岩井田治行の『くまのアクセス上手♪』

興味を持った本と映画のレビューとイラストを描く♪

とても良く出来た風刺の効いたおとぎ話♪

 

 

グレムリン

 

1984アメリカ/ジョー・ダンテ監督作品

満足度 ★★★★★ アナログ感にワクワクします♪

 

 

 

 

 

久しぶりに観たがやはり面白い♪

CGでリメイクすれば完璧なモンスターが創れるが、

どんなに精巧に創っても

このアナログの魅力には敵わないだろう。

今日のようにCGが普及してしまうと

こういうアナログ技術は廃れるばかりなのかと心配だ。

アナログの良さは人間を生に感じられるところなのだから。

 

 

♠︎

物語はいたってシンプル。

人間世界に異物が入り込み、一騒動を起こす。

騒動の原因は人間がある約束を破ってしまったから。

つまり自業自得の物語。

大変な騒動を経て人間は反省する。

この世界には人間には制御できないものがまだまだあると。

だから謙虚にならなければならない。

それに気づいた人間は明日へ向かって歩き出す。

 

もう定番中の定番の物語だ。

日本ではこういうお話を子供向けに創る技術が廃れてしまった。

昭和40年代頃までは確かにあった技術が

だんだん理屈っぽくなり、難しくなってきた。

まるで難しさが高尚だと言わんばかりに。

 

マンガの世界でも

昔のような子供マンガはほとんど描かれなくなった。

藤本弘先生の『ドラえもん』以降はほとんど描き手がいない。

理由は簡単で、

読者が子供時代に良質の子供マンガを読んでいないからだ。

これは読者の責任ではなく、

マンガの作り手側の責任だと思う。

 

まだ欧米の方が子供向けの方法論を維持しているように思う、

グレムリン』はそういう良質の作品の一つだ。

子供だけを対象に創られたものではなく、

全世代向けのおとぎ話となっている。

 

このおとぎ話の構築に一役買っているのが

マペットというアナログの人形技術である。

 

アナログの良さは『限界』があるということ。

できないことはできないと観ていてわかる点だ。

CGではいとも簡単にクリアできてしまうことも

アナログでは限界がある。

それは人間の限界とイコールなのだ。

 

人間は偉い! などと自惚れていても

こういうアナログ技術を見ればすぐにわかってしまう。

「ああ、こういうことは人間には無理なんだな」と。

 

ところがそこで終わらないのが人間なのだ。

何とか『工夫』する。

この工夫が実に何とも涙ぐましいのである。

ある意味『悪あがき』でもあるだろう。

コンピュータにすればいいものをやらない。

あくまで『人間技』でやろうとする。

だから観ていて『ぎこちなく』見えるかもしれないが、

そのぎこちない姿こそ人間そのものなのだ。

 

CGはその限界を簡単に超え、人間のぎこちなさを隠してしまう。

私にはそれがつまらない。

CGを観ていると、なんか人間ってすごいなと思えるが、

それは全部錯覚なんだと思う。

 

本当にすごいのは、限界を受け入れて工夫する人間の知恵なのに、

その工夫をCGは簡単にスルーしてしまうのだ。

 

ターミネーター2』マトリックスは感動した。

こんなことができるのか! とひっくり返った。

でも私が感動したCG技術は今でもこの2作のみ。

それ以降の作品は全部この2作のバリエーションだ。

 

私のパソコンはMacである。

一番初めに買ったMacは、OS9だった。

ブラウン管の重たい代物だったが感動的だった。

 

それからMacも進化してOSXになり、フリーズしなくなった。

しかし感動は薄れてしまった。

ケータイもスマホも同じようなもので、

デジタルは慣れてしまうまでが早い。

それは多分目に見えない部分が多いからだろう。

 

アナログのTVは、もちろん内部構造はわからないのだけど、

なんか部品が詰まってるなァ! という感触があった。

デジタルプログラムにはそれがない。

どうなってるのか目で見えないからだ。

 

アナログのマペットという人形技術には、

『そこにある!』という実感がある。

どんなにぎこちなくとも、

モンスターを肌で感じとれるのである。

 

♠︎♠︎

グレムリン』の魅力はもうひとつある。

それは物語の舞台と季節だ。

舞台となる町はキングストン・フォールズという架空の町。

この町のセットは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で

使われたものと同じらしいが、

架空の町という設定は、おとぎ話の定番だ。

さらに季節は真夏ではなく真冬。

それもクリスマスという年に一度の特別な日である。

 

この特別な日に、

主人公の父親(発明家)は仕事で出かけた町のチャイナタウンで

息子へのクリスマスプレゼントを買う。

この息子へのクリスマスプレゼントが

後にのどかな田舎町を震撼させる原因となるモグワイである。

 

モグワイという謎の生物が何なのかは説明されない。

骨董店の老主人のペット? なのだろうか。

チャイナタウン、骨董店、中国人の老店主、そして謎の生物。

これもおとぎ話の定番の設定だ。

何かが起こりそうな道具立てばかりである。

 

さらに、モグワイの購入もスンナリとはいかない。

モグワイは売り物ではない!」と断られる。

ここがいい。一度は諦めるのだ。

しかし店主の孫が家計が苦しいことを理由に

帰りかけた客にこっそりとモグワイを売ってしまう。

 

(一体何が入っているのだろうとドキドキするプレゼントだ

 

こういう展開はなくても筋は通るのだが、

敢えて一度はモグワイ購入を諦めるというところが

物語に膨らみを与えていて面白い。

まさにワクワクするお話の基本形だ。

 

さらにおとぎ話の定番として『3つの約束』が追加される。

モグワイを水に濡らしてはいけない。

モグワイに光を当ててはいけない。

そして、

深夜12時過ぎには絶対にモグワイに食べ物を与えてはいけない。

守れますよね?

 

この時点で観客はこの3つの約束が破られることを知る。

で、どうなるんだろうとワクワクするのだ。

おとぎ話での約束は破られるためにある。

だからちゃんと破らなければならない。

そういう段取りで物語は進んでいく。

 

ここで「先が読める!」という人は野暮である。

先が読めるように出来ている。

おとぎ話とはそういうものなのだ。

 

水をかけたらどうなるんだろう?

光を当てたらどうなるんだろう?

12時過ぎに何か食べたらどうなっちゃうんだろう?

子供だけでなく、大人だってドキドキするはず。

このドキドキ感を維持するためには、

3つの約束は破られなければならない。

先など読まなくてもいいのだ。

ちゃんと破られるのだから♪

 

こうしてトンデモナイものになっちまったモグワイ

小さな田舎町を恐怖と笑いのるつぼに突き落とす。

恐怖を感じるのは映画の登場人物たちで、

笑うのは観客である。

 

なぜなら、トンデモナイものが笑えるからだ♪

13日の金曜日『ハロウィン』のモンスターと違い、

このトンデモナイもののボスは、

頭頂部から背中にかけて白い縞縞模様(ストライプ)がある。

他のグレムリン低脳なのに

このリーダーはなぜか知能があるというのが笑える。

ボス以外はみんなアホやん♪

 

(なぜかこのボスだけ頭が良いのが笑える

 

こういうユーモラスなところにセンスが光る。

子供達でなくとも大喜びだろう♪

 

♠︎♠︎♠︎

とにかく害がない。

では健康的な映画かというと毒を含んでいる。

このバランスが日本の児童書籍にないセンスの良さだ。

日本ではこういう物語センスのある童話作家は皆無に等しい。

やはりこのジャンルでは欧米のセンスには敵わない。

悔しいけどね。

 

お話はもちろんハッピーエンド。

めでたしめでたしで終わるのだが教訓を残す。

 

人間がモグワイを扱うのはまだ早い

 

これがこのおとぎ話のテーマだ。

モグワイとは何だろう?

 

これはもう深読みしようと思えばいくらでもできる。

制御不能原子力かもしれず、自然かもしれない。

その価値を十分に理解できない人たちによって叩かれる

新しすぎる発想を持つ天才かもしれない。

 

人間は地球上で最も優秀だという自惚れに対する

しっぺ返しの象徴がモグワイである。

 

そしてこの騒動は、クリスマスの終わりと同時に終焉を迎える。

普段の日常を取り戻した町の人々はふと思い出す。

あれは一体なんだったのかと。

そしていつもの生活が続いていくのだ。

 

とにかくよくできたおとぎ話。

それを現代的センスで映像化することに成功している。

小難しい理屈などどうでもいい。

子供は子供なりに、大人は大人なりに感じ取ればいい。

テーマなんかわからなくても

可愛いギズモ君を見ているだけで幸せになれる。

 

(抱きしめたいぐらい可愛いギズモ君

 

そう。

今こそこういうおとぎ話をもっともっと作って欲しい!

そしてそのためには、

アナログ技術を絶やしてはいけないのだ。

未見の人も何回も観ている人も

暖かくなる前にぜひ観ていただきたい真冬の一品です♪

 

 

 

ネット上の『グレムリン』の画像を流用し、加工させて戴きました

感謝!

 

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