ASCENSEUR POUR L'ECHAFAUD
1957年 フランス/ルイ・マル監督作品
満足度 ★★★★ 時代が創った映画!
ノエル・カレフの原作小説を夢中になって読んだのは20代だった。
その後、読み返してないので、小説の方は大筋しか覚えていない。
でもハラハラしながら夢中になって読んだ覚えがある。
つまり、とても面白かったのだ♪
今読み返すと、古さを感じるだろうか?
なにしろ、原作は50年代の推理小説である。
現在のミステリーと比べて、見劣りしても仕方ないだろう。
原作小説は、新版が2010年に創元推理文庫から出ているので、
興味のある方はお読みください。
さて、映画『死刑台のエレベーター』である。
フランスで1957年に制作された犯罪サスペンス。モノクロ映画だ。
この時期に、映画界ではそれまでとは違う新しい表現の芽が育ちつつあった。
そして弱冠25歳のルイ・マル監督のデビュー作である本作が、
ヌーヴェルヴァーグ(新しい波)の初期を代表する作品となった。
今観ると、けっこう粗い作りだなぁ…と思うが、
観始めると最後まで引き込まれる面白さがある。
撮影技術も非常にシンプルだが、当時はこれが斬新だった。
この映画を観ていると、凝った映像技術などなくても、
この程度で十分ではないかと思えてくる♪
ジャンヌ・モローが、夜の街を恋人を捜してさまようシーン。
閉じ込められたエレベーターから、男が必死に脱出を試みるシーン。
この二つのシーンだけでも、映像として非常に魅力的だ。
その後の映画は、無意識にこれらのシーンを踏襲しているかに観える。
特にエレベーターのシーンは短いが密度が濃い。
この緊迫感は、ヒッチコックとは全く違う。
サスペンスなのに、不思議なムードがあるのは、
マイルス・デイビスの音楽によるところが大きいのだろう。
このお話の面白さは、緻密な犯罪トリックではなく、
運命のいたずらに翻弄される人間ドラマにある。
これが完全犯罪?と思えるシーンもあるが、
そこは古いマジックを観ていると思うべし。
ツッコミを控えた方が楽しめる♪
戦争の英雄として街の人たちに知られた存在であるジュリアン。
彼が社長夫人との愛を成就するため、邪魔な社長殺害計画を立てる。
犯罪は成功するが現場に『ある物』を置き忘れたことに気づき、
取りに帰ろうとエレベーターに乗ったところで、
守衛がエレベーターを止めてしまう。
建物の就業時間が終わったのだ。
どうあがいても脱出できないジュリアンは、エレベーターで一晩を明かす。
そして翌朝、自宅へ帰るのだが…
帰宅したジュリアンは、別の殺人事件の容疑者になっていた。
身の潔白は簡単に証明できる。
なにしろ一晩エレベーターに閉じ込められていたのだから。
証明は簡単だが、なぜその時間にエレベーターに乗っていたのか?
それを話すと自分の犯罪がバレてしまう。言えない。
しかしそれを言わないと身に覚えのない罪で逮捕される。
どうするジュリアン! というお話だ。
完璧なアリバイを証明すると有罪になるというアイデアは、
カレフ以前にもあったのかは知らないが、なんとも皮肉である。
しかも、そのアリバイがエレベーターというのがユニーク。
このエレベーターが非常に映像的なのだ。
上がったり下がったりするだけなのに、閉じ込められるとこれは怖い。
ジュリアンは戦争の英雄だが、犯罪に関してはズブの素人である。
戦場では勇敢に行動できた彼が、犯罪では極めて初歩的なミスを犯す。
主人公が不測の事態に全く対応出来ないところが面白い♪
重ねて言う、ツッコミは控えるべきだ。
犯罪の証拠となる○○を忘れたのも、突然電話が鳴ったからにすぎない。
焦るあまり、大事な○○を回収することを忘れてしまう。
間抜けな奴だと笑うのは簡単だが、実際はこうなのだろう。
なにしろ、犯罪の動機が女である。冷静ではいられない。
そして、すべての歯車が狂っていく。
ここら辺の演出が粗いのだが、あまり気にならない。
この素人の犯罪が別の犯罪を引き起こし、その容疑者になるという皮肉。
ジュリアンは無実だが、完璧なアリバイを証明できない。
無実を証明すると関係ない別の犯罪で逮捕される。
こういう状況に追い込まれた人間の心理とは、どんなものだろう?
このどうしようもない袋小路に追い込まれる人間の物語である。
とっても面白い♪
★ 粗い演出 ★
さて、この映画には演出が粗く、わかりづらいシーンが二つある。
気にしない人には関係ないが、気になると考え込んでしまうのだ。
1)証拠となる○○が、どうして地面に落ちていたのか?
2)その○○を通りかかった女の子が持ち去ったのはなぜか?
この二点がわかりづらい。
1)は、主人公がエレベーターに閉じ込められた晩が、嵐だったこと。
聞き取りづらいが、雷が数回鳴る音が聞こえる。
恐らく上空は強風で、その風で○○は欄干から落ちた? のだろう。
歩道が雨に濡れているようだが、暗くてわかりづらい。
2)は、子どもの習性と考えられる。
今の子どもはやらないかもしれないが、私が子どもの頃は、
道に落ちているものをよく拾って家に持ち帰った。
ゴミ捨て場などは、子どもにとっては宝の山だったのだ。
もちろん、持ち帰った後は、母に叱られるのだが…
この女の子も、それと同じだろう。
なんだろう? という好奇心から、○○を家に持ち帰ったのだ。
短いシーンなのでわかりづらいが、そう考えれば不自然ではない。
この二つのシーンが、原作ではどうなっていたのか?
アマゾンの読書レビューを読むと、取りに戻ったのは○○ではなく、
犯罪の証拠となる書類だと書いてある。
そうだっけ…? 思い出せない。何しろ読んだのは20代なのだ。
犯罪現場に忘れたのが書類なら、この二つのシーンは脚色されている。
確かに、書類より○○の方が映画的かも…
ともかく、主人公は証拠の○○を取りに戻る必要はなかった。
置き忘れたままでも、○○は強風で欄干からはずれ、地面に落ちる。
落ちた○○は、通りかかった女の子が持って行ってしまった。
つまり、主人公が何もしなくても、犯罪の証拠は消えていたのである。
まさに骨折り損というやつだ。
『太陽がいっぱい』は、消したはずの証拠が、
ず~とくっついていたという皮肉だったが、
この映画は、やらなくてもいい証拠隠滅を謀ったため、
やってもいない事件の容疑者にされてしまうのだ。
さらに、完璧なアリバイがあるのに言えないのだから、なお皮肉である。
★ 時代が創った映画 ★
こういう粗さが目立つため、完成度が高い作品とは言えない。
それでも映画史に残った。
こういう歴史に残る映画というのは、狙って出来るものではない。
時代の後押しという眼に見えぬ力が必ずある。
ルイ・マル、ジャンヌ・モロー、マイルス・デイビス、ノエル・カレフの小説
という駒がそろった。
どれひとつ欠けても、この映画は成立しなかったろう。
作品の完成度で映画史に残ったというより、
それまでの映画にない魅力と、その後の映画に与えた影響力で残った。
この時、ルイ・マルがベテラン監督だったら撮れなかった作品だ。
荒削りでも、新しい世代を惹きつける魅力にあふれている。
同じような現象が、この後、イギリスで立て続けに起きる。
あのビートルズがデビューし、映画007が世に出たのだ。
ビートルズのデビュー曲も、007の第一作も、
荒削りだが、それまでにない新しさと熱気に満ちていた。
すべては、この時代の後押しがあったとしか思えない。
捕らぬタヌキの皮算用方式では出来ないのが、創作というものなのだ。
日本版のリメイク作品が振るわない理由は、ここらにあるのだろう。
時代の後押しなしに、魅力的な作品は創れないということ。
映画『死刑台のエレベーター』は、映画史に残る大傑作ではないが、
不思議と『名画』と呼びたくなる希有な作品である。
★ネット上の『死刑台のエレベーター』の画像を流用し、加工させて戴きしました 感謝!★
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