岩井田治行の『くまのアクセス上手♪』

興味を持った本と映画のレビューとイラストを描く♪

初めて原作を読んだ! こんなに面白いとは知らなんだ♪

 

 

シャーロック・ホームズの冒険 上巻

コナン・ドイル ハヤカワ文庫


 シャーロック・ホームズの事件簿

コナン・ドイル 角川文庫

★★★★★ とっても面白かった!

 

 



 

さて、我らがホームズである。

恥ずかしながら、還暦を過ぎてから初めて読んだ。

このブログで何度も書いているように、

私はSFと推理小説がとにかく苦手である。

大体最後まで読めない。飽きてしまう。

ホームズと言えば『名探偵の代名詞』と言われるほどに古典である。

古典だから、推理と謎解きに特化した推理小説のお手本なのだろう。

つまり、理屈っぽくて退屈で古臭い。

そういう思い込みがあり、読まなかったのだが…

 

 

 

◼︎ホームズとの出会い◼︎

人生はちょっとしたきっかけで変わるもの。

推理小説が苦手なことにかけては筋金入りの私が、

どうやってホームズと出会ったのか。

 

シャーロック・ホームズは知っていたし、

映画も何度か観た記憶がある。

にも関わらず原作を読もうと思ったことはないのだ。

 

ハヤカワ文庫の新版『シャーロック・ホームズの冒険 上・下』

たまたま本屋で見かけ、一度ぐらいは読んでみようと購入。

上下巻買うのはもったいないから上巻だけ買った♪

これが生まれて初めて読んだホームズとなった。

でもって、2話目の赤毛連盟』で飽きた。

やはり推理ものは私には向かない。積読となった。

 

このままなら一生読まなかったろう。

しかしホームズは私を離さなかった。

ジェレミー・ブレット主演のTV版ホームズが完全版で再放送された。

何気に観てみた。やはり推理は退屈で途中で寝てしまった。

 

しかし主役のブレットさんのホームズはとても魅力的だ。

ワトスン博士も同様に。

そしていつの間にか全話観てしまったのだ。面白かった♪

 

ということは… 待てよ、原作は面白いんじゃないか?

そう思って、積読本の中から読みかけのホームズを引っ張り出し、

第一話『ボヘミア国王の醜聞』から再度、今度は丁寧に読んでみた。

 

あらびっくり! 面白い! それも抜群に面白い!

なぜ途中で飽きてしまったのだろうと、一気に上巻を読み切った。

 

何だよ~、もっと若い頃にホームズと出会いたかったな~!

と思ったが、まぁ、本との出会いとはこうしたものだろう。

だからホームズを未読の方にとって、

この拙いレビューがホームズに出会うきっかけになれば嬉しい。

 

 

◼︎シャーロック・ホームズの冒険 上巻◼︎

90年以上前に書かれたホームズの物語が、

今でも世界中で読まれているのはなぜなのか?

あの007の原作でさえ、ほとんど読まれなくなったというのに。

娯楽作品の寿命は、案外短いものなのだ。

 

ホームズは芸術作品ではなく『娯楽』である。これは間違いない。

それがなぜ90年以上経っても魅力を失わないのかと言えば、

ホームズと相棒のワトスン博士の人物造形に負うところ大だが、

より本質的には、作者コナン・ドイルの『物語る力』にあると断言できる。

どのエピソードも『物語る力』に満ち溢れている。

それはドイル氏が天性の『語り部』である証だろう。

 

ホームズ譚は、基本が推理、調査、謎解きにあるため、

『冒険』とは言っても、所謂アクションものではない。

ホームズは相棒のワトスン博士と事件解決のため、実に様々な場所に赴く。

しかしそれは活劇ではなく、単なる『行動』に過ぎない。

ホームズ物での本当のアクションは、ホームズの頭脳の中で起こる。

ホームズの頭の中を視覚化すれば、

それはCGを多用したアクション映画よりも目まぐるしい活劇となるだろう。

しかし我々が見ることのできるのは、

愛用のソファに腰掛け推理に耽るホームズの姿である。

(推理する姿もソファ以外、実に多彩だが)

 

このホームズの様子を伝記作家のワトスン博士が、

ホームズに言わせると、

「劇的に盛り上げ、世間の好みに迎合して無駄に飾り立てるあまり、

事実と数字がおろそかになっている」文章で書いている。

つまり、我々が読んでいるのは事実の忠実な再現ではなく、

ワトスン博士が描く物語である。ここがちょっと面白い。

 

読者が読んでいるホームズ譚は、

ワトスン博士の手で紡がれた娯楽小説風事件記録であり、

それは多分に『盛られた物語』だとホームズは言うのだ。

だからその中に登場するシャーロック・ホームズという人物像は、

ワトスン博士から見た主観的ホームズ像であり、

実際のホームズとは少し違う可能性がある。

つまり我々は誰一人、本当のホームズを知らないのかもしれない。

 

この娯楽小説風事件記録から連想するのは、あのグリム童話だ。

 

グリム兄弟は共にドイツの言語学者で、

グリム童話はドイツ語研究の一環として

ドイツ各地に伝わる民話の蒐集から始まったという。

兄のヤーコプ・グリムは厳格な学者で、

蒐集した民話自体には学術的な価値しかなかったらしいが、

弟のヴィルヘルム・グリムには文才があり、味も素っ気もない兄の記述を

『昔々あるところに~』という『童話』の形にしたと言われている。

つまり、言語学的資料としての民話記録から

創作童話風民話記録に作り替えたものが『グリム童話』らしいのだ。

兄ヤーコプの記述した物語には、子供を夢中にさせる力はなく、

そのままでは後世には残らなかったかもしれない。

弟さんがいてくれてよかった♪

 

だから、

ホームズが兄のヤーコプなら、ワトスンは弟のヴィルヘルムである。

我々が読んでいる事件記録が

全てホームズの記述によるものだとしたら、

味も素っ気もないただの正確な事件記録だったろう。

それをヴィルヘルム同様、

文才のあるワトスン博士が脚色して読み物にしてくれたおかげで

我々はホームズ譚を満喫できるのである。

 

面白いことに、最後の短編集『シャーロック・ホームズの事件簿』には、

ホームズ自身が書き記した事件が数話収められているが、

実際に書いてみるとワトスン博士のようには書けないらしく、

ホームズ曰く、

『読者の関心を引き寄せる書き方がいかに重要か、早くも思い知らされている』

と認めている。つまり、ワトスンの文才にはかなわないと。

だから我々は、ワトスン博士の手による『無駄に飾り立てられた物語』

読める幸せを噛みしめなければならないのだ。

 

ところで、

私には探偵が長々と推理し謎解きをする動きのないシーンは、

退屈に感じてしまい、飽きてしまうのが常である。

推理小説が苦手というのはそういう理由なのだ。

 

ホームズ譚も、どのエピソードもページが文字でびっしり埋まっている。

それだけ論理的であり、ある意味理屈っぽくもあるだろう。

だから本来ならすぐに飽きてしまうはずなのだ。

しかし動きのないホームズの思考の過程でさえ、

ワトスン博士(実際はコナン・ドイル)の手にかかると

『物語』として抜群に面白くなる。

これはねぇ、本当に不思議。魔法ですよ、魔法。

なんでこんなにも延々と推理や観察、証拠集め、

謎解きと続く理詰めの展開が『物語』として面白いのか。

どうやったらこういう文章が書けるのだろうかと感嘆する。

 

第1作『緋色の研究』という長編でホームズとワトスン博士が出会い、

続けて第2作『四つの署名』という長編を書いたが、

この2作がなぜか人気が出なかったらしい。

その後、ストランド・マガジン誌に連載したホームズ物の連作短編が

大人気となって後世に残ったというから、これも不思議なことだ。

その雑誌掲載作品をまとめたものが、

第1短編集『シャーロック・ホームズの冒険である。

上巻には6つの短編が収録されており、

コナン・ドイル自身が気に入っていたという赤毛連盟』がある。

 

確かにこのお話のトリックはユニークで物語的にもとても面白い。

というより、収録作すべてが非常に面白いのだが、

私のお気に入りは赤毛連盟』ではなく『五つのオレンジの種』である。

 

作者のコナン・ドイルは科学者(医者)であるにも関わらず、

運命や宿命、さらには目に見えない不思議な力を信じていたらしく、

若い頃に心霊主義に出会い、晩年はその活動に専念したという。

 

科学者でありながら、そういう目に見えないものに対する畏敬の念を

常に持ち続けていた人なのだなぁと感じるのが、

この『五つのオレンジの種』という短編なのだ。

 

別に霊魂が登場する神秘的な物語ではないのだが、

この物語の結末がねぇ、実に何とも、

ああそういう結末なのねと感心させられた。

 

物語は、ホームズが秘密結社K・K・K に狙われる男を守るため

得意の推理と行動力で結社の親玉を追い詰めていくというもの。

全ての謎を解き、ついに親玉を追い詰める完璧な作戦を立てるのだが、

そこでこの物語は残り9行を残すのみとなる。

たった9行でこのお話をどうまとめるのだろうと

少し心配になりながらも興味津々で読み進めると…

あらびっくり!

 

ロンドンで指名手配となった結社の親玉たち3人を裁くのは、

ホームズでも法律でもない『ある力』によるものなのだ。

さらに親玉たちをギャフンと言わせてやろうと思いついた

ホームズの策略もこの『ある力』によって水泡に帰すという

実に何というか、こういうミステリーの結末があるんだなぁと

私は一人唸ってしまった。

 

ホームズ譚は確かにその後に続く推理小説の基礎を作り裾野を広げたが、

この小説の魅力は、ユニークな主人公、推理法、科学捜査、奇怪な謎

などと同時に、ドイル氏が紡ぐ『物語』の力にこそあるのだ。

 

私は赤毛連盟』より、

『五つのオレンジの種』のような作品にこそ、その力を感じる。

だからホームズ譚は単なる読み捨ての娯楽ではなく、

世界的にも極めて優れた『再読に耐え得る物語』の一つだと思う。

 

 

◼︎シャーロック・ホームズの事件簿◼︎

 

TV版のホームズにサセックスの吸血鬼』というのがある。

ラストで主役のジェレミー・ブレット扮するホームズが叫ぶ。

 

世界は人間だけでたくさんだ。

幽霊の出番はない!

 

いいですねぇ~ なんかワクワクするセリフです♪

私はこのセリフが甚く気に入り、ノートに書き留めた。

そして原作では何と言っているのか非常に気になり、

このお話が収録されているホームズ物語を探したところ、

最後の短編集『シャーロック・ホームズの事件簿』に行き着いた。

で、何と言ってるかというと、こうだ。

 

この世だけでも広すぎるくらいなんだから、

超自然界にまで足を踏み入れることはない。

駒月雅子訳)

 

TVドラマではラストのセリフだが、

原作では最初から4ページ目のセリフだった。

まぁ、ほぼ似た感じですかね♪

 

ではサセックスの吸血鬼が一番のお気に入りかというと

実はそうではない。

 

私のお気に入りは、

『マザリンの宝石』『高名な依頼人』『三破風館』である。

何がいいかと言うと、この3作に登場する悪役が実に魅力的なのだ。

現実には会いたくない人物ばかりだが、いいのですよ、こいつらが♪

 

特に『三破風館』に登場する悪役は女。

この女、絶世の美女だが性悪女。

これが前途有望な青年の未来を潰してしまう。

調査依頼は青年の母親からだ。

美しく生まれたということは犯罪ではない。

性悪女ではあっても犯罪者ではないから刑事事件にはならないのだ。

じゃあどうするの、ホームズさん?

 

「だってアタクシ綺麗なんですもの、仕方ないじゃございませんこと~♪」

 

と、この女は絶対に改心しない。

どこかでまた若い男を弄ぶに違いない。

しかしそれでは残された青年の母が救われない。

悪役ではあっても犯罪者ではない女をどうするのか?

これはもう『お仕置き』しかないわけ。

ここが実に痛快♪

 

ホームズは紳士だから暴力は使わない。

代わりに性悪女が断れない『ある物』で、美しさの代償を払わせる。

その『ある物』が実に粋なのね。

ああなるほど、それはいいですねと♪

 

そしてホームズは女に釘を刺す。

「せいぜい用心なさい! いつまでも刃物をおもちゃにしていると、

そのきれいな手に傷が付くかもしれませんよ!(P.245)

う~ん、ホームズかっこいいい~♪

 

『マザリンの宝石』の殺人者シルヴィアス伯爵のしたたかさ。

ベーカー街221Bの部屋で繰り広げられるホームズとの言葉による応酬は鳥肌もの。

会話だけでここまで面白く盛り上げるドイル氏の語り部としての力に脱帽する。

この2人の会話はねぇ、何度読んでも身震いするほど面白いですよ♪

 

『高名な依頼人に登場するオーストリアの殺人鬼グルーナー男爵に至っては、

読んでいる間中、背筋のゾワゾワが止まらなかった。

次から次に女を蒐集し殺すというサイコパスだが、書物や絵画の蒐集家であり、

中国陶磁器の分野では権威として知られ、著作もあるという才能の持ち主だ。

007の悪役としても通用するんじゃないかと思えるほどである。

 

ドイル氏は、これらの歪んだ人間の描写が実に上手いので、読んでいて怖い。

現実では絶対に会いたくない人間だが、キャラクターとしては抜群に魅力的。

ドイル氏はこういう悪役を楽しんで書いていたのだろう、多分。

 

ホームズ最後の短編集ということで、

これでお別れというドイル氏の『まえがき』がある。

「ホームズを長く書きすぎた」という作者の本音が垣間見えて寂しいが、

作品のクオリティは第1短編集と大差ないように思える。

つまり、相変わらず面白い! のだ。

 

 

昔々、ビクトリア朝後期のロンドンはベーカー街221Bに、

シャーロック・ホームズという名探偵が住んでおりました。

彼にはワトスン博士という頼もしい相棒がいて、

さてさて、今回彼らが取り組む奇怪な事件とは…

 

こう語られるホームズ譚は、

まさに大人のためのおとぎ話、空想物語である。

それは天性の語り部であるコナン・ドイルの『物語る力」によって、

永遠の命を吹き込まれているのだ。

 

ホームズ譚を一度も読んだことのない人。

拙い私のレビューをきっかけに、

ベーカー街へタイムスリップしてはどうだろう。

気に入らなければすぐに戻って来ればいい。

でもね、もしあなたがホームズと波長が合うならば、

生きている間にこの素敵な物語を一度も読まないのは、

とてももったいないと思う。

 

今の翻訳はどの社のホームズ全集も新訳で読みやすいと思う。

ただ角川版には、あの有名なシドニー・パジェットの挿絵がない。

ハヤカワ版には挿絵あり。

光文社文庫のホームズ全集は装丁も美しく挿絵もあるそうなので、

私は光文社版で全巻揃えようと思っている。

 

律儀に、第1作『緋色の研究』から読み始めるもよし、

適当な短編からベーカー街を訪れるもあなたの自由だ。

強要はしないがお勧めしたい。

 

もしあなたがベーカー街から戻れなくなっても、

責任は持てないのでその覚悟で行ってきてください。

そこに宿を借りて住み着くという手もあるが…

 

ところで、ベーカー街221B ってどこにあるんでしょうね?

 

 

 

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