岩井田治行の『くまのアクセス上手♪』

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アイルランドのミステリー

 

遭難信号

キャサリンライアン・ハワード 創元推理文庫 ★★★★ 当り!

 

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書店でたまたま見つけた本。なぜか気になり手に取る。

517ページと分厚いが、何となくワクワクした♪

手に取ってワクワクしてハズレた本もあるが、これは買おうと。

直感ってヤツですね。で、大当たり!

 

ワクワクした理由は『失踪もの』という大好物だったから。

本格推理は頭が痛くなるので苦手だが、サスペンスは好きなのだ。

誰かがいなくなるほど不安で怖いものはない。

昨日までそこにいた親しい人が姿を消す。なぜ? どこに?

作者のハワード女史のデビュー作。

そしてこの新人作家はアイルランド人である。

 

現在は北欧ミステリーの評価が高く、翻訳も多いが、

アイルランドのミステリーは珍しい。

それも購入理由のひとつだったかもしれない。

 

アダムは恋人サラと幸福な日々を送っている。

アダムにはハリウッドで脚本家としてデビューするという夢があり、

サラは経済面でアダムを支えている。

そんな2人に朗報が届く。アダムの脚本が売れたのだ。

サラのアパートで祝杯をあげる2人。

そしてサラは明日、仕事でスペインへ向かう。帰りは4日後。

 

翌日、サラを空港へ送ったアダムがアパートへ帰ると、

サラの母親から電話が入る。サラと連絡が取れないと。

サラは母親に仕事で海外へ行くことを知らせていなかった。

向こうに着いたサラからはショートメッセージが1通届いただけで、

その後は連絡が途絶えている。

サラに電話するも留守番電話のメッセージしか流れない。

サラが滞在中のホテルに連絡を取ると、すでにチェックアウトした後。

一体サラは何をしているのか?

 

アダムはサラの親友ローズと連絡を取り、事情を話す。

するとローズは意外なことを打ち明ける。

『サラには、あなたの他に付き合っている人がいる。

相手はアメリカ人の既婚者だと聞いている。

スペイン行きは、そのアメリカ人から誘われた』と。

ローズはそれ以上のことは知らないらしい。

 

サラの帰国日に空港へ急ぐアダム。

しかし、到着便にサラの姿はなかった。サラは誰とどこへ消えたのか?

 

アパートへ戻ったアダムは、郵便受けに1通の封筒を見つける。

消印はニース。日付は2日前。

封筒の中身はサラのパスポートとサラの筆跡によるメモが1枚。

メモには『ごめんなさい ─ S 』という文字が。

ここまでが第1章だ。

 

サラのメモを素直に受けとれば不倫である。

サラは夢見がちなアダムとの生活に疲れていた。

しかし、アダムの脚本が売れた今になって、なぜ自分を捨てるのか?

アダムはどうしてもサラが自分を裏切るとは思えない。

翌朝、アダムはサラの両親と行方不明者届けを出すため警察へ行く。

ここからがサスペンスの始まりである。

サラの失踪は単なる不倫なのか、それとも事件に巻き込まれたのか?

 

この後の警察でのやり取りが実に面白い。

担当はキューサックというベテランの女性警察官。

この手の失踪には慣れているらしく、手際よく事情聴取を進める。

これはミステリーであり、読者は何かが起こっていることを知っている。

もちろん、主人公のアダムも確信を持っている。

しかし、キューサックはあくまで手順通り、冷静に聴取を進めていく。

 

読者はアダムと共に叫ぶ。早くサラを捜せ! と。

キューサックはそれに応えてこう言うのだ。

行方不明者とは、ただ居所がわからない人物のことではないのです。

本人及び同行者に明らかな危険が及ぶ場合にかぎり、

行方不明者として捜索できるのです。

サラが自分の意志で姿を消したのなら、たとえ警察が捜し出しても、

本人の許可がなければ居場所を知らせることはできない、と。

 

実に正論だが、それではミステリーにならない。

何かが起こっていることは間違いない。そういう小説なのだから!

しかしキューサックは動じない。

 

自宅に戻って、サラと連絡が取れる手段を片端から試して下さい。

ネットに連絡先として警察の電話番号を乗せて下さい。

警察から外務省に連絡を取り、サラが乗った帰国便も調べます。

それで進展がなければ、もう一度対策を練りましょう。

 

これがこの時点で警察に出来るベストであり、

失踪事件の9割は、その間に自然に解決するものだと。

ベテランの警察官は、大半の行方不明者が戻って来ることを知っている。

そして経験上、それは正しいのだ。

しかし、ついこの間まで一緒にいた人と音信不通になったら?

警察の言うように冷静に行動できる人はほとんどいない。

アダムはキューサックに従い、片端からサラとの連絡を試みる。

そして友人と協力し、サラと同行したアメリカ人の居場所を突き止める。

ところが、そのアメリカ人もサラの行方を捜していたのだ。

 

一体、サラはどこに消えた?

 

ここまで読むと本を置けなくなる。

読者はアダムと共にイライラしながら真相を探るしかないのだ。

作者のハワード女史は、この作品でデビューする前に

自費で何冊か本を出版している。

作家になるのは子どもの頃からの夢だったという。

書くことが好きなんでしょうね、この人は。

ほとんどのページが会話文による構成で読みやすい。

情景描写や心理描写も最小限度に抑えられている。

それでも情景が目に浮かぶというのは文才だろう。翻訳もいい。

だから、517ページが苦にならずに楽しめる。

 

物語は警察に失望したアダムが

失踪したサラを自力で捜すというサスペンスになっていくのだが、

ここに2つのエピソードが織り込まれる。

 

ひとつは豪華客船セレブレイト号で働くコリーンという女性客室係。

この女性は身分を隠し、乗客の誰かを捜しているようだ。

 

もうひとつは、ロマンという男の子。

フランスのピカルディに住むロマンは精神を病んでいる。

生まれた時から母親に忌み嫌われて育ったロマンは、

精神科医の助けを借り、何とか立ち直ろうとしていた。

 

コリーンとロマンという別の人生がアダムと接点を持つのが

豪華客船セレブレイト号である。

この船が、失踪したサラが最後に目撃された場所なのだ。

アダムは単身、この船に乗り込みサラの痕跡を追うが…

 

この手の作品にはお約束の『意外な真相』が待ち受けている。

ジグソーパズルのように複雑に絡み合った糸が1本づつ解明され…

という展開とはちょっと違う感じが意外だった。

複雑な構成は珍しくないが、これはシンプル!

シンプルだが絡み具合が何とも…

 

ミステリーの書き手としては、できるだけ複雑に凝って創りたい。

読む方だって、その複雑な構成を堪能したい。

ところがこの作家は複雑さにはこだわらない。そこがいい。

絡み合うのは物語に必要な最小限の糸だけ。

アダム、サラ、サラの浮気相手、コリーン、ロマンの5本。

それでも複雑さは感じない。とてもシンプルだ。

 

さらに、5本の糸でも絡むものと絡まない糸がある。

無理に絡ませればいいってもんじゃない。

同じ場所にいても絡まない糸もあるという展開は、意外と新鮮かも。

絡まないけど、微妙にかすめていく… みたいな♪

豪華客船の乗務員の働く様子に臨場感があり面白い。

果たしてアダムはサラと再会できるのか?

サラよ、どうか無事でいてくれ!

 

と油断してると、驚くもう1本の糸が絡んでくるぞ!

あ~ん、この余計な6本目の糸が…

後はご自分で読んで確かめて!

 

図書館で借りちゃダメ! 買わないと!

本という文化を維持するにはお金がかかるんだからね。

一気に読めて、再読したくなると思う。

 

本格ミステリー通の方々がどう評価するかはわからないが、

この小説はトリックの妙より人間ドラマが印象に残る点が好きなのだ。

それは、事件の背景に人間の運命というものを感じるから。

人間の力ではどうすることも出来ない運命という力。

その運命に翻弄される者、抗う者、気づかずに巻込まれる者…

あの出来事さえなければ… あの人にさえ会わなければ…

物語にはそういう要素が必ずある。

登場人物はそこで選択を迫られる。何をどう選ぶのか。

われわれも毎日そうやって生きている。

サラもわれわれと同じように選択したのだ。

 

キャサリンライアン・ハワード

この人日本では受けないかもしれないが、きっと人気作家になる!

 

 

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