ナマケモノに意義がある
★★★★☆ 読むとホッとするかも♪
『怠けのススメ』『死』『正しい生き方』『いい人とは』『成功について』
この5つのテーマが書かれており、タイトルの『怠け』についての記述は、
第1章の6項目のみだが、内容と違うインチキ本というわけではなく、
本を売るためにインパクトのあるタイトルを編集者が意図的に選んだものだろう。
5つのテーマごとに、池田先生独特の考え方が書かれていて楽しい。
5つ全部は書けないので、第1章の『怠けのススメ』についてのみ書く。
♣︎
結論から言うと、人類は元々は狩猟採集生活をしていたので、
長時間労働という生活形態はなかったのではないか。
獲物が獲れる日もあれば、木の実や草、水で飢えをしのぐ日もあったはず。
ところが人類は『農耕』を発明してしまった。
穀物は貯蔵ができる。そのために余分に収穫しなければならない。
これが長時間労働の始まりではないかと言うのだ。ナルホド♪
だから狩猟生活をしていた人類は、本来長時間労働には向かない。
現代人が鬱になるのは、
本来の人間の行動パターンとは違う生活を強いられているからではないか?
もっとぐうたらになれば人間は幸せになれる。
無理してお金を稼がなくても、楽しいことはたくさんあるのだから
『怠ける』のは悪いことではないのだと。
何か強引に怠けることの素晴らしさに結びつけているようにも感じるが、
妙に説得力があるのはなぜだろう?
簡単に言えば、
『怠けてこそ人間だ! 長時間働くのは人間じゃない!』
身もふたもないが要約すればそうなる♪
別に無理して怠けなくてもいいのだが、怠けることに罪悪感を感じる人は多い。
『働かざる者、食うべからず!』とほとんどの人が思っているからだ。
では、
働かなくても最低限の生活を国が保証してくれたら我々はどうなるのだろう?
特別給付金の完全版のようなものですね。働かなくても生活できちゃう♪
さて、どうなるのだろう?
多分、我々は働いたり働かなかったりする。
堕落する人も出てくる。堕落しないかもしれない。
つまり、やってみないとわからないと思う。
しかし、国がすべての国民に保証してくれるのは最低限の生活だけで、
もっとお金が欲しい人は働かなくてはならないだろう。
大きな家に住みたい! 高級車が欲しい! 年に3回は世界1周旅行だ!
そういう費用まで国は保証しない。勝手にやれ!と。
国が保証するのは、あくまで『最低限の人間らしい暮らし』なのだから。
だから、「もっともっと!」という欲張りは働かなくてはならない。
他には、働くのが好きな人、何もしないではいられない人なども働くだろう。
生き甲斐とか刺激とか楽しさとか、働くことで得る快感があるだろうから。
逆に、何もしたくない人は何もしなくなるのだろう。
ここで思うのは、では犯罪者はどうするのだろう?ということだ。
もうね、犯罪が大好きなわけ。三度の飯より銀行強盗が生き甲斐とか。
殺人鬼は怖いけど、スリとか空巣狙い、特殊詐欺グループなんかどうするんだろう?
犯罪者にとっては犯罪行為がお仕事だろうから、
最低限の生活を保証されても犯罪行為はやめられないのではないかなと。
私みたいに絵を描くのが好きな人も絵を描くんだろうな、間違いなく♪
歌手も歌うだろう。ギャラの額と関係なく。
人間は社会性のある生き物だから、何かをして社会や人と繋がろうとするはず。
ただ、生活苦というものは減るのでしょうね、多分。
でも、泥棒が生き甲斐の人は他人のお金を盗むだろうから、警察官は必要だが、
最低賃金で犯罪防止のために働いてくれるかな?
お金を盗まれても同じ額を国が補償してくれれば盗まれても大丈夫か?
盗まれても誰も届出なくなれば、警察は不要なのかな?
盗まれても補償してもらえれば、誰も騒がなくなるだろうか?
そうなると泥棒は張り合いがなくなり改心するだろうか?
まぁ、泥棒の心配はどうでもいいか♪
結局、あくせく働かなくても普通に暮らせる世の中になれば、
ノイローゼになる人は減るかもしれない。
そして、働き者も怠け者も差がなくなるような気がしないでもない。
そういう世界を楽園と言うのだろうか?
♣︎♣︎
この本の中には、働きアリについての面白い記述がある。
それは、すべての働きアリが働いているわけではないということ。
「えっ、働くから働きアリなんでしょ?」と思ったら大間違い!
働きアリの中には、一定数の『働かないアリ』が存在するという。
では何をするかというと、な~んにもしないらしい。
つまり怠け者である。
怠け者なんだから、
他のアリから煙たがれ、村八分にされるかというとそうではない。
それはそれで群れの中に居場所があるという。
つまり、「君たちは働かなくていいよ。そこにいるだけでね」ということだ。
働かないことが群れにとってマイナスにならない。
では何のために働かないアリがいるのかというと、それはわからないらしい。
でも怠けていても群れから追い出されないのだから必要なんでしょうね。
これだけでも不思議だが、さらに不思議なことは、
この働かない怠け者のアリを群れから排除するとどうなるかということだ。
そういう実験をした人がいるんでしょね、頼みもしないのに。
普通に考えれば、働きアリだけになるはずだが…
結果は驚くべきことに、何と! 今まで働いていたアリの何割かが急に、
何だか知らんけど働かなくなるんだってさ、さあお立会いだ。
さらに実験は続く。
今度は逆に働きアリの何割かを排除するとどうなるか?
これも普通に考えれば、働きアリが減るだけなのだが…
実際はこうなる。
今まで怠けていたアリの何割かが懸命に働き出すというから驚きだ。
これは、
アリの群れの中に『働くアリ』と『働かないアリ』の2種類がいるわけではなく、
1種類のアリがその状況に合わせて、働き者になったり怠け者になったりする。
そういうことらしい。
つまりね、働き者の中に怠けるという性質があり、
怠け者の中に働くという性質が組み込まれているということ。
これはアリの世界の話だが、少なくともアリさんにとっては、
働くことと怠けることは同じなのだろう。私にはそうとしか思えない。
もっと言えば、アリというのは二面性があり、
特に『働きアリ』というのは存在せず、
ただ、1種類のアリが状況に応じて対応しているということになる。
ここまで来ると人智を超えてしまう。故に人間には理解できない。
不思議ですね~ としか言いようがない。
でもよ~く考えてみよう。
1種類のアリさんが、働く気になったり怠けようと思ったりするって、
どこか人間と似ていないだろうか?
♣︎♣︎♣︎
例えばですね、
働き者のAさんが、ふとしたことから宝くじで1億円当たった途端に
仕事を辞めて遊び始めたとか。
脛をかじって親の財産で遊び呆けていたドラ息子が、
親が病気で倒れた瞬間、
人が変わったように医療費を稼ぐために働き出したとか。
人間社会でもそういうことは、特に不思議なことではないはずだ。
「あんなに真面目な人が、どうして遊び人になってしまったの?」
「あんな怠け者が今は真面目に働いてるってホント?」
でも、それが人間なのである。
そう考えると、人間の中に一定数の怠け者がいることに納得がいく。
納得できないまでも「まぁ、しょうがねえなぁ~」と思えてくる。
怠け者を見て「あいつは許せねぇ!」と怒っている人も、
何かのきっかけで怠け者になる可能性があると知れば、
「これは人のことばかりは言えないなぁ、私も気をつけなければなぁ」と
謙虚な気持ちになれるかも知れない。
人は変わる。良くも悪くも。
劣等生と馬鹿にされた人が、後に素晴らしい人材に育つかも知れない。
優等生と賞賛された人が、人生の終わり辺りで『犯罪者』になるかも知れない。
人間もアリと同じように、
『働き者』と『怠け者』という2種類がいるわけではなく、
1種類の人間がその状況に応じて『変化』する可能性があるということ。
そう考えていくと、
この本のタイトルにあるように『ナマケモノに意義がある』というのは、
どういう意義かは定かでないが、そうなんだろうな。
少なくとも、そういう可能性はあるのだろうなと思うのだ。
ちなみに、人間の中から一定数の働き者を排除すると、
それまで怠けていた人が俄然働き出すのだろうか?
(そんなことは絶対ない!)
ただね、全員が働かなくなると世の中が止まってしまうから、
イヤイヤ働かざるを得なくはなるのではないでしょうか。
私はこの本の第1章だけでも読んで良かったと思う。
池田教授の考えが正しいかはわからないのだけれど、
それはどうでもいい。
考えるヒントをもらえたということが嬉しい。
休みたくても休むことに後ろめたさを感じて頑張りすぎてしまう人。
当然の権利の有給休暇すら罪悪感があって、ほとんど消化できない人。
気分がすぐれない時は、上司に仮病を使ってでもズル休みしようと思えない人。
とにかく責任感が強すぎて、曲がったことができないで生きづらい人。
そういう人は、この本の第1章だけでも読んでみてはいかがでしょうか。
合わせて第5章の『成功の本当の意味 』も読むとホッとします。
生きづらさを和らげるヒントになるかも知れません。
ちょっとオススメしたい本です。
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