岩井田治行の『くまのアクセス上手♪』

興味を持った本と映画のレビューとイラストを描く♪

努力は才能なのか根性なのか?

 

才能があるから努力するのか

努力するから才能が芽生えるのか

どっちなの?
 

 

 

これはどっちなんでしょうね?

世の中には努力は面倒だという人が一定数います。

そういう人は面倒な努力はしないらしい。

ただ平凡に生きて死んでいく。

それでいいと思っているようです。

 

そういう生き方もあるでしょう。

あまり面白そうな生き方ではないけど、どう生きても自由ですから。

 

私は努力した方がいいと思ってます。

どんなに努力しても最期は死が待っているとしても、

最期まで努力し続けたいと私は思っています。

 

別にそう生きることが立派だからではなく、性に合ってますから。

努力するのは割と好きなんですよ。

変わってますかね、私?

 

 

努力も才能だと思う理由

 

文学部に在籍中、日本文学の講義で芥川龍之介の話になった。

芥川さんは稀代の読書家だったそうです。

東京から大阪だかどこかに行く車中で分厚い専門書を一冊読んで、

帰りの車中でも同じように分厚い専門書を読破したとか♪

 

芥川さんはそうやってたくさんの本を読んだそうです。

つまり努力家だったわけですが、

普通の人にできますかね、

揺れる電車の中で分厚い専門書を読み切るなんて。

 

やはりこの読書力は『才能』だと思いますよ。

私なんか気が散って無理ですもん♪

 

また、天才マンガ家の手塚治虫さんも大変な読書家だったそうな。

新連載の打ち合わせで編集者にこう言いました。

「資料が必要なのでアレとアレとアレを揃えてください」と。

 

手塚先生が編集者に頼んだ本はどれも専門書らしく、

指定された本を買って翌日持って行くと

手塚先生は大喜びで、

「ヤァありがとう! じゃぁ、明日までに読んでおくから♪」

と笑顔で言ったそうな。

 

いくら天才でも複数の連載を抱えた状態で

専門書を5~6冊、一晩では読めないだろうと思いつつ、

翌日手塚プロに行くと、手塚先生はちゃんと本を読んでいた。

 

読んでいたばかりでなく、内容が頭に全部入っていたそうで、

「この本のココは使えるがココは使えないよ」

と全ての本の内容を編集者に説明したとかしないとか♪

 

この話は多少尾ひれがついているとしても事実だと思う。

 

高田馬場手塚プロに行く途中に本屋さんがありました。

ある日、編集者が原稿を取りに行くとその本屋さんに手塚先生がいて、

本を立ち読みしていたそうです。

 

手塚先生の本の読み方は独特で、

人差し指で本の右上から左下へ向かって、スッスッと斜めに線を引く。

これで1ページ読んじゃうそうです♪

 

なんでも学生時代からそういう読み方だそうで、

立ち読みで一冊読んでしまうらしい。

 

手塚先生が本を読んでいるところを見た人は少ないらしく、

この編集者はたまたま手塚御大の立ち読み姿を目撃したそうです。

人差し指で斜めに線を引くだけで1ページ読めるなら、

一日5~6冊は読めるでしょうね。

 

手塚治虫先生は努力型の大天才でしたが、

果たしてこの努力を真似できる人がいるでしょうか?

 

こういう話を聞くとですね、

やはり努力は『才能』に比例すると思うわけです。

 

 

じゃあ、才能がないと幸せになれないの?

 

幸せは歩いてこない♪ そうですから、

こちらから幸せに向かって歩いていかなければなりません。

この『幸せに向かって歩くこと』が『努力』です。

 

だから努力した方がいいのですが、

努力は才能ですから、才能がなければ努力はできません。

つまり凡人は幸せにはなれないわけです。

 

そういってしまうと身も蓋も、取っ手すらない。

 

 

才能なんてなくても生きていけます、多分

 

以前、才能について書きました。

才能とは、無理せずにできることだと。

だから才能は誰にでもあります。

ただ才能は、必ずしもお金にはならないだけ。

そういうことを書きました。

 

努力が才能だとすると、努力家は無理なく努力している。

つまり根性ではなく楽しんでいる。

そういうことになります。

 

私は子供の頃から劣等生だったので、

人一倍努力しないと生きていけないと思っていました。

もう悲壮感さえあった。

 

だから何をやるにも慎重に、どんなに時間がかかっても諦めない。

とにかく時間さえかければ大抵のことはできると信じていました。

ウサギとカメなら私はカメでしたが、別に恥ずかしくはなかった。

歩みが遅いことは恥ではありません。

そう開き直っていたから♪

 

絵だって、多分、おそらく、間違いなく、確実に

晩年型だと勝手に思ってた。

若い頃には認められないだろうと覚悟していました。

 

いまだに無名ですけどね♪

まぁ、想定内なのであまり気にならない。

 

努力が才能なら、その才能がなければ努力は苦痛でしかない。

努力が続かない人は必ずしも根性なしというわけではなく、

努力する才能に恵まれていないだけです。

これは本人の責任ではなく、生まれつきだから仕方ない。

 

例外なく、才能のある人は努力家です。

本人は努力しているとは思わないのでしょう。

ただひたすら楽しいから続けているのだと思います。

根性では努力はできません。

精神論ではないのです。

『楽しい♪』ということが長く続けるコツなんです。

何かに挑戦して、それが楽しくなければ才能はありません。

 

私の若い頃は『巨人の星』というスポ根マンガが大ヒットして、

『根性』が美徳と言われた時代でした。

ど根性ガエル』なんて人気マンガもありましたから♪

 

『努力に限界はない!』なんて言われると奮い立ったもんです。

今考えるとバカバカしいですけどね♪

そういう時代だった。

でもそれは間違っていました。

 

努力に限界はあります。

才能がなければ努力し続けることはできません。

ある程度のところで挫折するのが普通です。

根性がないのではなく、才能がなかっただけです。

 

自分に努力という才能があるかどうか確かめるには、

とにかくなんでもいいから興味のあることをやってみて、

それがどこまで続くか見定めることです。

 

才能があれば努力ではなく、ただ楽しくなるはずです。

楽しいから毎日でも続けられる。それは才能がある証拠です。

そうやって自分に何の才能があるか確かめるといいかもしれない。

 

そして何もないと思ったら、

才能に頼るのはやめて、普通に生きることです。

普通というのも楽しいものですよ。

私なんかずっと憧れてきましたから、普通の人に。

今でも少し憧れます。羨ましいですよ、普通ってね♪

 

でも、絵が描ける時点で普通じゃないわけです。

特殊能力者ですからね、画家というのは。

そして特殊能力者というのは苦痛なんです。

だからずっと普通になりたいと思っていたけど、ある日諦めた。

俺には普通は無理だと覚悟しました。

 

学生時代、毎朝下宿から近くの駅まで行くんです。

そこでお勤めの人をずっと眺めていた。

「どうやったらあの人たちの仲間になれるんだろう?」

そう思って通勤する人を見ていたことを想い出します。

「俺には無理だなぁ…」

そう思うと悲しかった。

 

今はもう普通になろうとは思わない。

今さらね、普通になっても手遅れだから。

このまま行きます、どこまでも♪

 

才能(特殊能力)というのはそういうものです。

だからあまり憧れないほうがいいかもしれない。

そういう特殊な能力などない方が幸せかもしれない。

 

才能がない人は才能に憧れるけど、

才能を持つというのも辛いものなんですよ。

圧倒的な才能ならいいけど、

多くの人の才能は『並の才能』ですから。

私も並の才能の持ち主なので、圧倒的な才能を見ると落ち込みます。

 

「才能って、ああいうものなんだなぁ…」

そう思うとね、マジで凹みますよ。敵わないからね。

才能って、時に他人を傷つけることがあるんです。

 

でも、才能がなくてもあっても生きていけます。

どっちでも生きていけるんです。

そしてどっちでも幸せになろうと努力すればなれるかもしれない。

 

人生で他人より優位に立とうとするためではなく、

幸せになるために努力するのなら楽しいんじゃないだろうか?

そういう才能なら誰でも持っているかもしれない。

最近そう思います。

 

 

 

岩井田治行コミックス  にほんブログ村/イラストブログ