努力って、どうよ?
努力は面倒だと言う人がいます。
その通りだと思います。
努力するって本当に面倒です。やりたくないですよ。
ただし、それは意識して努力しようとするときに感じることです。
私のような絵を描く能力は『努力』なのか『才能』なのか?
どっちやねんということですが、どっちなんでしょうね。
そもそも人間は興味のないことには努力できません。
意識して「努力しよう!」というのは無理があります。
私、こう見えて努力家なんですけど♪
なぜ努力するかというと前に書いたように
才能が枯れてしまうのが怖いからです。
ただでさえ大した才能ではないのですから
できるだけ長持ちさせたい♪
努力しなければ10年で消えてしまう才能なら
なんとか30~40年保たせたい。
そのために必要なのが努力ならやろうじゃないかというだけです。
他に取り柄がないというのもありますが♪
その意味では、私はかなり意識して努力しているかもしれない。
とにかく怖い、絵が描けなくなることが。
もう考えただけでゾッとする。
だからそうならないようにしているだけです。
意識して努力していますが苦痛は感じません。
つまり向いてるんですね、努力することに。良かった♪
楽しいから続けられる。
継続は力ですから、続けていると少しは上手くなります。
上手くなると嬉しいです♪
だからずっと絵を描いていたいと思う。
そしてまた努力や工夫をします。
これが私の努力です。
あまり根性ではやっていません。疲れるから。
まさか70歳まで絵が描けるとは思っていなかったから、
この先突然描けなくなることはまずないだろうとは思っています。
それでも怖いことは怖いんですよ。
つまり、絵は描けるが自分で納得できる絵が描けない。
そして自信を失ってしまうんじゃないか。
描いても描いても納得できない。
これなら描けない方がマシ、そうなるんじゃないかと。
そういう恐怖感は常にあります。
でも未来は誰にもわからない。
私の絵を描く能力は神様からのギフトですから、
私からその能力を取り上げるのも神様からのギフトだと思います。
「もうお前にはその力は必要ない」
絵が描けなくなることがそういうことなら諦めるしかない。
神様が決めたことなら従うしかないでしょう。
その時には何か別の能力が芽生えるんじゃないかと期待していますが♪
♥ そもそも才能って、何なの? ♥
これはもう大して頑張らなくても出来ることです。
そんなに必死にならなくてもなぜか出来ちゃうこと。
それが才能です。
そういう力は誰にでもあると思います。
私には何もないという人がいますが、
それは才能を職業に結びつけようとするからです。
才能という言葉で連想するものは、
私のような絵を描くとか歌を歌う、お芝居をする、踊る、小説を書く
などのいわゆる芸術系の仕事だと思います。
ところが才能というのはそう特殊なものではないと思う。
たとえば『気づかい』というのも才能でしょうから。
でも気づかう職業はないです。
日々の様々な場面で気づかいが必要になることはありますが、
気づかいの専門家という職業は聞いたことがありません。
才能とは特殊な能力だと考えると「そんなものはない」となりますが、
大して努力しなくても出来ることと考えれば何かあると思います。
無理なく出来る力は全て『才能』だと私は思う。
ただ、その力は必ずしもお金にはならないというだけです。
つまり才能があってもお金が稼げるわけではなく、
有名になれるわけでもないんです。
ただ人より楽に出来る力というだけ。
才能って、そんなものなんじゃないかと。
そうそう特別なものだけではないと最近思います。
ですから、特殊な力はなくても何らかの才能はあるんですよ。
なかなかそうは思えないでしょうが、
才能はきらびやかなものというイメージが強いですからね。
ちなみに私は才能で絵を描いているわけではなく、
大好きな絵が描けなくなるのが怖いから絵を描く努力をしている。
最近そう思うようになりました。
♥ でさぁ、詰まる所、努力したらどうなるの? ♥
本当ですよね。どうなるんだろう?
例えば私の場合、絵を描く努力は怠りませんが、
その結果、昔よりは少しだけ上手く描けるようにはなりました。
でも私の人生はまだまだ続きます。
努力した結果どうなるかという質問は、
人生の最期にどうなるのかという究極の答えに辿り着くんです。
なんかすごいですよね、究極の答えって♪
努力して努力して、頑張って頑張った先に何があるの?
というと、
努力もチャレンジもその9割は報われません。
下手すれば全滅です。私、過去に全滅したことがあります♪
努力の末に報われることもたま~にあるでしょう。
でもそれは究極の答えではありません。
頑張って努力した先に待っているのはね、『死』ですよ。
全ての人間、というか生物は死んじゃうの、最期はね。
そう出来てるんです。
死というのは恐ろしいものだとみんな思っています。
私だって死ぬのは怖いです、とっても怖い。
でもこの死というのは怠けていた罰ではないんですね。
要するにいつか幹細胞が死んでしまうから、体細胞が作れなくなる。
その結果が死なんだそうです。うろ覚えの知識ですが♪
ということはどういうこと?
努力してもしなくても最期は死んじゃうんです。
別にバチが当たるわけじゃない。とても公平なの。
人間が努力した先に待っているのは、その努力が報われた未来かもしれない。
でも報われた先に待っているのは恐ろしい死なんです。
何だよって思うわけです。
誰かが怠けている時に頑張って努力したんだからご褒美くれよって、
そう神様にお願いしても無駄。死んじゃうの、みんなね。
そういう究極の答え、と言うか結末が決まっているなら、
ここで究極の疑問が起こるわけです。
何で努力するの?
ハイ、皆さんご一緒に、大きな声でもう一度。
何で、何で努力するの?
損じゃん!
ハイ その通りです♪
死ぬほどの努力の末にそれが報われても死んじゃうんですよ。
人生はそういう仕組みになってる。誰が決めたんだか知らんけど。
まぁ、神様が決めたんでしょうね、ゴールは死だよと。
そう考えるとですね、死は恐ろしいものじゃないんじゃないか。
安らぎなんじゃないかと思うわけです。
安らぎという神様からのご褒美。
そしてこの安らぎはみんながもらえる、公平なんです。
努力してもしなくても、怠けていても最期は安らぎが待っている。
あぁ、よく出来てるじゃん人生は。さすが神様!
って、ちょっと待てや!
そこで生まれるのが究極の怒りです。
(あんさん、究極好っきゃなぁ♪)
怠けた奴は地獄へ落ちろや! 安らぐなよ!
努力した人だけ安らげばいいじゃん!
私はそう思います。
♥ では、努力するだけ損なの? しない方がいいの? ♥
努力した方がいいと思います。
何ででしょうかね?
答えは簡単なんですよ、その方が楽だから♪
努力してもしなくても、努力が報われても報われなくても
人間、最期は死んじゃいます。
そして(多分)死とは安らぎなのでしょう。
つまりね、死んだらみんな公平に安らげるんです。
そういうシステムなんだと思いますね、人生は。
ここで気づかなければならないことは、
『死んだらみんな公平に安らげる』ってことです。
生きているときは違うんですね、公平じゃない。
努力している人と怠けている人では公平ではないんです。
努力してもバカを見るかもしれない。
怠けていても、それはそれで楽しいかもしれない。
同じ人生ではないんです。
でも私が知る限り、怠け者の人生が楽しいことは稀です。
と言うか、絶対に楽しくないと思う。
これは仕事も同じです。
真面目にきちんと働く方が楽なんですよ。
いい加減な仕事をしているとですね、必ず反動があります。
心が落ち着かないんでしょうね。
楽な道とシンドイ道があったら迷わずシンドイ道を選べ!
と言うのはそういうことです。
楽な道の先には退屈しかありません。死にたくなるほどの退屈。
少しシンドイという負荷がかかっている方が楽なんです。
人間の脳はそう感じるように出来てますから。
人間が公平になるのは死んだ後です。
生きている時は同じじゃないんですよ、みんな違う人生です。
だから努力している人の人生と怠けている人の人生は違います。
前者の方が楽に生きていると思う。
この場合の『楽』というのは、負荷がかかった人生のことです。
シンドイけど楽しいという人生です。
絵を描く行為もシンドイですよ、でも楽しいの♪
それなりに負荷がかかっているからでしょうね。
楽に短時間で素敵な絵が描けたらつまらないですよ。
苦しんで苦しんで、迷って迷った末に絵が完成した時は、
もう天にも昇るような気持ちになれる。
いくらお金をもらってもこういう気持ちにはなれません。
仕事をする喜びとはそういうもののはずです。
そうじゃなければウソですよ。
だから、9割が報われなくても努力した方がいい。
9割が失敗してもチャレンジした方がいい。
その方が楽なんです。そう思います。
報われる確率の低い努力ですが、それを勧めるには理由があります。
一つはその方が楽だからですが、
もう一つは努力したことは無駄にはならないからです。
いつか必ず役に立つと私は信じています。
ここ数ヶ月、私は水彩画に挑戦していますが、
実はこれが3回目のチャレンジです。
一回目は20代でしたがダメだった。
プロになってからもう一度チャレンジしました。
水彩画で絵本の挿絵も描きました。
これはそこそこ上手くいったのですがやはり挫折しました。
私は元々、手塚マンガに影響を受けて絵を描き始めました。
だからスタートはペン画(線画)なんです。
ドローイングってやつですね。それもマンガ絵です。
プロデビューした作品もペン画でしたし、
絵本のデビュー作『ぼく そらをさわってみたいんだ』は色鉛筆画でした。
全てドローイングです。
でも水彩画が好きなんですよ。
何とも言えない魅力があるんです、水彩表現には。
そこでドローイングの合間に水彩画を描くんですが上手く描けない。
ぐちゃぐちゃになってしまう。
そういうことの繰り返しで、46歳の時に水彩画は諦めた。
それから水彩画は描いていませんでした。
買った水彩絵の具はカチンコチンに固まり、
水彩パレットの絵の具も干からびてしまった。
もう描くことはないだろうと思ってましたが、
去年の秋頃から無性に描きたくなり今に至っています。
そして今までで一番描けるんですよ、何十年も描いてないのに。
これは奇跡なんかじゃない。
20代から努力してきたことが蓄積されて、今ようやく形になった。
だから努力したことは絶対に無駄にはならないと思う。
体がね、覚えてるんですよ、体が!
今すぐには結果が出なくても将来はわからない。
未来は信じるしかないんです。神のみぞ知るですから。
報われなくても努力した方が楽な人生になります。
そして努力は無駄にはなりません。
お金にはならないかもしれませんが、無駄ではないんです。
だから、死という安らぎを得るまでは努力を続けた方がいい。
生きている間に楽をしたいのなら、迷わず努力した方がいいです。
ただし、辛い経験をして心がクタクタに疲れている人は、
今は努力より休んだ方がいいです。
怠けてると言われてもいいから休んでください。
そして少し元気になったら、少し努力してください。
あなたの努力は報われないかもしれませんが、
努力したことは絶対に無駄にはなりませんから。