少林足球
2001年 香港/チャウ・シンチー監督作品
★★★★☆ 羨ましいほど自由 🎶
★
チャウ・シンチーは不思議な人だ。
彼自身が特別なのか、環境のせいなのかはわからないけど。
シンチーの住む香港は長い間イギリスの植民地だったため、
中国と英国の混合文化が生まれた特殊な場所だ。
俳優は違和感なくファーストネームに英語を使う。
『香港アクション』という独自のスタイルが創られたのも
イギリスという文化が(力ずくで)溶け込んでいたからかもしれない。
それなのに、イギリス文化の二番煎じという感がないのだ。
日本がアメリカの二番煎じから長い間抜け出せなかったのに比べ、
香港アクションには、独自性と世界に通用するスタイルがある。
あんパンに代表されるように、和洋折衷は日本人も得意のはずだが、
日本のアクション物で世界に通用するのはアニメぐらいだろう。
実写ではなかなか厳しいのはなぜなのだろう?
ブルース・リーも若くしてアメリカという異文化を吸収したことが
独自のカンフーアクションにつながったように思う。
外国の文化を取り入れながら、自分のスタイルを曲げない。
器用なのか不器用なのか知らないが、今の日本映画よりパワーがある。
アクションと言えば、
日本では千葉真一が有名で、尊敬する外国人も多い。
タランティーノ監督やジャッキー・チェンから敬愛されているらしく、
実現しなかったものの、ブルース・リーもオファーを出していたと聞くが、
千葉アクションが世界を変えたとは到底思えない。
Sonny・千葉として、世界的に有名になったのが不思議なくらいだ。
ファンには悪いが『激突!殺人拳』なんか…… 観るのが辛い!
ハリウッドの追っかけばかりしてきた日本のアクション映画は、
ここに来て、かなり進化しているように観えるのだけど…
どうしても『どこかで見たような』という印象が拭えない。
基本が米国映画なのである。
香港アクションには、すでに世界標準となったカンフーがある。
今でも世界中の人々がマネをしている。日本人なんかベッタリだろう。
『少林少女』なんてまがい物をよく恥ずかしくもなく創れたなと♪
時代劇の殺陣もカンフーに身売りしたとしか思えない。
独特なアクションは初期の北野映画ぐらいだろう。
北野映画同様、チャウ・シンチーの映画には独自なスタイルがある。
つまり、独自の笑いと世界標準のアクションがあるのだ。
『少林サッカー』は、下火になった少林拳を復活させようというお話だ。
少林拳については素人なのでわからないが、
とにかく現代では廃れてしまったアナログ拳法の普及と復活がテーマ。
少林拳に敬意を払っているように見えるが、要は素材にすぎない。
それを人気のサッカーと結びつけるのは安易なのか天才なのか?
これが日本空手や柔道、はたまた剣道では様にならない。
まずここが羨ましい。中国拳法のこの柔軟性が!
どんなに面白いアイデアでも映像にならなければ意味がない。
これが本物の少林拳とは思わないが、映像としてはとても面白い♪
リーのモノマネは共演者に譲るという余裕の演出が憎い♪
★★
さて、
この映画は少林サッカーと言うより、カンフーサッカーである。
ひとつひとつの珍プレーが実にバカバカしくて良い♪
チャウ・シンチーの『笑い』は、あの『モンティ・パイソン』に近いのだ。
非常に狭い笑いを狙っている。そして下品。差別表現も全開だ。
日本人が好む『笑い』とはかなり異質である。
『モンティ・パイソン』が上品な下品さならば、
チャウ・シンチーは下品の下を行く下品さだろう。
下品だが、シンチーのギャグには不思議と『知性』を感じる。
長い間、イギリスの植民地になっていた影響なのか。
それとも、チャウ・シンチーという個性のなせる技なのか?
『モンティ・パイソン』の下品さに『汚さ』が加味され、
それを『ウイット』に変換する離れ業がチャウ・シンチーの真骨頂である。
差別表現も似ているが、チャウ・シンチーはダイレクトで笑えない。
ハリウッドでは、間違いなくアウトだろう。
特に容姿に関する差別表現が繰り返し出てくる。
容姿の『汚さ』を笑い飛ばすシンチーギャグは健全なのか?
香港の人たちは他人事のように笑ってストレスを解消するのだろうか?
アメリカだけでなく、日本でもこのギャグは通用しにくいだろう。
チャウ・シンチーの差別表現はかなり意図的で、
見た目に可笑しいものを可笑しいと表現する無邪気さがある。
この無邪気さは、カンフーのように世界標準には成り得ないけど。
チャウ・シンチーが西部劇を創ったら、間違いなく上映禁止である。
インディアンやメキシコ人がどう料理されるか想像出来る。
身体的弱点というのは、昔から笑いやイジメの対象にされてきたが、
そういうことを茶化してはいけない時代になった。
その意味で、シンチーギャグは時代錯誤で古いと言えるのだが、
羨ましくなるほどのパワーを感じるのも事実である。
忌野清志郎さんが歌ったように、
耳そむけたい言葉が~ いつか美しい愛の言葉になるかも~♪
という極端なことは起らないのだろう、多分。
表現の自由というのは、実に厄介なものなのだ。
それでも、その差別や下品さがチャウ・シンチーだから仕方ない。
とにかく荒唐無稽。シンチーワールドでは何でもありだ。
むしろ、ちまちまと辻褄を合わせるより楽しいと私は思う♪
コメディだからというだけでなく、
映画という『作りもの』の活用の仕方が何とも自由なのである。
程度が低いと一笑に付すことも出来るが、一度だけの人生だ。
他人に何と言われようと、楽しんだ方がいい♪
シンチーは間違いなく自分の仕事を楽しんでいる♪
お話は一応筋は通っている。わかりやすい。勧善懲悪だ。
これも古いと切り捨てるか、
複雑でリアルなものしか創れなくなるよりマシと考えるか。
マシかもしれない♪
マシと言えば、チャウ・シンチーのアクションはセンスがいい。
コメディだが、アクションセンスはかなり本気モードである。
日本のアクションに比べ『奥行き』を感じるのだ。
『少林サッカー』は、もう10年以上も昔の作品だが、
こういうセンスを感じる日本映画は、未だ少ないのが残念だ。
観ていて、『あっ、そういう展開もありなのね?』と何度も頷いた。
実に羨ましい映画作りを実践している映画人である。
★ネット上の『少林サッカー』の画像を流用・加工させて戴きしました 感謝!★