岩井田治行の『くまのアクセス上手♪』

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可哀想な可哀想なモーツァルト

 

モーツァルトは「アマデウス」ではない

石井 宏 集英社新書  ★★★★★ 非凡すぎた才能♪

 

 

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Wolfgang Amadeo Mozart

 

モーツァルトは生前、このように署名した。

Amadeo「アマデーオ」またはその短縮系のAmade「アマデ」と書き、

自らをAmadeusと名のったことは一度もなかった(p.16)

 

モーツァルトの名前は4つあった。

ヨハン Jhohann

クリゾストムス Chrysostomus

ヴォルフガング Wolfgang

テーオフィール Theophil またはゴットリーブ Gottlieb

 

この4つが親からもらったモーツァルトの正式の名前で、

このどこにも『アマデウス』という名前はない。

にもかかわらず、今日モーツァルトは『アマデウス』と呼ばれている。

なぜこんなことになったのか?

その謎をモーツァルトの人生を辿りながら解明し、

著者は一人の不運すぎる天才の人生を浮き彫りにする。

私はこの本を読んで泣いた。

あまりにも可哀想で…

 

 

以前このブログで『アマデウス』という映画レビューを書いた。

天才は凡才を知らないうちに傷つける。

凡才は天才を妬み誹謗中傷する。

それは弱い立場の人間の自己防衛本能で、悲しいが仕方がない。

しかし天才に生まれることもまた悲劇なのだ。

天才とは一種の突然変異であり、他に類がない。

それは孤独な人生を意味する。

 

凡才は天才を理解できず妬むが、

天才であることもまた大きな苦痛なのだ。

その意味で、人は皆、神の前では公平なのだと書いた。

 

しかしこの本を読むと、とても公平とは思えない。

天才に生まれることは(ほんの一部を除いて)不幸以外の何物でもない。

少なくともモーツァルトはそうだった。

 

そして、モーツァルトがその不幸な生涯で、

なぜ Amadeo という名前にこだわり続けたのか、

その理由(著者の推測)を知り私は泣いたのだ。

モーツァルト、よくがんばった。アンタは偉い!と。

 

モーツァルトという天才に想いを馳せる時、

まず彼が生きた時代背景を知らねばならない。

つまり、今とは大違いだったということ。

 

モーツァルトザルツブルク(現オーストリア共和国)に生まれた。

当時はオーストリア領ではなく、カトリック教会領で、

国王ではなく、カトリック教会の大司教が領主を務めていた。

 

ジーギスムント・フォン・シュラッテンバハ伯爵・大司教様だ。

このジーギスムントさんとモーツァルト家は相性が良かった♪

領民は領主の許可がなければ自国の領土を出られない。

つまり、旅行するのに領主の許可がいるのだ。

大司教の宮廷に仕える楽士であった父レーオポルト

職務を4年も放棄して神童モーツァルトを連れてあちこち旅をしても

シュラッテンバハさんは怒らなかった。

神童モーツァルト少年が、わがザルツブルクの名声を高めてくれた

そういって喜んだそうな。ええ人やなぁ~♪

 

ところがこのシュラッテンバハさんがお亡くなりになると、

後任のヒエロニクス・フォン・コロレード大司教が来ます。

このオッサンが問題や。

このオッサン、なぜかモーツァルトが大嫌いでした。

だから旅行の許可なんか出しません。

なんと10年間、モーツァルトを領地に閉じ込めます。

 

モーツァルトは、

16歳から25歳までのもっとも多感な時期を棒に振った。

あんまりじゃないか!

 

怒ったモーツァルトはこのクソじじい! というとても丁寧な手紙を

大司教に出したところ、「ならば勝手にしろ!」とばかりに、

宮廷楽士の父レーオポルトをクビにしてしまった。

モーツァルトは喜んだが父は失業し寝込んでしまう。

 

ここからモーツァルトは怒涛の就活旅行を敢行するのだが、

世間は天才にとても冷たかった。天才は失業した。

天才なのに職がないってか!

 

 

神童というのは子供である。

その子供が大人の世界で認められるのは至難の業だ。

神童の親が凡人なら、モーツァルトの才能に気づかなかったかも?

著者はそう推測するが多分そうだろう。

天才は軽々と凡人を超え、常識を超えてしまう。

だから普通の親なら、その才能を育てられなかったかもしれない。

コロレード大司教がそうであったように。

 

モーツァルトの父レーオポルトは製本職人の家に生まれた。

そのままなら職人になっただろうが、秀才だったため大学へ進学。

高位高官の椅子が約束された人生を送れるはずだったが…

その大学を退学させられてしまう。

退学理由は不明らしいが、そこで父は未来を断たれる。

レーオポルトの父はすでに亡く、母親には勘当されていた。

食うために楽士となるが、それは社会の最下層の職業だった。

 

レーオポルトは考えた。

音楽の世界での出世とは宮廷楽長になることだ。

そうなれば挫折した上流社会での生活が叶うと。

 

しかし、レーオポルトの故郷ドイツで楽長職に就くには、

「イタリア人であるか、イタリアで留学生活を送ったことがあるか、

イタリア人に師事しその推薦を受けているか、そのどれかに該当しない限り

見込みは薄かった(P.58)」

当時はイタリアが音楽の中心だったんですね。

 

レーオポルトがドイツで楽長職に就く見込みはゼロ。

そこに生まれたのが神童モーツァルトだ。

父はすぐにわが子の異常さに気づく。

この子は神童だ!

この子は貴族社会の寵児になる!

この子を育てれば、失われた過去を取り戻せる!

レーオポルトは驚喜した。

 

「レーオポルトは変身した。作曲やもろもろの精進努力を止めて、

わが子のプロモーターになったのである(P.60)」

 

この後、神童モーツァルトは評判となり、父の夢は叶うのだが…

子供の人生に親の想いが強く反映すると、ときに不幸が起こる。

モーツァルトの場合はそうだったようだ。

父親の想いが強すぎた。

ある意味、自分のリベンジマッチに息子を利用したのだから。

父レーオポルトにその自覚はなかったろうが、

息子を売り込むために、ときに暴走した事実がそれを裏付ける。

やらなきゃいいのに… というアレである。

 

レーオポルトはわが子に対する世間の妬みが許せなかった。

こんな素晴らしい才能をなぜ認めんのだと。

 

大きな才能が世に出ることは、

並の能力を持つ人にとって、諸刃の剣なのだ。

その才能が自分たちの居場所を押し広げてくれる力になるか、

逆に奪う力になるのかということ。

 

スーパースターが生まれると、その業界は活性化する。

しかしスターだけでは何事も成り立たない。

そこには多くの脇役(協力者)が必要となる。

つまり多くの雇用が生まれるのだ。

 

主役のいない時代は、脇役がその代用をしなければならない。

当然、脇役では力不足だからその業界はしぼんでしまう。

活性化するには輝く人材が必要なのだが、

この人材(才能)が善人とは限らない。

 

才能はあっても協調性がなく、自己中心的では周りが困る。

才能と人格は必ずしも一致しないから脅威なのだ。

そこに偏見や思い込みが生まれ、

特に自分の弱さを自覚する人たちは、その才能を恐れる。

自分が消えてしまうんじゃないかと恐れるのだ。

その結果、才能の芽を摘むという行為に走る。

こうなると素晴らしい才能が闇に葬られるか、

それが世に出るまでに何十年もかかることになる。

 

モーツァルトの才能は、

あまりにも素晴らしすぎたため、後者の道を辿った。

父レーオポルトがどんなに頑張ろうとも、

その才能の大きさは人類の宝ではなく、脅威と映った。

モーツァルトの才能は人々から賞賛されるものではなく、

人々を不幸にする得体の知れぬものと思われ、忌み嫌われたのだ。

 

 

モーツァルトの才能が敬遠されたことには理由がある。

一番大きいのは封建時代に生まれたことだろう。

今のような時代なら、抵抗はあっても評価されたと思う。

これだけの才能を大衆が無視するわけはなく、

必ず口コミで広がることは間違いない。

貴族とか領主とか、とにかく上流社会の評価が必要というのは

あまりにもハードルが高すぎた。

特に天才にとっては無用のハードルだったろう。

 

父レーオポルトが普通の人で、野心などなかったら。

息子が音楽好きなら応援してあげようぐらいだったら、

世間の妬みはもう少し緩かったかもしれない。

自分のリベンジマッチに息子を利用する時点で、

素晴らしい才能が歪んでしまいかねない。

 

モーツァルト自身の性格も災いしたかもしれない。

「彼はダメ男だと言われても仕方がないところは十分に持っていた。

金にもだらしなければ、女にもけじめがなかった(P.251)」

 

しかし、だからこそ大天才だったのである。

今なら面白人間というキャラで受け入れられたろう。

モーツァルトが謙虚な人間なら、世間は拒否しなかったとしても、

それでは彼の才能も並のものだったと思う。

奇人変人であることと後に人類の宝となるモーツァルトの才能は、

同じ一つのものだったのだ。

 

それにしてもウイーンに滞在したモーツァルトが、

オペラを書いて上演しようとしたときの周囲の妨害は尋常ではない。

この本には、

現存するモーツァルトと父レーオポルトの手紙が掲載されており、

父レーオポルトの手紙の中に

「歌手たちは仲間に引き入れられ、オーケストラにも手が回り、

彼らはあらゆる手段を弄して

このオペラの上演を止めようとしています(P.87)」

という凄まじい下りがある。

 

それほどにモーツァルトの才能は脅威だった。

凡人を軽々と飛び越えていく能力。

それは絶対にあってはならないものだったのだろうか。

 

 

モーツァルトは35年という短すぎる一生の中で、

名誉にもお金にもあまり縁がなかった。

親友や心を許せる異性にも恵まれなかったようだ。

最終的には父と姉とも仲が悪くなり、

妻のコンスタンツェとの仲も崩壊していた。

そして唯一誇りにしている才能は拒絶されてしまう。

あまりにも可哀想な人生である。

 

そんなモーツァルトが脚光を浴びたのがイタリアだった。

35年という短い人生で、天才モーツァルトが評価されたのは、

このイタリア滞在中だけだったようだ。

騎士の称号と黄金の拍車勲章、アッカデーミアの会員資格、

そして『楽長』という最高の栄誉が与えられた。

モーツァルト14歳のときである。

 

これ以後、モーツァルトはほとんど評価されなかった。

故郷ザルツブルクモーツァルトに好意を持っていなかった。

彼の追悼コンサートも行われず、

死後刊行されたザルツブルクとその周辺のガイドブックには

モーツァルトの名前はどこにも出ていなかったという。

モーツァルト家は街の記録から抹殺されているのだ。

 

どうしてそれほどまでに人々がモーツァルトを嫌ったかはわからない。

これは彼の才能とは関係なく、

その存在自体が非常に不快なものだったのかもしれない。

そういう天才だったのだろう。

 

生まれ故郷からこれほど嫌われたモーツァルト

ありのままに受け入れ賞賛してくれたのがイタリアだった。

そこでモーツァルトはなぜか『Amadeo アマデーオ』と呼ばれた。

生前モーツァルトがこの名前を好んで使ったのは、

終生彼にとっての唯一の『誇り』だったからと著者は言う。

 

アマ(愛)デウス(神)というドイツ語名は、

後にドイツ人が勝手につけたものらしい。

 

モーツァルトは自分の天才を自覚していたろう。

そしてその才能に大きなプライドを持っていた。

しかしその才能は多くの人々に受け入れられず、

地位、名声、お金は得られなかった。

 

晩年、すべての幸運から見放されたモーツァルトに残っていたもの。

それが『Amadeo アマデーオ』という名前だったという。

 

モーツァルトの直筆の署名 “ヴォルフガンゴ・アマデーオ” は、

「彼の魂を象徴するものであった(P.234)」という一文は泣ける。

全てを失った彼に残されていたものは”才能”だけだった。

その”才能”を惜しげなく賞賛したイタリア人がくれた名前。

それが『Amadeo アマデーオ』である。

 

モーツァルトは死後、

そのアマデーオという大切な名前を封印され、

アマデウスにされてしまったのだ。

この本の帯にある モーツァルトは二度 ”殺された”とは、

そういう意味だろう。

 

これは悲しい。あまりにも悲しすぎる。

アマデーオを心の支えに最期まで作曲を続けたモーツァルト

しんどかったろうなぁ、でも立派だなぁと。

単純な私は泣いたのだ。

 

モーツァルトは、今自分がアマデウスと呼ばれていることを知らない。

またモーツァルトアマデーオという名を

著者が言うように思っていたかは知る由もない。

おそらく、いや絶対にそうなのだろうという推測に過ぎない。

しかし著者の推測は理屈が通っており、説得力がある。

私もそう思いたい。

 

モーツァルトにとって、14歳のときのイタリアでの栄光は、

生涯忘れられぬものだったのだろうと。

 

そうであればわれわれは彼をアマデウスではなく、

Wolfgang Amadeo Mozart

 

と呼ばねばならないだろう。

 

 

この本は主にモーツァルトの名前にまつわるお話なのだが、

彼の伝記としてもコンパクトにまとまっていて読みやすい。

読後、私はずっとモーツァルトの歌劇を聴いている。

『コシ・ファン・トウッテ』『ルーチョ・シッラ』『魔笛

皇帝ティートの慈悲』『フィガロの結婚』『ドン・ジョバンニ

そして『モーツァルト歌曲集』etc…

どれを聴いてもいいです♪♪

 

歌劇というのは私には退屈なんだけど、

モーツァルトの歌劇は、なぜか耳に心地いい。

『コシ・ファン・トウッテ』と『ルーチョ・シッラ』がお気に入り♪

 

モーツァルトという稀代の大天才の人生を

大まかに知るだけでも大変参考になります。

お勧めいたします。

 

 

 

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