岩井田治行の『くまのアクセス上手♪』

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たまには憲法九条について考えよう!

 

憲法九条を世界遺産
太田光中沢新一 集英社新書 ★★★★★ 必読!

 

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爆笑問題の太田さんと思想家の中沢さんの対談本。
前に一度読んだ本を改めて読み返した。
なぜかと言うと、憲法改正が現実味を帯びてきているからだ。
平和憲法と呼ばれる日本国憲法第九条と自衛隊の問題が一番の関心事。
政治に疎い私は、あまり真剣に考えて来なかった。平和ボケであった。
ところが、安倍政権が集団的自衛権の限定的な行使を押し通した辺りから
こらアカン! 無関心ではアカン! と思うようになった。



憲法九条と自衛隊は水と油。どうしてもひとつにはなれない。
憲法九条を忠実に守れば、自衛隊は消滅し、日本災害救助隊となり、
自衛隊を合憲にすれば、平和憲法は消滅してしまうかもしれない。
このふたつが同時に存在することは不可能なのである。
あのイーサン・ハントでも、このミッションは遂行できない。
この厄介な問題を考えるためには、憲法九条を知らなければならないが
実は私も長い間、熟読したことはなかったのである!


日本国憲法第九条 第一項】
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

〔要約〕
わてらヤマトの民は、ホンマに平和が好きやねん。
せやから、怖い顔して怒鳴ったりせんよ。力で相手を押さえつけたりもせんよ。
まちがっても相手をどついたりはせんのです。ず~っとね。


日本国憲法第九条 第二項】
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。

〔要約〕
わてらヤマトの民は、この約束を守るために陸と海と空を愛します。
まちがっても他所さんにケンカをふっかけたりはせんのです。


立派である。まるで無垢な中学生の作文のように美しい。
美しすぎてついていけないと思ってしまう。
日本という国は、この立派すぎる約束を70年以上守ってきた。
安保条約でアメリカに守られているとは言え、
日本人が嘘つきで残虐な民族なら、こんな約束はとうの昔に破っている。
そして、アチコチで小競り合いを繰り広げ、ひんしゅくを買っているだろう。
日本人は平和ボケかもしれないが、残虐な民族ではないと信じたい。


こんな立派な憲法と国を守る自衛隊がなぜひとつになれないのか?
それはこの九条には日本をどう守るかが書かれていないからだ。
『書かれていなくても常識ですよ、常識! 武力で守るんですよ!』
誰かが叫んだ。


国際紛争を解決する手段としては、武力による威嚇又は武力の行使 はしない。
国際紛争を解決する手段としては、
永久に武力による威嚇又は武力の行使を放棄する。

と書かれているじゃないか。また誰かが叫んだ。

日本を守る自衛手段として、
武力による威嚇又は武力の行使を永久に放棄する とは書いてない。
だから、個別的自衛権までは放棄してないという意味になる。
歴代内閣はそう主張したが、これはあくまで解釈にすぎない。
でも、この解釈が間違っていると断言するのは難しい。

話し合いで問題を解決できず国際紛争になった場合、
武力で自国を守ることは許されないのだろうか?



憲法自衛権についての記載がなければ、日本をどう守ればいいのだろう。
ほとんどの国が軍隊という武力組織で守っている。現実的だ。
しかし憲法第九条二項はこの戦力を放棄しているのだ。
力で脅したり押さえつけたりは絶対しないと言いきっている。例外はない。

人間の住む世界には多くの例外がある。なければ困る。
ウソをついてはいけない。約束は守らなければならない。
私たちは子どもの頃にそう言われて育ったが…
これには『できるだけ』という前置きが隠されている。
この世界はかなりズルイ人向けに融通が利くように出来ているから
8割方守っていれば大丈夫なのだ… と思う。


個人が暴漢に襲われた場合、出来うる限り逃げるに越したことはない。
でも国が襲われた場合、日本を捨てて逃げるわけにはいかない。
そもそも、対話の通じない輩に襲われたら、かなりヤバイのだ。
だから逃げずに国を守らなければならない。国を守るとは戦うという事だ。
対話の通じないヤバイ相手と戦えば命が危険にさらされるだろう。
果たして、非武装による防衛だけで防げるものなのか?
戦いを避ける道はないのだろうか?


電磁バリアという手がある。
日本の陸海空をスッポリとバリアで覆うのだ。
電磁バリアは守りに特化したもので、殺人光線など出ない。これはいいぞ♪
しかし、これが実現したとしても、このバリアを動かす電力をどうするか?
原発をフル稼働しても無理だろう。所詮は絵空事だ。
アルマジロ大作戦というのも考えたが… 後は書かないので想像してほしい。
いずれにしても空想では日本は守れない。


となれば、やはり自衛権としての『武力』が必要になる。
この武力は『防衛のための力』だが、武力による防衛とは攻撃力だ。
攻撃力とは殺傷能力を持つ力のことだから、九条が放棄したものになる。
攻撃は最大の防御だからやっかいなのだ。
水鉄砲ぐらいで守れないか。守れない!


この防衛のための武力に不安を持つ人は多い。
その理由は、武力をコントロールできるかどうかという不安だ。
われわれの日常には危険なものが多々あるが、大方はコントロール出来ている。
刃物がひとつもない家はないだろうし、先の尖ったものはすべて危険だ。
鉛筆だって使い方を間違えれば他人を傷つけてしまうが、
これらのモノはコントロール出来る人が多い。

これが軍隊という武力組織になったとき、同じようにできるのか。
そういう不安がどうしても払拭できない。
そもそも日本の軍部は大暴走した過去がある。
それは軍国教育の結果であり、今の教育ではあり得ない。
それでも一度大きな武力を持ってしまうと人は変わるかもしれない。
だから平和憲法は変えない方がいいということになる。


平和憲法を忠実に守ることは自衛隊を持たないということだが
それでいいかというと… それは不安だという人が多い。
ならばやはり電磁バリアアルマジロ大作戦しかないと言うと、
バカも休み休み言え! となって、堂々巡りになってしまう。
難儀である。



政府の言う必要最小限度の実力というのも素人にはわかりにくい。
最小なら『戦力』にならないからいい?
戦力にならない力で日本が守れるのだろうかと不安になる。


日本は主権国家だから自衛権を持っている。自国を守っていいのだ。
憲法だって日本を守るなとは言ってないぞと。

憲法九条を様々に解釈できるのは、条文がシンプルすぎるからだ。
素人の私が読んでも何となくわかる大ざっぱ感。
大ざっぱだが誰が読んでもわかりやすい。
深読みしようと思えばいくらでも出来るだろうし、
素直に読めば戦争はしない。武力は持たない。平和がいいと解釈できる。

信じられないぐらい無垢である。
この無垢な理想がひとりの人間の言葉ならまだしも
日本の憲法に明記されていることが驚きなのだ。
これ、ホントですかと。ホントだよと。こんな国は世界でも日本だけである。
これは素晴らしいことじゃないのか。他国も見習うべきじゃないのか。
そう思うが… 誰も見習わない。真似すればいいのに。

多くの大人(良識人)は、だってこの条文には裏の意味があるはずだと
様々に解釈を試みる。そのままを受け入れようとする人は少ない。
だって要約すれば、
暴漢に襲われても絶対に力では抵抗も反撃もしませんと読めるから。
ボコボコやん。それでええのかと。わてはいやや!

このいやや! の具現化が自衛隊である。
だから自衛隊は正直で現実的なのだが、九条と相容れない存在なのだ。
無垢な九条と世渡り上手の自衛隊。役に立つのはどっち?


日本を守っているのは憲法九条ではなく日米安保条約だ。
北朝鮮から危ないミサイルが飛んできた時、
守ってくれるのは憲法九条ではなく地上イージスだろう。
憲法九条には水戸黄門の印籠のような力はない!
そういう常識を踏まえれば、武力による防衛は当然ということになる。
世界中、どこの国でもやっていることだ。悪いことではない。
それでも憲法九条を簡単に変えない方がいいと、この本には書いてある。
なぜ?
(続きます)

 


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