岩井田治行の『くまのアクセス上手♪』

興味を持った本と映画のレビューとイラストを描く♪

まるで見てきたかのように語る死後の世界 作者は一度死んでいるに違いない♪

 

 

死は存在しない

田坂広志 光文社新書

★★★☆☆ あまりピンと来ない

 


 

 

これまで霊能者やスピリチュアリストが語ってきた事柄と

ほぼ同じことが語られているが、

語り手が現役のベテラン科学者であるところがミソ。

ではこれまで信じ難いと言われてきた死後の世界の存在が

科学的に証明されたかというとそうではなく、

あくまで科学的な『仮説』の域を出ないところが、読んでいてもどかしい。

 

♣︎

最先端量子科学という難しいものを持ち出して、

ゼロポイントナントカという『仮説』を立て、

『それが本当なら』という内容である。

 

我々が知りたいのは、「本当です。証明されました!」という答えである。

その答えはこの本にはない。そこがもどかしいのだ。

 

では著者が適当なことを書いているかというとそうでもなさそうだ。

かなりの力作であり、これまでの研究や思索の重みを感じるのは確かだ。

一朝一夕にたどり着いた『仮説』でないことは一読してわかるが、

それでもこのもどかしさは何なんだろうと思う。

 

そもそも現在の科学で証明できない『不思議な現象』を

人間の科学で証明することに無理があるような気がする。

この世界で起こる『不可思議な出来事』は

『不可思議な出来事』以外の何物でもない。

それは人知を超えたものであり、人間には理解も解明もできない。

そういう理解し難い『不可思議な現象』は存在するが、証明は不可能である。

しかし、『科学で証明されないから存在しない』と断定はできない。

そういう結論の方が私はまだ納得できる。

つまり、これまでとあまり変わらないのである。

 

仮説を立て懸命に説明しようとすればするほど違和感を感じるのは、

語られる内容がデタラメだからではなく、そもそも無理だからではないかと。

説明できないものは説明できないままでいいんじゃないのと。

 

この本の大半を使った『科学的な仮説』部分は、

読んでいて「うまく辻褄を合わせているなぁ…」という印象があり、

どうもしっくりこない。

 

本文中で何度も繰り返される『もし、この仮説が正しければ』

という言葉を読むたびに、

「ああそうか、これは仮説なんだっけ」とシラけてしまうのだ。

死後の世界があるとしても(私はあってほしいと願うが)

それを人知で解明するのは、

おそらく無理ではないかと思う。

人間にはわからない領域なのだろうと。

 

♣︎♣︎

この本は全部で12章仕立てになっているが、

著者が最も言いたいことは、最終章に集約されている。

著者の本を読むのはこれが初めてだが、

おそらく他の著作でも同じことが繰り返し書かれているのではないか。

だから、著者の想いに触れたければ、

328ページから読むことをお勧めしたい。

ある意味、ここだけ読めば十分かもしれない。

科学者の冷静な見解というより、

田坂広志という1人の人間の熱い想いが語られているからだ。

 

この終章には、

この本の仮説に対する検証と探求を次の世代に託したいという想いと同時に、

科学者と宗教家の方々にこの仮説に是非挑戦してほしいと書かれている。

 

私もそれは賛成である。

そして、この本の仮説に対する検証と反論を出版していただきたい。

そういうことに積極的に参加する専門家が増えることを切に願うのであるが…

 

この本の内容の検証と反論は、かなりリスクがあると思う。

特に実績のある科学者はやりたがらないでしょうね。

しかし、実績のある著名な科学者による検証と反論でなければ意味がない。

 

死んだらどうなるの? ということを一度も考えたことのない人はいないはず。

大切な人を亡くした時、故人がどうなったのか知りたくない人などいない。

無事に成仏してくれただろうか?

それとも本当に無になって消えちゃったのだろうか?

そういう喪失感に苦しむのは誰だって辛い。

 

『私』という存在が消えて無くなるということに、

なんの恐怖も感じない人はいないだろう。

恐ろしい『死』が約束されているこの人生とは何なのか?

そんなに恐ろしいものが生まれた時に約束されているなんてあんまりじゃないか。

もっと心地よい楽しいものが最期に待っているなら自殺者も減るだろう。

どんなに頑張って前向きに人生を生きても、

最後の最期には、恐ろしい『死』が待っている。

絶対に避けられない。

 

じゃあ生まれてこなければよかったのだろうか?

生まれなければこの人生は体験できない。

この人生を味わうためには、最期に恐ろしい『死』を耐えなければならない。

どう考えても納得できない。理不尽じゃないか!

 

だから『死』を考えることは、すべての人にとって切実なのである。

にもかかわらず、死後の世界の研究というのはほとんど行われていない。

 

♣︎♣︎♣︎

冷戦時代に、米ソで超能力の研究が国家規模で盛んに行われた。

本当に超能力があるなら、自国を守るために役立つからだ。

しかし冷戦終了と同時に超能力研究は終わってしまった。

今は民間で研究が続いているのだろうか?

結局、超能力の存在は今でも不明のままである。

 

これと同じように、死後の世界の研究を国家規模で100年ぐらい続けたら

どんな報告が聞けるのか? 私は非常に興味がある。

100年経っても不明のままだろうか?

宇宙開発も自国の利益にならなければどこの国もやらないようだから、

死後の世界の研究なんて、国家規模ではまずやらないだろう。

 

死後の世界の証明は、我々人間にとっての『安らぎ』以外の何物でもない。

国の利益とは関係ない。一人一人の心の安定のためにしか役立たない。

スピリチュアリストは言う。

我々は魂を磨くために、一時的にこの世界に修行に来ている。

生まれる時と去る時が定命によってあらかじめ決まっている。

 

時が来れば元の世界に戻るのだ。

死とはそういうものであり、決して恐れるものではない。

だからこの世での修行は最期まで続けなければならない。

決して途中で放棄してはいけないのだと。

 

そう考えるとこの人生が一変する。

これはスピリチュアリズムという人生に対する考え方というより、

この世界に生まれ、生き、やがて死を迎える我々人間にとっての救いである。

 

しかし、

「死後の世界はないですよ。死んだら無ですから」ということになっていて、

ほぼ思考停止状態なのだ。そりゃないよ、もっと語れよと思うのは私だけなのか?

 

国防費と同じ予算を組んで、何十年も死後の世界の研究を続けている国はない。

まともな人間は、我々が死後どうなるかを語ろうとはしない。

それを語れば『まともでない人』になってしまうからだ。

それはきっと『死ぬより怖い』ことなのだろう。

 

私はそのことが非常に不満なのである。

誰にとっても切実な問題をなぜ真剣に語ろうとしないのか?

それを語ると変人扱いされるというのは理不尽ではないだろうか?

 

この本は霊能者やスピリチュアリストではなく、科学者が書いた本である。

だから信用できるとは言わないが、

私はこういう試みはもっとあってほしいと願う。

 

死んだら本当に『無になる』のだろうか?

亡くなった人は本当に我々を見守っていてくれるのだろうか?

誰だって知りたいはずだ。

 

死んだら無に帰するなら仕方ない。諦めるよ。

でも、もしそうじゃなかったら、一体何がどうなるのか?

誰も本当に知りたくないのだろうか?

知りたいでしょう、無にならないとすればの話だけど。

 

この本の内容は、これまで霊能者やスピリチュアリストらが語ってきたことを

うまく科学と辻褄合わせをしているようにも読み取れる。

あくまで『仮説』ではあるけれど、

あまりにもスッキリしすぎているようにも感じる。

 

量子科学でそんなにスッキリ解明できちゃうの? と疑問にも思うが、

意外と真実はスッキリしているものかもしれない。

 

そもそもたった1人の科学者がどんなに頑張っても、

死後の世界が人知を超えたものなら、そんなに簡単には解明できないだろう。

もっとたくさんの優れた人たちが力を結集しないと無理なんじゃないか。

人知を超えた世界の研究を人知で解明しようとすること自体、無謀なのだ。

 

でも、無謀の先に希望や救いがあるならやるべきだと思う。

一度きりのこの人生を十分に味わうために。

生と死は表裏一体なんだから、表ばかりじゃなくて裏側も知りたい。

 

私は目に見えないものの存在を信じる。と言うか信じたい。

霊感も超能力もないが、何かがあるような気がするからだ。

 

この本によるとそれは『ゼロポイントナントカ』と繋がったからだそうだ。

プロバイダにお金を払わなくても繋がるそうだ。自我を捨てれば。

 

そして我々は死後『自我意識』『超自我意識』『人類意識』『地球意識』を経て

遂には『宇宙意識』に至ると書かれている。

手塚先生の『火の鳥』のパクリか?

パクリでもいい。納得できれば。

 

でも、私はもっと人生を楽しみたい。

だから宇宙意識なんかになるのは嫌だ。怖いって。

まだまだこちら側にいたい。ビールも飲みたい!

宇宙意識なんかになったらビールも飲めないと思うと怖い(お前はアホか)

 

こちら側にいて目に見えない何かを感じていたいけど、

自分が目に見えない何かになるのは嫌だ。それは怖いよ。

だから安心したいのだ。救いが欲しいのだ。

みんなだって本音はそうに違いないと思う。

 

だから私にはこの本が単なるオカルト本とは思えないのだが、

この本に書かれている『仮説』が正しいかどうかは私にはわからない。

私にわかったことは、

田坂センセが映画好きでSFファンだということだ♪

 

正直、期待したほど救われなかったので、

あまり強くお勧めはできないが、興味のある人はぜひ読んでいただきたい。

この人生とは何なのか?

とてもシンプルなこの問いに対する新しい視点を与えてくれるかもしれない。



 

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