岩井田治行の『くまのアクセス上手♪』

興味を持った本と映画のレビューとイラストを描く♪

意外に読まれていないヒッチコック映画の原作『鳥』を読む♪(1)

 

鳥 デュ・モーリア傑作集

ダフネ・デュ・モーリア 創元推理文庫 ★★★★★

 

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『意外に読まれていない』と偉そうなタイトルだが、私も初読である。

ダフネ・デュ・モーリアは、

ヒッチコック映画『レベッカ』『鳥』の作者として知られるが、

オリジナルの『鳥』は『レベッカ』ほど読まれていない。

デュ・モーリアの小説は、邦訳がずいぶん出ているわりに、

日本ではメジャーな存在ではなく、知名度はあっても不遇な作家らしい。

ヒッチコックが映画化したことから、

サスペンス小説の旗手というイメージを私は持っているが、

ミステリーファンにはあまり評価されて来なかったというのだ。

ロマンス小説の書き手というイメージも私にはある。

 

現在は東京創元社が文庫で、デュ・モーリア作品を4冊刊行している。

http://www.tsogen.co.jp/np/author/495

そのうちの1冊がこの『鳥 デュ・モーリア傑作集』だ。

 

初めに書いてしまうが、これはお買い得である!

本好きの方なら、買って損はしない。絶対に!

それほど内容の濃い短編集で、全8編の傑作短編が収録されている。

この短編集1冊を読むだけで、

デュ・モーリアという作家の多彩さがよくわかる。

実にこういう作家だったのかと唸ることだろう。

『鳥 デュ・モーリア傑作集』は、旧訳があるらしいが、

8編がまとまった形で翻訳されるのはこれが初めてだそうだ。

 

そして、

いつもなら全作を紹介するのだが、今回は2編のみのレビューだ。

なぜ2編かというと、全部書くのはめんどくさい。

(そんなこと言うたらアカン!)

私の拙いレビューを読むより、現物を読んだ方がいい。

物語を紡ぐというのはこういうことなのかと改めて思うはずだ。

翻訳も読みやすい(と私は思う)

 

今回紹介する作品のひとつは、もちろんタイトルの『鳥』である。

ヒッチコック映画とどう違うのか?

そしてもうひとつは、『番(つがい)』という短編である。

『鳥』『番』の2編だけでも読む価値がある(と私は思う)

 

まず、ヒッチコックの『鳥』について。

初めて観たのは、淀川長治さんの日曜洋画劇場だったと思う。

中学生ぐらいで、ものすごく興奮した記憶がある。

ところが、数年前に衛星放送で観た時は、少し退屈だった。

ヒッチコック映画は、部分的に面白いところがあるものの、

今観ると、そのサスペンスも風化しているように感じる。

 

これは、近年の映画演出技術の進歩により、

サスペンスやアクションがスピーディーになっているため、

比べるとヒッチコックのスリラーは、全体的にのんびりと観えるのだ。

そうは言っても、当時の演出技術からすれば、

ヒッチコック映画の演出法は独特でアイデアに富んでいる。

スリラーサスペンスの基本を創った才人であることに変わりはない。

 

しかしながら、映画『鳥』は前半が退屈だ。

面白くなるのは、ガソリンスタンドの火災をきっかけに

上空に現れたカモメの大群が人間を襲撃し始める中盤過ぎ辺りからだろう。

今ならCGで滑らかに出来るシーンを二重写しという拙い技法で表現しているが、

今観てもあのシーンは背筋がゾッとするほど怖い。

振り向くとジャングルジムにカラスの大群が群がっているシーンと

双璧を成すスリラーの名シーンだと思う。

 

映画は鳥が人間を襲うまでの前半に尺の半分を使っている。

この部分が冗長なのだが、ここが原作にない部分である。

原作が短編なので引き延ばすしかないが、

引き延ばした部分が私には退屈に感じるのだ。

原作の映画化としては『サイコ』の方が成功していると思う。

 

『鳥 The Birds』

ではオリジナルの『鳥』はどうかというと…

いきなり鳥に襲われるという緊迫した状況から始まる。

 

主人公のナット・ホッキンは傷痍軍人で、恩給をもらいながら農場で働いている。

彼の働く農場は、両側を海に挟まれた半島にある。

ナットはそこで海鳥を見ながら妻の弁当を食べるのが日課だ。

すると、ナットのボスである農場主が言う。

『今年はいつもよりたくさん鳥がいる。あいつらトラクターを恐がりもしない。

今日の午後も、一、二羽頭をかすめていった。

天候が変わるんだろうよ。だから鳥どもは落ち着かないんだ』

 

この農場主の言葉が不穏な展開の伏線になっている。

自宅に帰ったナットは夜中に何かが窓を叩く音で目覚める。

窓を開けると、いきなり一羽の鳥に手の関節を突かれるのだ。

妻にこのことを話しても、ただの迷い鳥でしょうと取り合わない。

しかし、ナットにはある確信があった。

あの鳥は明らかに自分を狙って来たのだと。

 

ではなぜ鳥が人間を襲うのかというと、

それはいつもと違う天候のためという説明しかない。

やがてナットの不安は現実になっていく。

人が鳥に襲われたというニュースがラジオから聞こえてくる。

それもナットが住んでいる半島付近だけではないらしい。

イギリス各地から襲撃のニュースが入る。

 

海を見渡すと、どんよりとした曇り空の下、白い波頭が立っている。

よく見るとそれは波頭ではなく、何万羽のカモメの大群なのだ。

数え切れないほどの鳥の大群が海から内陸へ向かう。

やがてラジオが聴こえなくなり、情報が途絶える。

鳥の大群はイギリスだけでなく、ヨーロッパ全土に広がっているらしい。

そして、ヨーロッパからアメリカ、全世界を覆い尽くすかもしれない。

そういう不穏な余韻を残して物語は終る。

 

いつもと違う天候。それがどういうものなのか説明はない。

このいつもと違う何かの力が人間に牙を剥く地球規模の自然災害なのだ。

この短編集の出版は1952年だから、世界大戦が終結してから7年後である。

世界全体を覆い尽くす鳥の群れは、戦争のイメージかもしれない。

原作を読んで思うのは、そういう世界規模のスケール感である。

ヒッチコック映画と原作との違いはここだろう。

ヒッチコックのスリラーは、地球規模のスケールを必要としない。

むしろ、限られた空間における緊迫したサスペンスが持ち味だ。

裏路地で誰かに追われる。ドアの向こうに誰かがいる。

限られた時間内の追跡劇等々…

だから『サイコ』は成功したのだろう。

 

その意味で、デュ・モーリア『鳥』ヒッチコック向きではない。

鳥に襲われるというショッキングな要素はあっても、

人間に牙を剥く大自然というスケール感を表現しきれていない。

 

驚くのは、鳥に関するデュ・モーリア女史の知識の豊富さ的確さだ。

映画にも鳥類学者が鳥について説明するシーンがあったと思うが、

原作にさり気なく出てくる鳥に関する情報が圧倒的なのである。

そういう土台の上に構築されたデュ・モーリアの短編は、

エンターテインメントでは昇華しきれないスケール感がある。

私同様、映画しか知らない方はぜひ読んでみてほしい。

(続きます)

 

 

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