 

確かに大友マンガのように、細かく正確に描くのは『技術』だが、

そう表現しようという『発想』が技術より大切なのである。

だから、根気、執着心、こだわりという性格的なものも、

(偏執的なものは別として)極めれば立派な才能になり得るかも?

 

 

♥♥

大友マンガの核心部分は、技術的な完成度ではなく、

大友氏の持つ『感性』に他ならない。

その感性は童夢で言えば、『超能力』をどう表現するかに発揮された。

 

超能力マンガは、

石ノ森章太郎氏のサイボーグ009幻魔大戦があった。

当時は、石ノ森マンガの表現法は革新的と言われた。

『ファンタジーワールド ジュン』などの実験的作品も記憶に新しい。

石ノ森マンガの実験は、

手塚マンガが成し得なかった景色をわれわれに見せてくれた。

 

80年代に超能力マンガを描くなら、これを超えなければならない。

大友氏は童夢のあとがきでこう述べている。

 

目から光線が出たり、杖を振り回したり……

そういう記号的なものではなく、物質をこわしたりへこましたりすることで

表現できないか試行錯誤しました。(P.249)

 

その結果として、

大友氏の発明したこの『物質をこわしたりへこましたりする』表現が、

今でも世界標準になり続けていることをとても誇りに思うのだ。

 

確かに昔のマンガは、目からよく光が出たもんなぁ

個人的には、アレ好きなんですけどね♪

杖を振って呪文なんか唱えるのもね、古いって言われるけど好き♪

そういうマンガも、もっとあっていいとおじさんは思う。

みんな大友タッチじゃ面白くないから。

 

大友マンガにはグッズになるようなキャラクターが見当たらない。

この童夢もそうで、あえて言えば『団地』そのものがキャラクターだろう。

 

圧巻は何と言っても超能力者たちによって破壊される建物の描写だが、

P.132~P.133 の描写が素晴らしい。

まるで映画トップガンの一場面を見ているような浮遊感があり、

この感覚こそが技術を超えた大友氏の才能なのだろう。

 

天地をひっくり返すという実にシンプルな発想で、

こういう臨場感あふれる画面が出来るというのは驚きである。

 

物語は至ってシンプル。

二人の超能力者が戦う。ただそれだけだ。

舞台となるマンモス団地内の人間模様も丁寧に描かれるが、

メインストーリーは戦いである。

 

誰と誰が戦うかというと、

大友氏の言葉を借りれば、社会に参加していない二人の人間、

つまり、子供と老人である。

 

およそ主人公らしくない二人が壮絶な戦いを繰り広げるのだが、

誰もことの真相に気づかない。

ただ一人、若い刑事だけが何かを察知するのみ。

 

そして何事もなかったかのように全てが平穏な日常に戻って行く。

この感覚こそがこの作品の核であり、大友克洋というマンガ家なのだ。

とても面白い才能だと思う。

 

ただ『アキラ』以後の大友氏のマンガ活動には、あまり目立ったものがない。

かなり早い時期に、その絵が老成してしまった感がある。

マンガ以外(映画・アニメ)にも才能を発揮しているようだが、

私個人としてはあまり興味がわかない。

 

読者としてはアナログのマンガを描いてほしいところだが、

『アキラ』で燃え尽きてしまったのかもしれない。

 

制作に9年かけたスチーム・ボーイというアニメを観たが、

期待したほどワクワクしなかった。

鉄腕アトムのような夢のある作品に仕上げたかったのだろうが、

ありふれた冒険アニメという感じだった。

 

ああいう健全な夢のある世界は、大友氏には合わないのではないか。

そんな印象だった。

私の周りでも、スチーム・ボーイについて語る人はほとんどいない。

 

現在、新作長編SFアニメORBITAL ERAを制作中とのことなので、

今度は期待したい。

 

 

さて、

久しぶりに読んだ(見た)童夢からは、こういう言葉が聞こえた。

 

これからマンガを描く人は、こういう風に描いちゃダメだよ。

これは僕がもう何十年も前にやっちゃったからね。

 

大友氏のこのメッセージ? を受けて、

若いマンガ家はどんなチャレンジをするのだろうか?

楽しみでもあり、不安でもある。

 

大友氏の影響を強く受けた世代は、それを超えられたのだろうか?

個人的な感想だが、

大友スタイルによる作画は、老成が早まる気がする。

絵としての柔軟性に欠けるのだ。

 

何がマンガ絵であるかの定義は今やたくさんあるので難しいが、

やはり、ディズニーや初期の手塚マンガの絵が持つ柔軟性は、

大友スタイルには見られない。

 

マンガ絵を写実的な方向に進めると

老成が早まるように思うのは、私だけだろうか?

マンガ絵に必要なものは、リアルではなく空想性だと思うのだが。

 

マンガ絵とは何だろうと考えながら、

再認識すべきマンガとして、一読をお勧めしたい。

 

 

 

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