岩井田治行の『くまのアクセス上手♪』

興味を持った本と映画のレビューとイラストを描く♪

さらに2枚『レオン』のマチルダを描く(水彩画新作♪)

 

 

『レオン』のチルダを描きながら

思うこと つらつら♪
 

 

 

昨年の暮れに久しぶりに映画『レオン』を観てから

なぜかヒロインのマチルダに心惹かれている♪

2枚ぐらいの予定が、まだ描き足りません。

こうなったら飽きるまで描こうと思います♪

 

描いていて思うんですが

私はどうも対象そっくりに描く才能がないようで、

このマチルダ像も描く度に別人になっていくような♪

 

これで4枚目ですが、4枚とも全部違う女の子みたい♪

似せて描くという才能はないみたいですね。

描いていると、どうも参考写真から離れてしまい、

『自分のマチルダ』になってしまいます。

 

まぁ、才能がないということで勘弁してください。

私は肖像画家にはなれないことがわかりました。

 

今回の絵は、実は一度失敗して描き直しています。

鼻から口元が上手く描けない。

ナタリー・ポートマンの愛らしさの表現がとても難しい。

彼女はかなり個性的な顔をしていることが描いてみてわかります。

いわゆる『可愛い顔』ではないんですね。

 

よ~く見ると彼女の眼は鼻から少し離れています。

顔も面長で口が意外と大きい。そして下唇が厚い。

パーツだけ見るといわゆる美形ではないんですが、

そのパーツが一つになるとなんとも魅力的になる。

いわゆる『絵になる顔』なんです。

それが人気の秘密かも?

 

特に今回は泣き顔なのでやたらと難しかった。

 

ただ何度も描き直していると修正する技術が上がります

誤魔化すのが上手くなるわけです。

まぁいいや♪

 

 

さて今回のマチルダは泣き顔のマチルダです。

こんな感じです。

 

 

割と感じは出ていると思うんですが… どうでしょうか♪

この表情はとても難しいですね、何度も描き直しました。

これは映画の冒頭で、マチルダの家族が惨殺され、

レオンに助けを求めるシーンです。

このシーンはとても好きなシーンで、

レオンの部屋の前で泣きながらマチルダが必死に助けを求める場面。

「お願い開けて! レオン!」と懇願しますが扉はなかなか開きません。

 

室内にいるレオンはどうしたものかと迷います。

 

チルダを助けなければという義侠心はあるものの

できれば関わりたくない。

突き放せばいいものをマチルダを見捨てられない。

観ていてハラハラします。

 

最初はマチルダの顔が暗い影で覆われていてよく見えません。

この影は扉が閉まっていることを示しています。

暫くすると暗いマチルダの顔に光が差し込む。

レオンが扉を開けたんですね。

 

このシーンの演出がとても粋にできていて、

レオンも開く扉も映しません。

ただマチルダの顔に部屋の明かりが当たることで

レオンが扉を開けたことを表現しています。

とてもオシャレな演出です♪

 

そして涙でクシャクシャだったマチルダの顔に希望が。

この絶望から希望への一瞬の変化が今回の絵のテーマです。

 

絶望的な泣き顔から希望の笑顔に変わる瞬間。

映画でもほんの数秒のシーンを紙に定着させなければなりません。

一応、参考写真はありますが、

写真そっくりに描くことが目的ではなく、

チルダの微妙な感情を描きたかったのですが、難しいですね。

 

で、なぜこのシーンを題材に選んだかというと、

私にとって、とても感動的なシーンだからなんですが、

若い頃に数年間、引きこもっていた自分を思い出すからです。

その頃、人間関係で悩んでいて辛かったし、

将来のことを考えるとさらに不安が増しました。

 

それでも絵で生計を立てるという夢は捨てきれず、

必死に努力だけは続けていました。

夢という扉をね、叩き続けていたんです。

 

だから、

チルダが扉を叩く姿が当時の自分に重なるんですよ。

頑張れ~! 諦めるな~ってね。

 

引きこもりの理由は人それぞれだと思います。

多くは私のように人間関係で傷ついたトラウマだそうですが、

こういうトラウマは簡単には消えてくれません。

 

そもそもなぜ人間関係で深刻なトラウマが生じるのか?

恐らく人間の劣化が原因だと思います。

 

我々クリエイターの世界でも才能だけの人が増えています。

才能はあるんですが人間的にどうよ? という人が。

そういう人が創作の世界の中心に増えた気がします。

私の思い過ごしであって欲しいのですが…

 

この人たちは圧倒的な才能に恵まれていますから

周囲の人は文句が言えません。つまり逆らえない。

ところが人間性に問題があるので周囲が被害を受けます。

 

これは創作の世界だけでなく、日本社会全体がそんな感じなんです。

劣化してるなぁと感じるんですよ。

(すいません、自分のことは棚に上げています♪)

 

だからまともな人間ほど傷ついて引きこもってしまう。

これは一種の防衛本能なので単純に批判はできません。

劣化した人間と戦っても勝ち目はないし、そもそも無駄です。

たとえ勝ったとしても、それは劣化した勝利ですから。

 

まともな人間ほど引きこもるしか身を守れないとなると

こんな不公平なことはありません。

「劣化してる奴が引きこもれ! 」と言いたくなりますが、

そういう人間は図々しいから絶対に引きこもらないですね。

 

そうなると、この世は劣化人間の天下になってしまう。

これほど不幸なことはないでしょう。

幸福度調査では日本は最下位ではないにせよかなり低い。

先進国なのに幸福な人が少ない国なんですね。

 

その原因は、まともな人が社会参加できないからかもしれない。

まともな人間ほど謙虚ですから、

人を押しのけてまで自分が! とはなかなかなりません。

 

レオンのこのシーンが好きなのは、

絶望から希望へと変わるマチルダの表情です。

「よかった! 扉が開いた! 助かった!」

そういうマチルダの安堵の表情がとても好きなのです。

 

ところが現実ではこの扉が開くことは稀でしょう。

開かないことの方が多いと思う。

つまり見捨てられる確率の方が断然高いのが現実です。

 

それでも確率はゼロではない。

扉を真剣に叩き続ければ開く可能性はあります。

叩かなければ絶対に開きませんが、

叩き続ければ開くかもしれない。

 

チルダはレオンに救われますが、

レオンもこのあとマチルダに救われます。

殺し屋として孤独な人生しか送ってこなかったレオンに

チルダは生きる希望を与えるのですから。

チルダと巡り会うことで、レオンは久しぶりに

ベッドでいびきをかいて眠ることが出来た。

レオンがマチルダから得たものは、生きる歓びと安心感です。

 

ラストでSWATに囲まれたレオンは、マチルダを通風口から逃がし、

自分はSWAT隊員に扮装して建物からの脱出を試みる。

レオンの前には通りへの扉が開いています。

あと一歩で建物の外へ出られるというところで、

背後に忍び寄る悪徳刑事の凶弾が…

 

ここは扉の前のマチルダと対になっているシーンで、

チルダの叩く扉は開かれましたが、

レオンの前の扉(生への希望)は開かなかった。

なんとも皮肉な脚本です。

 

我々人間が絶望から希望への扉を叩き続けても

多くの場合、その結末はレオンと同じになると思う。

岡本太郎さんが言うように、

多くの人の夢は叶わない。失敗するのが普通なんだ。

これが現実でしょう。

 

私の座右の銘である次の言葉、

 

チャレンジの9割は失敗し、努力の9割は報われない。

 

正直私の人生はそういう人生でした。今のところは♪

まだ報われたとは思えませんから。

 

でも9割失敗し、9割報われなくても1割に可能性があります。

そこが人生の素晴らしさというか、いい加減さというか♪

人生は実に柔軟性があるなぁとね、思うわけです。

 

なぜならこれは悪人にも当てはまるから。

犯罪の9割は失敗し、その努力の9割は報われません。

でも残る1割の犯罪は成功するんです。

 

ロシアがどんな大義名分でウクライナを攻めても

侵略であることに変わりはない。

それでもロシアの行為は全否定されません。

9割否定されても1割が受け入れるんです。

実際は世界の半分がロシアを支持しています。

 

この世界はそれだけ優柔不断、いい加減なものです。

犯罪という努力が報われるのがこの世界なら、

善行の1割が報われるのもこの世界です。

 

常に善行が報われる確率の方が低い。

だからこそ繰り返し、たくさん善行を積まないと悪に勝てません。

こういう何ともいい加減な世界に我々は生きています。

 

70歳になると、

もうやることがなくなって燃えカスしか残らない。

私は若い頃そう確信していました。

だから若い時代に楽しみたい、認められたいと。

 

でも実際の私の人生はというと、まず20代は全滅。

30代に少し楽しい経験がありましたが、40代で全部崩れました。

そのまま50代に突入し、道は開けないまま還暦を迎えます。

もうダメだろうと思いつつ、扉だけは叩き続けました。

根性があったわけではなく、他に取り柄がなかったから。

とにかく一生懸命努力するしか能がなかった。

幸い努力する才能だけは人並みにあったようです。

でも私の努力の10割は無に帰しました♪

 

それでも私の頭の中にはまだアトムが飛んでいたので、

なんとか扉を叩き続けられたんですね。

そうする内に父を亡くし、

一昨年の暮れには母との別れもありました。

それでもまだ扉は開いてくれません。

 

結局、父と母が元気な時に

私が画家としてきちんと認められた姿を見せることはできなかった。

そのことを悔いてはいないのですが、やはり寂しいです。

 

ところが母との別れを経て、70歳になってから、

本当に70過ぎてからなんですが人生が上向いてきたんです。

多分、いや間違いなく今が一番充実していると断言できる。

まさか70歳になってからこうなるとは思わなかった。

 

こうなることを予測していたわけではないけど、

20代から私が唯一続けてきたこと、

それが目の前の扉を叩き続けるということでした。

叩き続けてどうなるの? と何度も思ったけど、

他にやることがなかった。○○の一つ覚えですね♪

 

70年の人生には様々な扉が目の前に立ちふさがりました。

軽い扉も重い扉も大きな扉も小さな扉も

そのどの扉も目の前にある扉は一つ一つ丁寧に叩きました。

今の所、扉が全開することはありませんが

半開きぐらいに開くことはあるんです。

 

だからマチルダがレオンの部屋の扉を叩き続けるシーンには

私、異常に興奮するんです。泣けるんですよ、頑張れ~って♪

チルダの顔に光が当たり、

絶望でクシャクシャになった顔に希望が射す。

その希望を描いてみたいと思ったんです。

だからもう一枚描いてみました。

(描く度に顔が変わるのはなぜだ?)

 

左側は扉が開く前のマチルダ

「レオン、開けて! 助けて!」そう叫ぶ顔ですね。

 

右側は扉が開いた瞬間のマチルダ

「助かった! レオンありがとう!」という顔です。

この後に1枚目の微妙な表情を一瞬見せるんです♪

 

澄ました顔というのは割と簡単なんですが、

こういう微妙な表情(感情)をリアルに描くのは難しいです。

だから描いていて勉強になります♪

 

『レオン』がご都合主義の作り話であることは承知しています。

あまりにも都合よくでき過ぎた展開ですからね♪

「普通は怖くて知らん顔やろ」と思いますもの。

そもそも隣に凄腕の殺し屋なんか住んでへんわと。

 

それでも扉は叩いてみるものだなぁと♪

 

こういう話を延々としても

心が折れて立てなくなっている引きこもりの人には何のこっちゃ?

という感じでしょうね。ワテもそう思うわ♪

 

でもこの年齢になって初めて思う。

人生は本当に、本当に1回きりの神様からのギフトなのだと!

父や母、知り合いを亡くして思うんです。

「人間って本当にいつか死んじゃうんだな」って。

死んだら本当に何もかもが終わりなんだと。

 

魂が生まれ変わっても前世の記憶はないですから、

その意味でこの人生は1回きりです。

泣いても喚いても本当にね、1回きりなんですよ。

 

若い頃は頭でわかっていても実感はない。

やはり歳を重ねないと感じ取れないんだなぁと思います。

だから自分の残りの人生は大事に使いたい。

無駄遣いはできないんです。

 

だからたとえ引きこもりが自己防衛であっても

あまりにも時間が経ちすぎると無駄遣いになりかねない。

無駄にした時間は絶対に戻りません。

 

私の父と母が戻らないのと同じです。

時間も人も亡くして初めてその価値を実感できるんです。

 

だからチャンスがあるなら掴んだ方がいい。

それには何がチャンスかを見抜く目を鍛えることです。

もしかしたら1割は報われるかもしれないから、

絶対に努力だけは続けるべきです。

 

報われることは本当に少ないのですが、

それでも目の前の扉は叩いてみるもんや

というお話でした。

絵とは関係ない話で、えらいスンマヘン♪

 

 

 

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