風にのってきたメアリー・ポピンズ
P.L.トラヴァース 林 容吉訳 岩波少年文庫052
★★★★★ 素晴らしい想像力!

イギリスの名作童話の一つ。
イギリスがファンタジーの宝庫というのはよく知られているが、
もう一つは冒険小説の本場であるということだ。
イギリス人はこの二つが大好きらしい♪
空想と冒険というのは、物語の基本的要素でもあるだろうう。
かのイアン・フレミングの007がそうである。
荒唐無稽とアクションは、そのまま空想と冒険に置き換えられる。
子供だけでなく、大人もこの二つが大好きなお国柄らしい。
『メアリー・ポピンズ』は出版当時、
イギリスの本としては珍しく1年で5万部が売れたと解説にある。
子供はもちろん、大人も食いついたのだ。
この子供と大人を夢中にさせるお話とは一体どんなものなのか?
出来のいい1964年のディズニー映画はアメリカ人の感覚で作られたが、
果たしてオリジナルのイギリス版原作童話はどういうお話なのか?
読んでいるようで実は読んでいなかった本の一冊なので読んでみた。
♥
まず最初にワクワクするのは目次である。
全部で12章から成るこのお話の第1章は『東風』で始まる。
そして最終章の第12章は『西風』で終わるのだ。
これだけで私はもうワクワクしてしまう。
この構成がまず見事である。
ヒロインのメアリー・ポピンズは、
東風に乗ってやって来て、西風と共に去っていく。
まるで西部劇のさすらいのガンマンのように♪
ジュリー・アンドリュースが演じたメアリー・ポピンズは、
子供に寄り添う家政婦兼子供の養育係として描かれる。
アメリカ人はそういうシナリオを考えた。
あくまで子供にとっての理想のお世話係である。
子供たちの父親バンクス氏は、
厳格で躾に厳しい家政婦を求めるのだが、
子供たちは優しく歌の上手い家政婦を要求する。
結局、子供たちの要求通りの家政婦が空からやって来る、
というのがディズニースタイルのメアリー・ポピンズである。
ところが本家のメアリーさんは全然違う。
目次の次に驚いたのは、このヒロインの設定である。
本文に書かれているポピンズ女史の性格描写がそれを雄弁に語っている。
メアリー・ポピンズとは実にこういう人物だと具体的に書いてある。
これがいちばんの驚きだった。
♥♥
原作の物語は、子供の世話をしていたケティーばあやが
バンクス家を去ってしまうところから始まる。
この時点で、バンクス家の子供たちが相当扱いづらいことがわかる。
ジェインとマイケル、そして双子のジョンとバーバラは強者なのだ。
バンクス氏の奥さんが子供の世話係募集の広告を方々の新聞社に送った日の夕方、
バンクス家の門に人影が現れる。
まるで風に運ばれて来たかのようにスムーズに庭に入って来た女性。
これがメアリー・ポピンズ女史である。
ディズニー映画のように傘をさして空から降りては来ない。
何気なく風に『運ばれて来た』ように見えるだけである。
窓からその光景を見ていた子供たちは興味津々なのだった。
そして紹介状も持たずにやって来たポピンズ女史は、
バンクス奥さんの面接を受けるが、
奥さんが保証人のことを尋ねると意外な答えが返って来る。
「保証人のことでしたら、
わたくしは、けっして申しあげないことにしています」
(P.17)
一体何故なのかと問い詰めるときつい声でこう言われる。
「たいへん旧式な考えです。わたくしの考えますのに」(P.17)
これから大事な子供の世話を任せようという相手が保証人のことを言わない。
しかも保証人のことを雇い主に述べるのは、たいへん旧式だと言うのだ。
この女、ただの不審者ではないかと心配しながら読み進める。
ところで、バンクス夫人の一ばんきらいなことは、
旧式だと思われることでした。りくつぬきに、がまんできないのです。
そこで、すぐいいました。
「それなら、けっこうです。まあ、そんなこといいことにしましょう。」(P.17)
おい、ちょっと待て! いいのかホントに?
なんと驚くべきことに、
バンクス夫人は保証人不明の女性に子供の世話を任せてしまう。
ところがこの部分を読んで何の違和感も感じない。
これがこの作者の魔法である。
素晴らしいじゃないか♪
さて、
こうしてバンクス家の家政婦兼子供の養育係となったポピンズ女史だが、
この女性は実に驚くべき人物であることが判明するのだ。
♥♥♥
さし絵を見てもわかるのだが、
メアリー・ポピンズは実に地味な女性である。
そして、ジュリー・アンドリュースほどの美人ではないのだ。
【メアリー・ポピンズの容姿】
そのうえ、きりょうもよくはないし、たいして目をひくところもなし。
まったくのところ、あれこれひっくるめて、
いまよりいいぐあいにならないとは思いませんね、けっきょく。(P.286)
なんという言われようだろうか!
しかし、彼女の目を見たら言うことを聞かずにはいられない。
どこか変わった奇妙なところがある女性なのだ。
【メアリー・ポピンズの性格】
親切のために時間つぶしなどしない。
何一つくれたことがない。
急いでいるときは、いつも不機嫌。
いつも気取って上品ぶっている。
とても自惚れが強く、いつも一番いい姿を見せるようにしている。
必ず良く見えるという自信を持っている。
銀色のボタンのついた青い上着と青い色の帽子を身につけているときは、
どんなことにもすぐ気を悪くする。
そして、
ウインドウに映る自分の姿を見るのが大好き。
この女性は、ヒロインの条件を完全に無視している!
特に気をつけなければならないのは、
ポピンズ女史がウインドウに自分の姿を写しているときだ。
「早く行こうよ!」などと急かしてはならない。
子供たちはこのことを熟知しているので、
ポピンズさんがウインドウに映る自分の姿に見とれているときは決して邪魔しない。
このときポピンズさんには、自分以外は目に入っていないからだ。
子供たちはジッと待ち続けるのだが、
それでポピンズさんが嫌いになるかというとそうはならないから不思議だ。
自己中心的なポピンズさんをなぜ嫌いにならないかというと、
それは彼女の逆らい難い威厳のようなものもあるのだが、
何よりも子供たちにとって魅力的な特殊能力を持っているからである。
【メアリー・ポピンズの能力】
動物の言葉がわかるらしい。
宙に浮かぶことができ、絵の中に入ることができる。
磁石を片手に、一瞬で世界を回る。
空に星を貼り付けることができる。
風に乗って、コウモリ傘で空を飛ぶ。
この他にもいろいろ出来るようなのだ。
さらにこの女性の話し方が、全く子供の本のヒロインらしくない。
【メアリー・ポピンズの話し方】
不機嫌に聞き返す。怒ると声がかん高くなる。
ばかにしたように言う。人もなげに言い放つ。
フンといった調子で物を言う。
ジュリー・アンドリュースのメアリー・ポピンズとは正反対の
決して子供に媚びないし、寄り添いもしない。
デパートに買い物に行くと、自分のタイミングで「帰る時間です!」と言う。
子供たちはこの言葉がいつ彼女の口から出るかハラハラするのだが、
決まって言ってほしくないタイミングで言い放つのだ。
どう考えてもパワハラだと思うが、子供たちは渋々だが従うのである。
とにかくメアリー・ポピンズの言うことは絶対なのだ。
決して逆らうことは許されない。
にもかかわらず、児童虐待にはならない不思議。
むしろ子供たちはそういう状況を楽しんでいるように見える。
実に面白いヒロインである。
♥♥♥♥
ファンタジーにはパターンがある。
まず最初に作られたのが、おとぎ話をベースにした空想世界の物語だ。
異世界物というジャンルである。
主人公が現実とは違う不思議の国で体験する物語で、
ここにそれまでになかった新しい物語のパターンを創ったのが
イーディス・ネズビットというイギリスの女流作家である。
どういうものかというと、
舞台は我々が住んでいる現代だが、そこに不思議なことが起こるというもの。
または、不思議な何かがやって来て騒動が起こる。
現実世界から異世界に行って、また戻って来るというパターンの逆で、
子供の頃にネズビットの童話が大好きで愛読したそうだ。
そしてマンガ家になってから、ネズビットのようなマンガを描こうと考え、
『手ぶくろてっちゃん』や『オバケのQ太郎』などを描いたところ、
思いのほか、このパターンが自分に合っていたと語っている。
ネズビットの影響を受けた作家は、
ダイアナ・ウィン・ジョーンズ や J.K.ローリングだけでなく、
そして、メアリー・ポピンズもまた同様なのだ。
この童話が書かれたのは1934年なので、その時代のロンドンが舞台である。
ロンドンは空想の街ではなく、今も現実に存在する。
バンクス家はロンドンの桜町通りの一番小さい家らしい。
そこへある日、不思議な人物がやって来るというネズビットのパターンだが、
これはちょっと違うのである。
ネズビット女史が発明したこのパターンは、
現実世界から異世界へ行き冒険をして帰ってくる。
異世界での冒険は本当だったのだろうか? という余韻が残るのだが、
だいたいはその証拠が残っているのだ。
あぁ、本当だったんだと主人公は納得し読者も同じ気持ちになる。
そういう終わり方がネズビットスタイルである。
ところがメアリー・ポピンズはここでも意表をつく。
自分が不思議な現象のきっかけを作ったにもかかわらず、
子供たちと体験した出来事を全否定するのだ。
第10章『満月』というお話では、
満月の夜に誰もいない動物園で不思議なことが起こる。
ジェインとマイケルはポピンズと共にその不思議を体験をするのだが、
翌日、ジェインが「ゆうべ、動物園にいたでしょ?」とポピンズに聞くと、
その返事に驚かされる。
動物園に? わたしが動物園にーー 夜? わたしがですって?
つつましくて、おこないのただしい人間で、なにがなんで、
なにがなんでないかの、わきまえのある(中略)
とんでもない ーー いいかげんにしてください!(P.247)
ポピンズ女史の服には昨夜の証拠が確かに残っている。
にもかかわらず、その不思議体験を絶対に認めないのだ。
これはなぜなのだろうと考えてしまう。
私が小学生の頃、怪獣映画が流行り始めた。
小学6年の時に『ウルトラマン』が始まり大興奮の毎日だった。
ところが大人はすぐに水を差す。
あれは中に人間が入ってるんだよ。ほら、背中にチャックがあるだろ?
あそこを開けて入るんだよ。
そう言って子供の夢を壊す大人が結構いた。
知ってるよ、人間が入って演じていることぐらい!
ウルトラマンなんかいないんだよ。知ってるってばぁ!
果たしてメアリー・ポピンズはこの種の大人と同じなんだろうか?
いや、どうも違う。
決定的な違いは、不思議体験を起こしているのがポピンズ本人だということ。
彼女は不思議体験の傍観者ではなく、当事者なのだ。
それなのに「ゆうべは楽しかったでしょ?」とは絶対言わない。
子供たちも読者と同じ気持ちで、なぜなんだろうと戸惑う。
あの人絶対におかしい。
絵の中に入っていくし、犬語を翻訳するし、宙に浮かんだりもする。
普通の大人じゃない!
でも本人はそのことを頑なに認めようとしない。
これは子供にとって、たまらなく魅力的な大人に映るんじゃないか。
そんなポピンズ女史に子供たちは惹きつけられていくのだ。
これは子供の本の作り方の基本でもあるのだろう。
普通、子供は年下や同年代の子供より少しだけ年上の子に興味を持つものだ。
届きそうな距離で背伸びをしたがる。
私が子供の本の仕事を始めた頃は、そのことがわからなかった。
だから子供に近づこうと努力した結果、ソッポを向かれた。
あぁ、そういうことなのかと、そこで初めてわかった。
子供向けに創作をする難しさはそこにあるのだろう。
あまり子供に寄り添おうなんて思わない方がいいのかもしれない。
冷たく突き放す訳ではないが、
絶妙の距離を置いて接する。または放置する。
気持ちは子供の方を向いているのだが、目線はそらす。
メアリー・ポピンズは、その距離の取り方が絶妙で達人の域にある。
子供たちとの別れも変に感動的なお膳立てはしない。ドライなのだ。
バンクス家に滞在する期間は「風が変わるまで」とぼんやりしている。
東風に運ばれて来たこの不思議な女性は、風が変わるまでしかいない。
子供たちが泣こうがわめこうが、風が変わるまでなのだ。
そしてついにその日がやって来る。
♥♥♥♥♥
春の第一日がやって来た。
明るく爽やかで外套はもういらない。
風は西に変わったのだ。
メアリー・ポピンズはいつも通りに子供たちの世話をする。
ところが異変が起こる。
彼女がマイケルに磁石をくれたのだ。
ジェインはメアリー・ポピンズの絵をもらう。
何一つくれたことのない彼女がなぜ?
バンクス夫人にはこう言ったらしい。
「では、まいります!」
そして来た時と同じ服装で庭に出ると、雨も降っていないのに傘をさす。
すると西風が彼女の体を下から上空へ勢いよく押し上げ…
ジェインとマイケルが気がつくと、彼女は雲間に消えていた。
部屋には『また会うまで』という手紙を残して。
この童話には印象的なさし絵が2枚ある。
1枚はこれ。東風に運ばれて来たメアリー・ポピンズ。

そしてもう1枚がこれ。
西風に乗って去って行くメアリー・ポピンズ。

東風から西風に変わるまでの不思議な物語。
硬い本ばかり読んでいる方、たまにはこういう童話はいかがでしょう?
頭がシャッフルされてスッキリしますよ。
子供との距離感も何となく学べる。
オススメの大傑作童話です♪
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