L・フランク・ボーム B L出版
★★★★★ とにかく楽しい!
『フランケンシュタイン』と同じく有名な童話です。
ジュディ・ガーランド主演のミュージカル映画が有名ですが、
オリジナルは、ライマン・フランク・ボームの童話です。
ボームさんは、この童話を書いた動機をこう述べています。
お決まりの小人や妖精が出てこない新しいおとぎ話。
そして、子どもに『道徳』を教えるために用意する
『いやな出来事や血も凍るような出来事の盛り込まれない物語』を書きたい。
なぜなら、現代の教育には道徳教育が含まれているため、
わざわざ物語の中でまで『道徳』を学ばなくてもいいと思うから。
今の子供はもっと楽しむためだけに本を読み、
不愉快な要素は省いてしまってもかまわない。
『オズの魔法使い』は、子供たちに楽しんでもらうためだけに書いた。
ボームさんはそう書いています。
なかなか勇気ある発言だと思います。
私がこどもの本の仕事をしていた時に、
同じようなことを言ったら、完全に無視されましたから。
ボームさんの言葉は、手塚先生の言葉を思い起こさせます。
『ガラスの地球を救え』(光文社刊)の一節です。
子どもたちがおもしろがって、自分から手に取って読んでみたら、
実に栄養になった、というふうでありたいのです。
ぼくらのメッセージを、わかりやすく、おもしろい形で与えてやりたい。
また、押しつけがましかったり、強張ったものでは、
子どもには見向きもされません。
子どもの心に吸い込まれていくようなものを、
ぼくらは真剣に模索しなくてはならない時代です。(P.67)
言い回しは違いますが、
マンガの神様とボームさんは、ほぼ同じ考えです。
ロアルド・ダールさんはこれをさらに端的な言葉で述べています。
子どもの本には、ユーモアが不可欠だ。
教育的効果、躾、権威、芸術至上主義というものは、
子ども向けの作品を作る上で、大して重要でないことは確かです。
また、
課題図書などは無くても日本の児童文化に影響はないでしょう。
子どもたちがおもしろがって、自分から手に取って読んでみた
という課題図書はほとんどありませんから。
♥
さて、『オズの魔法使い』です。
ボームさんの言によれば、
子どもたちに楽しんでもらうためだけに書いた童話です。
教訓などありませんし、読んでも多分偉くはなれません。
芸術性より娯楽性重視の作品です。
長い間、日本ではこういう作品はヒエラルキーの一番下でした。
大人社会では相手にされなかった。
『オズの魔法使い』は意図的にそう書かれた童話なのですが、
では読んでもつまらないかというと逆です。とても面白い♪
大人が読んでも超面白本であることは間違いない。
ではなぜ、階級的には一番下の方に位置する作品が、
世界中で読み継がれるのでしょうか?
面白いだけではないからでしょうけどね、
面白さの他に何があるの? ということです。
私の個人的考えですが、それはキャラクターにあります。
主な登場人物全員が『何か欠けている』のです。
まずヒロインのドロシーというカンザス在住の女の子。
この子は孤児です。親が欠けています。
ドロシーの友達は子犬のトトだけです。
そして、ヘンリー叔父さんとエム叔母さんと暮らしています。
ドロシーの住む家の周囲は『どこまでも続く灰色の草原』しかありません。
ここには緑の草原が欠けています。
そのため、エム叔母さんの頬と唇も灰色になり笑わない人になりました。
ヘンリー叔父さんも毎日懸命に働くだけの笑わない人です。
ドロシーの育ての親には、笑顔が欠けています。
ある日、ドロシーと愛犬のトトは竜巻に遭遇します。
家畜小屋と共に空高く舞上げられ、
気がつくと『オズ』という国にいました。
カンザスに戻るには、
エメラルドの都に住む偉大な魔法使いの力が必要らしい。
ドロシーは黄色いレンガの道を通ってエメラルドの都を目指します。
途中でカカシに出会いますが、
このカカシは中身が藁でできているので脳みそが欠けています。
オズなら脳みそをくれるかも?
カカシはドロシーに同行します。
次にブリキの木こりに出会いますが、
がらんどうの体には心臓が欠けています。心がないんですね。
オズなら立派な心臓をくれるかも?
ブリキの木こりもドロシーに同行します。
しばらく行くと恐ろしいライオンに出会いますが、
このライオンは自分の咆哮さえ怖いという臆病ライオンでした。
ライオンには勇気が欠けていました。
オズなら勇気をくれるかも?
ライオンもドロシーに同行します。
みんな何かが欠けているのですが、
苦難の末に着いたエメラルドの都のお城に住む大魔法使いオズ。
皆に恐れられ、その姿を誰も見たことがないといわれていますが、
実はこの魔法使い、とんでもないものが欠けています。
あんたそれでも魔法使いなの?
と突っ込みたくなるほど、◯◯が欠けていました。
もう、みんな何かが欠けています。
まともな登場人物はいません。
ここがこの童話の『核』です。
主要なキャラクターが全て欠陥を持っているという物語。
何か気がつきませんか?
この童話を読んでいるほとんど全ての読者と同じなんです。
完璧な人間はいませんから。
♥♥
そういう欠陥を持ったドロシーたちに読者は感情移入します。
そしていつの間にか応援し始めるんですね。
なぜでしょうか?
ドロシーは孤児なので、親の愛を知りません。
友達は子犬のトトだけです。
でもドロシーは自分が不幸だと愚痴を言ったり、
身の不遇を嘆いたりはしません。
とても前向きな女の子です。
カカシは頭がからっぽなので世界を認知できません。
でもドロシーたちとエメラルドの都を目指す旅の過程で、
経験から世の中を知っていきます。
心がないブリキの木こりは、喜怒哀楽を感じることができませんが、
その都度、木こりという能力を活かしてドロシーたちを助けます。
臆病なライオンは、
怖い怖いと言いながらも困難に立ち向かい、皆を助けます。
オズの大魔法使いは、◯◯がないのに最後は皆の力になってくれました。
彼らは皆、『~がないにも関わらず』前進します。
アメリカでの統計ですが、
成功者の共通点は、『~がないにも関わらず』成功したということらしい。
お金がない、にも関わらず、なんとかお金を工面して会社を作った。
人脈がない、にも関わらず、東奔西走して人脈を作った。
学歴がない、にも関わらず、独学で勉強した。
これが成功した人の共通点だというのです。
どこかドロシーたちに似ていませんか?
ボームさんは、それをテーマに書いたわけではないでしょう。
書きながら、ごく自然ににじみ出てきたものに違いありません。
教訓的な要素は微塵もない物語ですからね。
それでも、ドロシーたちが困難を一つ一つ克服していく姿には、
いつの間にか拍手を送たくなります。
そういう童話です。
実によくできた童話だと思います。
♥♥♥
さて、ここまでが前振りで、ここからがこの記事の核心部分です。
『オズの魔法使い』にはたくさんのバージョンがあります。
挿絵がそれぞれ違うからです。
お話は同じですからどれを読んでも遜色ないはずですが、
挿絵が違うと雰囲気が変わります。
雰囲気どころか、作品自体が別物に変貌します。
私が購入した本は大型本で、定価が3,200円します。
翻訳は作家の江國香織さんですから豪華です。
Amazonでは、江國さんの訳は良くないと辛口のレビューもありますが、
私は全く気になりませんでした。
よほどヘボでない限り、翻訳者にはこだわりません。
こだわるのは挿絵画家です。
そしてこの本の挿絵は、あのリスベート・ツベルガー女史です。
3.200円。安い買い物です♪
32,000円でも私は買います♪
320,000円なら、1週間考えてから買うかも!
宝物です♪
ツヴェルガーさんはこの挿絵を描くにあたり、
特に準備はしなかったそうです。
挿絵のついた『オズの魔法使い』の本は持っていなかったし、
MGM映画も観ていなかったと述べています。
つまり、先入観ゼロで描き始めたらしいのです。
とにかく有名な童話ですから、いろいろなバージョンがあります。
どうしても先人の作品に引っ張られてしまいがちですが、
流石にツヴェルガーさんはオリジナリティがあります。
多分、こういう挿絵がついた『オズ』は初めてではないでしょうか?
とにかくユニークです♪
♥♥♥♥
では本題の挿絵について書きますが、
まず最初に登場するのはドロシーと子犬のトトです。
ヘンリー叔父さんとエム叔母さんはなぜが描かれません。
実はこれは心憎い演出だということが最後にわかります。
さて、このドロシーですが、
どう見てもカンザスの女の子には見えません。
ヨーロッパの雰囲気が漂う女の子なのです。
こんな感じ。
とてもいいです♪
こういうドロシーもありでしょう。
竜巻が近づいている感じがよくで出ています。
子犬のトトもいかにも童話に登場する子犬ではありません。
可愛さを前面に出す描き方ではないのです。
ここら辺が日本の挿絵と違うところでしょう。
ドロシーがオズの国でまず到着した場所が面白い。
オズの国には魔女が4人いて、東と西の魔女は邪(よこしま)で、
北と南の魔女は良い魔女という設定です。
竜巻に飛ばされたドロシーの乗った家畜小屋が落ちたところは東の国。
それも邪な東の魔女の真上でしたので、
いきなり魔女を退治してしまいます。
そのためドロシーは高貴な魔女だと勘違いされるという
この導入部が意表をついて面白い♪
東の魔女はマンチキンの国を支配していましたから、
ドロシーによって邪な魔女の支配から解放されたマンチキンたちは
大喜びというわけです。
男のマンチキンが3人登場するのですが、その登場の仕方が…
これはもうツヴェルガーさんの挿絵の力です。
この3人の後ろ姿が何ともいいです♪
先頭を行くマンチキンから、右、左、右と体が傾いています。
まずこの演出に感心させられます。
この頃のツヴェルガーさんの絵は、
初期の絵と現在の絵のちょうど中間に位置するようです。
従来のツヴェルガータッチを残しつつ、変化が見られます。
続けて登場するのは『カカシ』『ブリキの木こり』『ライオン』です。
普通の人は、こういうカカシを発想できません。
いわゆるカカシというイメージからは程遠いです。
う〜ん… どう見てもブリキの木こりです。
錆びついたまま動けません。
ツヴェルガーさんのセンスが光ります。何とも可笑しい♪
特にこのライオンが好きです。
前脚と後脚の関節のデフォルメ具合がとてもいい♪
一見するとデッサンが狂っているように見えますが、安定しています♪
こういうデフォルメ画はなかなか描けません。
計算された崩し方なんですね。
『オズの魔法使い』は絵本ではありませんので、挿絵は控えめですが、
唯一見開きで描かれている挿絵があります。
カリダーという怪物にドロシーたちが追われるシーンなのですが、
この絵だけ見開きで描かれていて迫力があります。
頭が虎で体が熊という怪物なのですが…
唸ってしまいますね、この絵には!
この本での白眉と言えるでしょう。
これは現物を見て堪能してください。
ボームさんの童話だけ読みたい方は他の本でもいいと思いますが、
ツヴェルガーさんの世界を堪能されたい方には是非この本をお勧めいたします。
買って後悔はしません!
お話も絵も、学ぶことがたくさんあります。
そしてこれがラストシーンのイラスト。
ここで初めてヘンリー叔父さんとエム叔母さんが登場しますが、
全員後ろ姿というのが心憎い演出です。
めでたし、めでたし ですね♪
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