トータル・リコール ディック短編傑作選
フィリップ・K・ディック ハヤカワ文庫 ★★★★★
何度も読んでいるのに、また読みたくなり買ってしまった♪
SF小説で繰り返し読むのは、フィリップ・K・ディック作品ぐらいだ。
それも短編が面白い♪
やがて文学として深化していくディック作品だが、
単純な私は、ワンアイデアの短編が好きだ。
フィリップ・K・ディックのワンアイデアは、発想がやたら面白い♪
どこから思いつくの、その発想? と読みながらいつも思う。
その典型のような作品が本のタイトルになっている。
第1編
時間的にも金銭的にも旅行に出る余裕がない。
それが火星旅行ともなればなおさらである。
そこに目をつけた新手の商売!
完全な旅の記憶を販売する会社が現れた。
リコール社では細部にわたる旅の記憶だけでなく、
旅行した物的証拠まで提供してくれるのだ。
さらに、惑星間刑事警察機構の秘密捜査官という身分まで!
これはもうただの旅行ではない。
スリルとサスペンスに満ちた本物の火星旅行である!
満足出来なければ、全額返金保証付き!
これはいい♪ お買い得じゃないか♪
そうダグラス・クウェール氏は思ったのだ。
ディック作品で繰り返し描かれる
”自分は本当の自分なのか?”という病的な問いかけ。
自分の記憶が別人のものだったら?
自分の記憶が作られた偽の記憶だったら?
ディックさんは毎日そう考えていたらしい。
うろ覚えだが、ディック氏はこう語っている。
仕事場にいると、家具や調度品が突然動き出す感覚に襲われるが、
(そんな感覚に襲われるヤツは、めったにいない!)
この程度では精神に異常が発生しているとは言えない。
(それだけで十分おかしいと言えるけど!)
恐ろしいのは、
それらの家具・調度品が話しかけてきたときだ!
おい、大丈夫か、ディックさん!
大丈夫じゃなかったんだろうな、きっと。
スタンドや食器棚が話しかけてきたら仕事どころじゃないだろう!
そして、
本編の主人公ダグラス・クウェール氏もまともじゃなかった!
リコール社に記憶旅行を申し込んだのはいいが、
彼には架空の記憶パターンを挿入する余地がなかった!
アンタ、いったい何者なの?
というお話だ。
これはもう笑うしかない!
こんなヤツはいねえ~!
★★★★★
第2編
『出口はどこかへの入り口』
これはとにかくタイトルがいい♪
21世紀のある日、
ボブ・バイブルマンが軽食販売ロボットに昼食を注文すると、
『懸賞に応募しませんか?』という誘いを受ける。
応募した瞬間、バイブルマンは見事一等賞を獲得していた!
手に入れた一等賞とは、
陸軍少尉となって、太陽系最高の大学へ入学する資格だ。
この大学に入学するには、大学から選ばれなければならない。
つまり強制入学である。
この謎の大学での顛末が描かれるのだが…
ラストに、大学が望む意外な人材の基準が明かされる!
こういう人材を本当に社会は必要としているのか?
逆なんじゃないの?
そう思わせるところがディックらしいと言うべきか♪
こういう大学で青春を過ごしたかった!
★★★
第3編
『地球防衛軍』
誰が地球を守っているの? というお話。
暗澹たる未来の地球。
核戦争により、地上に住めなくなった人類は地下に潜った。
人間に代わって地上で戦うのはロボットである。
地下へ避難して8年が過ぎても、
ロボットから送られて来る地上の映像は荒廃した風景ばかり。
しかしある日、人間たちは疑問を持つ。
本当に地上では戦争が行われているのかと。
希望に満ちたラストが印象的な佳作。
★★★★★
第4編
『訪問者』
これも核戦争後の世界を描いている。
面白いのは、生物が絶滅した地球ではなく、
放射能や荒廃した環境に適応した生物がいる地球なのだ。
これらの適応生物の中には人間もいる。
それを人間と呼べればだが…
考えてみれば、核戦争で生物が滅びるというのは決め付けで、
ほとんどの種は滅びるだろうが、適応する種もいるかもしれない。
この作品に描かれる核戦争後の地球は生命で満ちている。
しかし、純粋な人間はそろそろ地球には住めなくなっている。
別の惑星へ行くしかない。
そういう時期にさしかかった地球の物語であり、
何とも皮肉な結末が待っている。
われわれの未来は案外こういうものかもしれないのだ。
★★★★★
第5編
『世界をわが手に』
作品の冒頭に
太平洋横断トンネル完成 アジア大陸と地続き
という文字を主人公が一瞬見るシーンがある。
アメリカとアジアがトンネルで行き来できる未来世界なのだ♪
ワールドクラフト社が極小レベルの宇宙システムを開発。
どういう仕組みかわからないが、ミニチュアの惑星を創る技術だ。
『世界球』と名付けられたその製品が飛ぶように売れている。
宇宙探査の結果、地球の他に生物の住む惑星がないとわかった人類は、
その閉塞感から抜け出すため、世界球を創ることに熱中する。
誰でもが手軽に小型の地球を創ることができる!
人間が極小世界の造物主になるというアイデアは古くからあるらしい。
藤子・F・不二雄の『創世日記』を思い出した♪
この短編では、人々は創った世界球に最後の仕上げを施す。
その仕上げが実にディックらしいと言うべきか…
多分こうなるだろうと予測した結末に至るのだが、
やはり、文章表現力というのだろう。
予測した通りの結末も、文章次第でこうも引き締まるのかと唸った!
★★★
第6編
『ミスター・スペースシップ』
ヤク人と人類が戦う未来のお話。
敵のヤク人が使用する宇宙機雷というのがスゴイ!
一種の生体兵器で、偽足が付いている♪
この機雷は地球の戦艦を見ると近づいてきて、爆発を決断するのだ。
近づいてきて爆発を決断する機雷というのがね、ユニークだ♪
『そろそろ爆発したろか』いうてね~ 恐いな~♪
そんなヤク人に手を焼いている人類が対抗手段を思いつく。
これがまたスゴイぞ!
人間の脳を宇宙戦艦に移植するという… ホントかよと!ホントだよと。
ただ候補者がいない。おるかいな、そんなヤツ。
自分の脳を宇宙船に移植するてなぁ~
ディック節炸裂やな~♪ ええなぁ~♪ どないなるんやろなぁ~♪
一人の老科学者が候補に挙がる。
でもって、このおじいさんはある条件付きで引き受けるのだった♪
人間の脳を持った宇宙戦艦VS異星人の戦いや!
こらオモロなるで~ いうてね、期待して読んでいくと…
編者で訳者の大森望さんの言葉を借りれば、
中学生のSFファンが考えたような愛すべきバカSF ぶりを発揮する♪
正直言って、このお話は面白いのかどうかわからない♪
わからないけど、何かいろんな要素が詰まっていて楽しい♪
さらに結末がスゴイ♪
この作品は発表から60年にわたり未訳だったそうだ。
よう訳したな~ これ♪ その勇気に感謝!
★★
第7編
『非O』
一種のミュータント物語だが、
『Oならざるもの』というナゾめいたタイトルが目を引く!
ある日、ある夫婦に子どもが生まれるのだが、この子が普通じゃない。
どう普通じゃないかというと、人間的感情が全くないのだ。
ヤバイだろこれは!
子どもは非Oという特殊な思考をするミュータントとして成長する。
さらに、ミュータントはこの子一人ではなかった!
この非O思考のミュータントたちがある計画を立てている。
その計画とは、Oでない世界を作ることだった!
わけわからん!
Oでない世界てなんやねんと。
そして、このOがある言葉の頭文字であるとわかってひっくり返る!
そらアカン! Oでええやん! Oでない世界なんかアカンがな!と。
ようこんなこと考えまんなぁ~というお話♪
★★
第8編
『フード・メーカー』
これもまた『被りもの製造者』というタイトルが目を引く!
ディック作品では、ひとつの題材が繰り返し使い回される。
テレパシーもそのひとつだ。
同じ題材で、いろんなお話が創れるんだなぁと感心する。
政府に忠実でない不満分子をどうやって探し出すか?
その解決法がある日、突然に見つかる!
ある爆発で被爆した生存者の子どもたちが突然変異を起こし、
強いテレパシーを持って生まれる。
成人した数百人のテレパスたちは政府に雇われ、
国民の脳をスキャンするという恐怖の監視社会が誕生する。
まず、この発想がエグイ!
政府御用達のテレパスに心を読まれては、誰も隠し事が出来ない!
完全無欠の監視社会が実現できたかに見えたが…
ある日、思考を遮断する頭環と呼ばれる『被りもの』が
無作為に選ばれた市民の家へ送られてくる。
好奇心に勝てない市民は、このフードを付けてしまう。
この『被りもの』を作るナゾの人物がフード・メーカーと呼ばれ、
政府の怒りは心頭に発するのだった!
政府も政府だが、国民も国民だ。
なにやってまんねん! いうデストピアが描かれる。
テレパシーという題材で、よう思いつくなぁ~ こんなこと♪
★★★★
第9編
『吊されたよそ者』
自分だけが事実を知らないという恐怖。
ディック作品で繰り返し描かれる『違和感』という題材。
自分だけ他とは違うのではないかという不安を
サスペンスフルに描くのがディックの持ち味のひとつだ。
エド・ロイスは地下室での作業を終えると、自分の店に向かう。
途中、街灯に何かが吊り下がっているのに気づく。
それが人間の死体だとわかるのに時間はかからなかった。
ところが不思議なことに、誰もが平気で素通りする。
ロイスの店の店員も騒ぐ気配がない。ごく普通の日常風景という感じだ。
いったいこの街で何が起っているのか?
これは恐いよ!
他人と違う違和感は誰にでもあるが、ディックのそれは病的だ。
ロイスが狂っているのか周りがおかしいのか?
この導入部がいきなり侵略SFに変貌する辺りから目が離せなくなる!
ディック・サスペンスの秀作!
★★★★
第10編
予知能力もディック作品では繰り返し描かれる題材だ。
われわれが知る未来予知の代表は占いだが、
この占いは、本当に当たっているのかどうかわからない。
ところがこの作品で描かれる未来予知は当たるらしい。
その当たる未来予知を警察が導入し、犯罪を未然に防ごうというアイデア。
どこから思いつくのか? 期末テストの予知や株価の予知ではない!
これから起る犯罪を予知し、犯人予定者を逮捕するのだ。
これは論理的におかしい。
だって、犯行は行われていないのだから犯人ではない。
犯人ではないが、近い未来に犯人になることが予知されてしまう。
どう考えても納得できないではないか!
3人のプレコグ(予知能力者)が犯罪予防局にいる。
予知能力が他のすべてを吸収してしまったため、
3人のプレコグは人間的成長が遅れている。
一種のフリークスとして描かれる。
一芸に秀でた人間は、他の成長が遅れるという話を聞いたことがある。
幼児期から英才教育を受けた子どもがそれらしい。
遅れると言っても知恵が遅れるわけではなく、
一般常識やコミュニケーション能力などである。
なぜそうなるかというと、
ひとつのことに集中して脳を使うため、脳がそのことに特化してしまい、
他が成長しなくなるというのだ。
(ホントかどうか知らんけど~♪)
ディックが創造したプレコグという人間は、この極端な形だろう。
ただひたすら未来を予知することで生きている。
その意味では人間ではないのだ。
さあ、ここからがディックワールドだ!
3人のプレコグが予知する未来は必ずしも一致しない。
2人の予知とは違う未来が1人によって予知されることがある。
2対1という結果が出るのだ。
すると、1人が出した未来予知(少数報告)は自動的に削除され、
2人の多数報告に基づいて犯人が決定されるという仕組み。
しかし、過去はひとつだが、未来は複数存在するらしい。
どの時間線を選ぶかで、見える未来が違ってくる。
さらに、未来を予知した時点で未来が変わるという。
もうこうなると、SF音痴の私はお手上げである。
なんやねんそれ? と。
つまり、AとBの予知結果が同じでも
時間線が違う2つの未来を予知した可能性がある。
たとえば、失恋するという未来は複数存在する。
なぜなら、失恋に至る原因が違うからだ。
2人のプレコグの予知が一致しても時間線の異なる別々の未来かもしれない。つまり、2人の多数報告であっても当てにはならないのだ。
となれば、
3人目が予知した少数報告(マイノリティ・リポート)が本物なのか?
どうなんや、ディックはん!
するとディックはんは、こう答えるのだった!
少数報告も複数あるで~♪
わけわからんけど面白~い!
★★★★★