岩井田治行の『くまのアクセス上手♪』

興味を持った本と映画のレビューとイラストを描く♪

ネット中毒と無縁な私が『ネットのバカ』という本を読む♪

 

ネットのバカ
中川淳一郎 新潮新書 ★★★★

 

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ネットにはバカが多いので、みなさん気をつけましょう!
ヘタをするとアナタもバカになっちゃいますよ!という本。

大きなお世話だと思う人には無縁の本かもしれない。
私は日に平均して2~3時間程度しかパソコンをやらない。
メールチェック以外、何の作業もしない日もあれば、
パソコンの電源すら入れない日もあり、
ネット中毒とは無縁の生活を送っている。
そもそも、私にはネットでやることがあまりないのだ。
だから私はネットのバカにはならずに済みそうだ。
と、ほくそ笑むのは優越感なのか油断なのか?

 


では、具体的にどんなことが書いてあるのだろうとページをめくると…

とにかく、強者の方がネットの恩恵を受けている

という言葉がいきなり現れる。弱者はネットの恩恵を受けられないと。
ここで言う『恩恵』とは、ネットでお金を稼いだり有名になることだ。

1)勝ち組は少数派 2)勝者が総取り
これがネットの定理であり、揺るがない。絶対に!
『勝者』とは、有名人と芸能人である。
こういう知名度のある人に、一般人は勝てない。
情報の発信というのは、その内容が面白いだけではダメで、
誰が言うかにかかっていると。

私がこの本のレビューを書くより、有名芸能人が書く方が注目される。
どうでもいいレビューでも、その影響力は比べ物にならない。
それはそうだろうなと納得する。
選挙だって有名人の方が多くの票を集める。
ブログやツイッターでユニークな情報を発信しても、
そこに有名人や芸能人が参入すれば、一般人の居場所はなくなる。
なくならないまでも狭くなる。
それがネットの仕組みなのだそうだ、ふ~ん。

そう言えば、以前使っていたヤフーブログも
『よしもとブログ』なるものを一般のブログとは別リンクで設けていた。
これをいっしょにすると、ランキングの上位を吉本芸人に独占されてまう。
そうなると、一般の人のテンションがさがってまう。こらマズイ!
そういう配慮があるらしい。へ~ そうなんだ。

さらに中川氏の話は続く。
ネットでは一般人の勝者は1ジャンルに1人だと言うのだ。
どういうことかと言うと、ネットでは1番にならなければ意味がないから。
2番手3番手では注目されない、ダメなのだと。
複数の人が恩恵を受けられるような世界ではないのだ。
これもわかるような気がする。寡占化が進む世界である。

つまり、ネットの恩恵を受けたかったら、
まず現実世界で有名にならなければならない。
ネットで有名になって、現実世界に進出するのではなく、
現実世界で実績を作った後、その実績をネットでアピールする。

それが効率の良いネットの使い方ですよと。
だから、多くの一般人がブログのアクセス数を競うのは意味がないよと。
承認欲求の異常に強い人が自己満足でやるのは自由だが、
もしかして私もネットがきっかけで有名になれるかも?
ネットでお金が稼げるかも?と考えてもムダですよと。
可能性はゼロではないが限りなくゼロに近い。
それに賭けたければ頑張って下さいという身もフタもないアドバイス満載。

この本で言う『バカ』とは、知能が低いという意味では必ずしもなく、
頭脳明晰な人もついやってしまうかもしれない行為のことだ。

本の帯にあるように
99.9%はクリックする奴隷となる
勝者は1ジャンルに1人。


つまり、有名人のブログにアクセスが集中するというのは、
0.1%の勝者をより強くするために、多くの人が奉仕していることを意味する。

奴隷というのは『ネット中毒者』のことで、
彼らは貴重な人生の時間を他人を強化するために使っているのだ。
見返りがなく利用されるだけという意味で『奴隷』と言える。

その『歩きスマホ』が本当に必要かどうか、
ネットに費やす時間が勝者の利益になっていることを知ってほしいと。
それでもいいという人はかまわないが、
ネットに関わる時間が自分にとって有意義かどうか考えても損はない。

こんな本読むんじゃなかったと後悔する人もいるだろうが、
ムダな時間を費やすより、現実を知って賢く対処した方がいいかも♪
そういう親切なんだか、おせっかいなんだかわからないことが書いてある。
薄々気づいていたけど、ここまで露骨に書かれると
眼から鱗が そりゃ~もう、たくさんたくさんこぼれたそうな。

 


ネット中毒者にならないためには、強者に奉仕するのではなく、
自分で発信することだ。しかしここにも落とし穴がある。
ネットには『ムダにアクセスするバカ』がいれば、
反対に『ムダに発信するバカ』もいるのだ♪

そもそも人間はなんのためにブログをやるのだろう?
情報の発信と言えば聞こえはいいが、要は自己主張したいのだ。
自分がここにいるぞと。
でもって、その自分はイケてるんだ、すごいだろと。
私だってそうだ。誰にも読まれないブログは面白いだろうか?
面白くないだろう。
誰かが読んでくれるかも? 共感してもらえるかも?
そういうことを考え考えブログを更新するのが正常だとわては思う。
ここで注意しなければならないのは、
いかにしてネットのバカにならずに、ネットライフを楽しむかである。

パソコンもネットもスマホもなかった時代は、
自分の意見を多くの人に聞いてもらうにはそれなりのハードル越えがあった。
学生時代は、学級会で発言するのが効果的だったが、
意外と他人は自分の意見など聞いていない。聞いてもすぐ忘れる。
学校新聞に投稿しても不採用になったり、手直しされる。
これが町内会の印刷物に掲載されるにはさらにハードルが高くなり、
公の出版物になると、掲載はほぼ不可能レベルになるのは今も同じだ。

私が中学生のとき、ラジオの深夜放送が始まり、
ハガキによる投稿というのが流行ったが、これがまず採用されない。
採用される人はだいたいいつも同じ人だったりする。
これも1ジャンルに勝者は1人とまではいかなくとも、
全員が公平に採用され、自分をアピールできるわけではなかった。
他人が注目する場所とは、常に狭き門なのである。
この狭き門を取っ払ったのがブログやツイッターだ。スゴイぞ!

ネットのマナーさえ守れば誰でも発信できる。
たとえショボイ内容でもかまわない。日に何回も更新することも出来る。
これはすごいことなのだけど、何かの専門家や多趣味の人以外、
そうそうブログに書くことはない。
だから今日の昼ご飯なんて画像を毎日せっせと更新したりする。
こういうブログを観て、世も末だと嘆く人もいるが、
よくよく考えたら、一般人に毎日発信する面白い情報は少ないのが普通だ。
君、それを笑うことなかれ、である。

人間は一日24時間、だいたい自分のことを考えている。
よほど好きか嫌いな奴のことでない限り、他人のことなど興味ないものだ。
他人をほめるより、自分がほめられたい。
他人のブログにコメントするより、自分にコメントしてほしい。
他人のフォロワーになるより、私をたくさんフォローしてくれと。
程度の差こそあれ、人間とはそういうものだろう。

私だって書く方が主で、他人のブログはほとんど読まない。
だからネットでやることはあまりないのだ、スマンの~

 


要するに、自分から自由に発信できる環境を皆が手に入れても、
注目してほしいのはまず自分である。
誰もが持つ『承認欲求』という欲望は、生きる上で必要なものだが、
アナログ時代は、自分をアピールするにも前述のようにハードルがあったため、
我慢が要求されたものだ。その間に考えが変わることもあった。
つまり、冷却期間を設けることで、言わずに済むことがあったはず。
多くの人に向かって、どうしても言いたいことなんて、あまりないのが普通だ。
あっても、ほとんどグチの類いが多いだろう。

送信ボタンを押すだけで自分の意見がネットに送られる。
検閲も編集もまずされない。よほどでないと削除もされない。
こうなると我慢する必要はない。思い立ったが吉日、即投稿となる。
こういうタイプが『ムダに発信するバカ』になりやすい。

賢い人はそもそもネット中毒にはならない。
距離を置く、つまり考える冷静さがあるだろうから。
しかし、簡単に文章や画像が送れ、削除も簡単にできる環境の前では、
自己顕示欲が強い人は『バカ』になるかもしれない。

その更新欲は止むに止まれぬ表現力なのか強迫観念なのか。
書かずにいられぬ感情が創作欲とは限らないのだ。

誰も見ていないという環境もバカを加速させる。
衆人環視の元で、他人のブログに悪口を書ける人は稀だろう。
ほとんどはハンドルネームだからわからない。
そうなると人間は変貌するのだ、恐いぞ。

私は面と向かって言えないことはブログには書かないことにしている。
投稿する前には、自分のワープロソフトに必ず下書きをする。
でもって、時間をかけて何度も修正する。
こうして考えに考えて投稿しても、まず反響なんかない♪
まぁ、面白くないのだろうなと♪ 笑うな!

ブログの文章は練りに練るより、勢いで書いた方が面白いかもしれん。
誤字脱字なんかあった方が愛嬌あってええかもしれん。
炎上してナンボや~! という姿勢が正しいのかもしれん。
きちんと書こうとするのは時間の無駄かもしれんの~♪

だからなのだろう、わてのブログにはほとんどアクセスがない。
そもそも、現在このブログは『本と映画のレビュー』が主になっている。
本と映画のレビューなどネットにはあふれているから目立たない。
しかも『面白い!』と思ったときしか書かないので、更新頻度が極端に少ない。
本は好きなので毎日読むが、レビューを書きたいと思う本は少ない。
映画だって同じである。
アクセスを増やすために無理に更新する気はさらさらない私である。
そういう意味で『発信バカ』ではないと思うのだが…

私のブログの訪問者は、平日は2~3人程度だ。
5人も訪問客がいると私は驚いてしまうのだった、今日は多いぞと。
記事を更新した日に20人も来られると心臓に悪い。
俺、何か炎上するようなこと書いたかなとドキドキする。
まあ、ほとんどアクセスはないのが自慢なのだが、私の想像では、
30人前後の人が入れ替わり立ち替わり来てくれてるのだと思ってます。感謝。
その30人の内訳は、3分の1が一見さんで、2度と来ない♪
次の3分の1が間違ってここに来てしまった通過組。ありがとう♪
残りの10人がこのブログの更新を待っていてくれる人なんだろうと。
そう思ってブログをやっている。
どんだけ寂しいブログなんだと… 泣かないけどね。

でもよく考えれば、そんなもんでしょうと思うのだ。
そもそも、アクセス数が窮地に陥った自分を助けてくれるとは思えない。
アクセス数イコール心の友ではないのだから。
そんなもんでしょうと。

私にとって、毎日何百人もの人が訪れるブログは気持ち悪いのである。
それだけ人気があるのはいいことらしいけど、わてはええよと。
常に誰かに注目され、繋がってるなんて気持ち悪いし、落ち着かない。
アナログの私はそう思うのだ。

その昔、電電公社の黒電話が一家に1台の時代、友人に電話なんかしなかった。
学校から帰ると次の日まで友だちの声は聞けないのが普通だった。
夏休みなんか、友だちには会えない時間だった。
だからなのだろうか、
顔も素性もわからない人にコメントを貰うのは、未だに慣れない。
人見知りというより、ただ慣れないのである。
むしろ直接会って話したいという欲求の方が強い。
だから、他人のブログにコメントはまずしない。しても続かない。
そんな私である。

アナログな私は、だからネットでやることがあまりない。
これはイカン! 時代に取り残されると焦ることもあった。
そんなときにこの本を読んで救われたのだ。わて正常やんと。

1ジャンルに1人の勝者しかいない世界は、私には無縁のものだ。
実生活で大した実績もない私が
有名芸能人のような集客力を望んでもムダなのである。
そもそも目立とうという欲求は薄いのだから。
日に2~3人のアクセスで十分である。

 


ネットでバカになるかは本人次第。
バカになるのも本人が楽しければ良しである。
たとえバカでも、ネットを楽しむ健全な『一人バカ』なら無害だが、
この本が指摘するのは『有害バカ』である。

『有害バカ』の特徴は、想像力の欠如だ。
それは自分で発信するとき、他人の文を読んだときに現れる。
悪意ある文章を読んでも、書き手の人間像を想像できれば無視できる。
ただ不注意なだけの文章も、書き手の気持ちに想像を働かせれば、
『ああこの人不注意な人だな』と距離を置けるだろう。

基本的人権とか被災者をからかうなどの悪質なものは別として、
ネット上の言葉にいちいち反論する必要はない。
発信する場合も投稿する文を1週間も寝かせておけば、
投稿すべきかどうかは判断できると思う。

それでも『やってまう』のが人間だが、数は減るはずだ。
デジタル環境は、こういう面倒な冷却期間を置く手間を妨げる。
便利さは人間から辛抱と熟考を奪うのだ。

投稿するまでの手順が面倒なら、不注意な投稿は減るだろう。
ボタンひとつで簡単に投稿できるのが落とし穴だ。
でもまぁ… 投稿までに10分もかかったら、私も投稿しないと思うけど♪

面と向かって言えないことは匿名で投稿しないという自制があれば、
ネットのバカも減るのだろうけど、現実は逆なのかも。
この本には実名投稿もバカを防げないと書いてあるから♪

ネットの書込みというのは、ある意味『心の声』である。
メル・ギブソン主演の『ハート・オブ・ウーマン』という映画があった。
女性の心の声が聞こえてしまう能力を持った男の顛末を描いたコメディだが、
楽しいのは最初だけで、だんだんシンドイことになってくる。
他人の心はわからない方がいいということだ。

ツイッターというのはまさに心の声で、私には気持ち悪い。
テレビ画面の下にリアルタイムでツイートが出るのには未だに慣れない。
アナログ時代には絶対知りえなかった他人の心の声を知る不気味さ。
あれが面白いという人がたくさんいるから続けているのだろうが、
私には気持ち悪い以外の何ものでもない。私が変なのか?
多くの発言が自然と偉そうなもの言いになるのも不気味だ。
一般人は発言するなとは言わないが、その発言本当に必要なのかなぁと思う。

閑話休題

 


せっかくブログやツイッターを運営しても、検索エンジンにたくさん登録しても
アクセスが増えない! お金を稼げない! なかなか注目されない!
と嘆いている人は、この本が福音になるかもしれない。
2013年の著書なので、書かれているネット事情が今と大分違うだろうが、
一般人のブログは、アクセスが少ないのが普通だということがわかる。
アピールしたければ実生活を充実させることが先決だと気づく。
ネットは実生活の成果をアピールする方が効果的なのだ。
しかも歴史に残るような実績は必要ないのである。

結論を言えば、ネットは個人で楽しむものということ。
アクセスや注目度にこだわらない方がいい。
私のように、時代の流れから大きくズレていてもいいのだ、楽しければ♪
日に2~3人の読者のために、時間をかけて書くのも一興である。
こういうのは損得ではなく、やりたいかどうかだ。
損得でも強迫観念でも度を超した自己顕示欲でもなく、書きたいから書く。
楽しくて仕方ないから書くというのが自然である。
表現とは本来そういうものだ。

だから私はムリには書かない。
ネットは個人のものであり、どうせタダなんだから、
余計な野望を持たずに楽しむ方がいいというごく当たり前のことを
改めて思い出させてくれたという意味で、とてもいい本だった。
読みやすいので、興味のある方、一読をお勧めしたい。面白かった♪


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