岩井田治行の『くまのアクセス上手♪』

興味を持った本と映画のレビューとイラストを描く♪

生きていく上でとても大事なことって、何なの?

 

 

ユーモアって、どうよ?
 

 

 

あなたはユーモアがありますか?

そう聞かれたらどう答えるでしょうか

日本人はユーモアがない。真面目すぎると言われてきましたが、

最近の若い世代はどうなんでしょうね。

 

人生は過酷です。楽な人生はありません。

それぞれにみんな大変なのです。生きるということは。

 

そんな人生だからこそユーモアが必要だと思います。

これは心に余裕がないと難しい。

パワハラやセクハラ、モラハラなどの行為にユーモアはありません。

 

ユーモアというのは、

あなたもOK! 私もOK! という感覚でないと生まれません。

他人を認めない。俺が一番だ。

あら探しやダメ出しをする人にユーモア感覚はないと思う。

 

犬や猫などの動物に癒されるのは、

彼ら(彼女ら)がユーモラスだからです。

人間なら絶対やらないようなことを動物は普通にやります。

だから思わず笑ってしまい、楽しくなるのでしょう。

 

ロシアや中東の指導者が犬や猫なら戦争は起こりません。

対立してもとても愉快なものになるでしょうね。

少なくとも動物は無益な殺生はしません。

その点は人間より優れています。

 

行き詰まった時、

ユーモアがあれば乗り切れることは沢山あります。

ユーモアというのは人間が生きていく上で欠かせない感覚です。

 

 

ユーモアはどうやって身につけるの?

 

これは残念ながら虎の巻はありません、多分。

自己啓発本の中に、ユーモアの身につけ方という本があります。

アメリカなどでは、ビジネスの現場で欠かせないものらしい。

 

日本人のユーモアとはまた違ったものでしょうが、

要旨は、ユーモア感覚のある人は頭が良く有能だとかなんとか

本当はどうか知りませんが♪

 

ユーモアがあるということは、ゆとりがある証拠なんでしょうね。

ビジネスの現場には欠かせないなんて書いてありますから。

 

日本人のユーモアと外国のそれでは違うのでしょうが、

人間に必要な感性という認識はあるようです。

 

私が言いたいのはビジネスの現場でのユーモアではなく、

子供たちのユーモア感覚をどう育てるかということです。

なぜならイジメの撲滅につながるからです。

 

そもそもユーモアのある子はイジメなんかしないと思う。

度を越したイジメ(陰湿なもの)で喜ぶのは心が病んでいる証拠です。

まともじゃないのは確かです。大人もね。

 

子供たちのユーモア感覚を育てる一番いい方法は絵本です。

童話やマンガでもいい。

とにかく子供時代に本から学ぶのがいいと思います。

ところが日本の場合、この児童書というのが厄介なんです。

 

私のキャリアのスタートは広告のイラストレーションでした。

まぁ大した仕事はしてませんが、

小さなチラシやパンフレットなどのイラストを描いていました。

 

ところが広告では、絵がメインではないんですね。

メインは広告主が売りたい商品であり、

絵はその商品を売るための手段に過ぎません。

 

ただ、一流のイラストレーターになると創造的な絵が描けます。

私はそこまで行けなかった。途中で挫折したから。

クライアントの要求通りに絵を描くことに疲れてしまった。

 

そして子供の本の世界に転向したんですが、

私の絵の基本は手塚マンガですから、どうしてもマンガタッチの絵になる。

日本の児童書業界の連中はこれが気に入らないらしく、

「マンガは絵じゃない!」

「いつまでもそういう末端の絵を描いていてはダメだ!」

などと散々言われました。

 

末端ってなんだよ! と思うんですが、

とにかく偉いのは『文学と絵画』であり、

マンガ、デザイン、イラストはその下だと言うんですね。

そんなん誰が決めたんじゃい! と思いました。

いわゆるヒエラルキーというやつ

 

で、私はその末端の描き手でした。

 

今はどうか知りませんが、

私が仕事をしていた頃の児童書業界というのは、とにかく封建的。

お高く止まってるって感じでした。上から目線でモノを言う。

お前ら何様なんだよといつも思っていました

 

童話の挿絵の仕事が来るんですが、

原稿読んでも全然面白くない。退屈なだけ。

なぜかと言うと、ユーモアがないんです。

とにかく真面目すぎて息がつまる。

 

面白いだけじゃダメだ。ためになるものでないと。

繰り返しそう言われました。

 

で、ためになるものの代表が『課題図書』ってヤ~ツ。

あれまだやってるんですね、いい加減やめればいいのに

完全に大人の都合で作ったシステムですから『課題図書』は。

 

今は自由課題という枠ができたらしいけど、昔はなかった。

とにかく、大人が選んだためになる本を読め!

読むだけじゃダメだ。読書感想文を書け!

割引はしねえから定価で買え!

というのが『課題図書』です。

 

もうほとんどヤクザ商法です

 

私聞いたんですよ、関係者の方に。

「大人が選んだ本なんか子どもは迷惑じゃないですか?」と。

すると返ってきた返事がこれです。


「読んだときはわからなくてもいいんだ。

やがてそれが無意識のうちに血となり肉となるんだよ!」

 

これはっきり言いますがウソです。

血になりませんし、肉にも多分なりません。

そもそも無意識のうちに身についたものに有り難みはないです♪

 

小学生の時に読んだ課題図書のタイトル、覚えていません!

作者の名前、思い出せません!

読んだ本の内容、忘れました!

私の体のどの部分の血となり肉となったんでしょうか?

そんなん、何の役にも立つかい!

それが『課題図書』の正体です。

 

ではなぜこんなことが何十年も続くのかというと金儲けです。

「課題図書に選ばれた、大変名誉なことだ」

というセリフを聞いたことがありません。

 

課題図書に選ばれると半ば強制的に本が売れます。

確か半年ぐらいやってるんじゃないのかな?

全国の図書館だけでなく、学校図書館も買うんですよ。

すると印税がね、一千万とか二千万ぐらいになるわけ。

私の知ってる絵本画家はそれでマンションを買いました

 

大人の都合で子供たちに本を買わせるのなら値引きしたら?

その分が子供たち(実際は親)に還元できるんじゃないですか?

そう聞いたら答えはありませんでした。

だってそんなことしたら印税が減ってしまいますからね。

ずるいんですよ、大人は♪

 

「課題図書に選ばれて大変名誉だ」というセリフは聞きませんが、

「今年は課題図書に選ばれたので一息つける

というセリフはよく聞きました。吐き気がしました

実にインチキな世界なんですよ、課題図書というのは。

 

課題図書で読んだ本は何一つ覚えていませんが、

鉄腕アトム』や『鉄人28号』『おそ松くん』『オバケのQ太郎

『宝島』『シートン動物記』『孫悟空』『ピノキオ』『ピーターパン』

などは大人になってもよ~く覚えています。

忘れようとしても忘れられません。

 

どちらが血となり肉となったかは一目瞭然です。

これは私の場合ですが、

もちろん課題図書が血と肉になった人もいると思う。

ただし、それは主に外国の翻訳物だと思います。

 

『メリーポピンズ』『くまのプーさん』『ナルニア国物語

などの翻訳作品が大人になっても忘れられない人はたくさんいます。

日本の児童書ではないんですね。

 

じゃあ、なぜ日本の児童書は力がないのかというと

そもそも児童書の作り手にユーモア感覚が薄いんです。

あることはあるんですがセンスがね、お粗末です。

とても残念ですが事実です。

 

児童書売り場から海外の作品を一掃したらどうなるか考えてください。

かなり寂しい棚になるはずです。

マンガの場合は翻訳マンガには頼っていませんが、

児童書はというと、未だに翻訳物に頼っています。

それでも売れないようですね。

 

結局いつまで経っても自力で子供にアピールできる方法論を

手にすることができないのが日本の児童書業界の貧しさです。

 

そこで考え出したのがマンガと手を組むことでした。

ポプラ社など、マンガのコマ割りをそのまま挿絵に使用しています。

それは挿絵じゃないだろうと思うけど、売れるならなんでもありらしい。

 

ところがポプラ社商法を批判していた他の出版社も

他にいい方法がなくポプラを真似し始めました。

主体性がないなぁと失望しましたが…

 

ただ挿絵にマンガ表現を使うという発想は悪くはない。

マンガと挿絵のハイブリッド版(どちらの要素も併せ持つ)が

生まれる可能性があったからです。

 

ところが児童書の連中というのはプライドだけは高い。

絶対にマンガに頭は下げたくないわけです。

マンガの力を借りながら、マンガをバカにするんですね。

 

ほとんどの日本の児童書関係者はその程度のレベルです。

ずるいし卑怯なんですよ。

(まぁ、ちょっと言い過ぎかな♪)

 

この体質は治らないと思う。

私はもう関係ないのでどうでもいいですけど、

子供たちがかわいそうです。そう思います。

 

 

じゃあ、どうしたらいいの?

 

これはもう日本の児童書が生まれ変わるしかないでしょうね。

ただ日本の児童書は昔からレベルが低かったわけじゃない。

1960年代まではまともだったと思います。

60年代後半あたりからおかしくなった。

 

いわゆる芸術絵本が登場したあたりからだと思います。

これはマンガの世界ともリンクしていて、

マンガでは劇画という表現が登場した頃です。

 

もはやマンガは子供だけのものではない。

 

そう言われ始めた時代です。

マンガは文学より低い位置にあり馬鹿にされていましたから、

その反動というのがあったと思います。

 

白土三平氏の『カムイ伝』が出版された時の宣伝文が

『ついにマンガは文学を越えた!』

というものだったのを覚えています。

 

これはよく考えるとおかしなキャッチフレーズです。

マンガが文学を越えたらそれはマンガではないんじゃないか。

マンガと文学は別物ですから比べる意味がないのに。

 

マンガはそれだけ低いものとして馬鹿にされ続けていたので

その反動があったと思いますが、この流れが絵本にも波及しました。

 

もはや絵本は子供だけのものじゃない。

 

そう言われた辺りからおかしくなったのだと思う。

大人向けの絵本が続々と作られました。

大人向け絵本って簡単なんですよ。

子供を無視して創れますからね。

 

マンガも絵本も子供の宝物から大人の表現手段になった。

それ自体はいいことだと思うのですが、子供が取り残されてしまった。

そんな印象を受けました。

 

子供の本の作り手は大人ですから、大人社会での居場所が必要になります。

この居場所は子供に支持されるだけではダメで、

大人に評価される必要があります。

その居場所が『権威』という得体の知れないものです。

 

結局、芸術絵本というジャンルは大人が自分の居場所を作るためのもの。

そんな感じしかしませんでした。

絵本から夢や空想性が失われ、やたら理屈っぽくなって行きました。

 

マンガの世界も藤子・F・不二雄藤本弘)さんのように

子供の世界を夢一杯に描けるマンガ家がいなくなった。

 

そういうマンガや絵本を読んで育った世代が創る側になると、

やはり同じようなものしか創れない。

マンガ家が動物を描けなくなったのもその影響かもしれない。

 

子供は絵が大好きで動物が大好きです。

絵本と動物というのは子供の大好物なのに、

そういう絵本を創れる人が少なくなってしまったんです。

 

表現の手段となったマンガや絵本は、

必ずしも子供向けである必要がなく、内容が優れていれば評価されます。

そういう優れた作品はあるけれど、子供向きではなくなってしまった。

それが今の日本の現状だと思います。

 

現状の批判ばかりしてないで、岩井田さんが創ってください!

そう言われるんですがね、私には創れない。

 

児童書の仕事をして気づいたんです。

僕は子供の本には向いてないって。

 

それでも10年ぐらいあがきましたがやはり無理だった。

その頃にあのポプラ社事件があって、完全に興味をなくしました。

もう私が子供の本を創ることはないと思う。

宙に浮いた絵本の習作が何作かあるんですが、

これを完成させることはもうないと思っています。

 

『夢の国のリトルニモ』の作者ウインザーマッケイが好きなんですが、

マッケイ氏もいわゆる子供の本の作者ではないと思う。

空想性のある優れた作品を数多く残していますが、

子供の本の作家ではなかった。

 

私も空想的な作品は大好きなんですが、それと子供の本とは違うんです。

空想性イコール子供向けではないですから。

そういうことに気づいてしまった。

だから児童書の仕事を辞めました。

ここに僕の居場所はないとわかったから。

ショックだったし寂しかった。

 

今でも思うんですよ。

子供の本を創る才能が欲しかったとね。

結局は無い物ねだりだったんだなと。

とても残念ですがそれが私の現実なんです。

 

他人任せで大変申し訳ないのですが、

だから若い世代に頑張って欲しい。

僕が出来なかったことを実現して欲しいと思うんです。

 

きちんとした動物の絵を子供のために描いてほしい。

夢のある空想的なお話を子供のために書いてほしい。

それが私が若い人へお願いしたいことです。

 

私は動物や空想的な絵は描けますが、お話が書けない。

作家の才能がないんです。

残念ですがそれが私の実力なんです。

 

 

 締めの言葉は、やっぱりダールさんにお願いしよう

 

チョコレート工場の秘密の作者ロアルド・ダールさんは両刀使いでした。

大人向けの小説と子供向けの小説のどちらも書けた。

こういう人は非常に珍しいと思います。

ある意味、私の憧れの作家です♪

 

このダールさんの作家心得10ヶ条の中に次の言葉があります。

 

ユーモアに敏感であること。

大人向けのものを書くときには、これは絶対必要というわけではないが、

子供向けのものを書くときには不可欠だ。

 

ユーモアがいかに子供に必要なものか、

この言葉以外に適切な言葉を私は知りません。

だから、若い人たちに頑張ってほしいと思います。

 

芸術性より、ユーモア感覚を磨くべきです。

 

 

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