女王陛下の007
1969年 イギリス/ピーター・ハント監督作品
満足度 ★★★★ 方向転換に成功した作品♪
アクション映画としての完成度は非常に高い。
2代目ボンドは、これ1本だけなので埋もれているが、
『女王陛下の007』は、かなり魅力的なボンド映画である。
食わず嫌いのアナタ、観るべし!
ショーン・コネリーがボンド役を降りた後、
だれがボンドを演じるかは大変な難問だったろう。
つまり、誰が演じても失敗することはわかっているから。
当時のMr.コネリー・ボンドを超えるのは不可能である。
プロデューサーもずいぶん考えたのだろう。
そして出した答えは…『素人に演じさせる』だった。
♠︎
当時イギリスで人気の男性ファッションモデルを抜擢するという発想!
なんともおもしろい! 素人ならショーン・コネリーと比較されないし…
そして選ばれたジョージ・レーゼンビーという男。
この人なかなかいいと思う(ボンドに見えるかは主観の問題である)
ただ、プロの役者の中に素人一人はあまりに酷だったようで…
共演の女優さんから、相当キツ~イことを言われたらしく、
レーゼンビー氏の方で役を降りちゃった。
次回作の出演契約は済んでいたというからもったいない!
でもまだなんの結果も出してないのに、
出演中にギャラアップを要求したという話が残ってるほどだから、
この人、相当やんちゃ坊主だったのかも?
後にレーゼンビー氏曰く、
『若さゆえの傲慢さがあった。その後のボクのキャリアを考えると、
あと1本007に出演するべきだった!』
あるよね、若い頃にはそういうこと。あ~ 本当にもったいないぜ。
もし、レーゼンビー氏が降りなかったら、
ジョージ・レーゼンビーの『ダイヤモンドは永遠に』が創られたはず。
あ~ それ観たかった! 実にもったいない!!
なかなかいいと思うのだけどね、こういうボンドも!
ただ『女王陛下の007』は、
明らかにMr.コネリー・ボンドとは違うアクションスタイルを確立した。
劇中の様々なアクションはショーン・コネリーには向かない。
ユーモアを交えたアクロバットアクションというスタイルは、
案外この映画の発明だったのではないかな。
片脚スキーによる雪山での追跡劇。
リアルタイムで観た時は、あっ、片脚でも滑れるんだ!と驚いた。
カッコイイだけでなく、何ともユーモラスだった。
ボブスレーによる活劇もそれまでなかったもの。
日常、見慣れた小道具を利用したアクションというのは
伝統的なものなのだろう。
チャップリンは身の回りのありふれた小道具を
全て『笑い』というアクションに変えた。
この当時の日本の活劇がショボいのは、
手や足で殴る蹴るという動作から抜け出せなかったことだ。
そういうアクションは薄っぺらく印象に残らない。
第3作『ゴールドフィンガー』のオープニング・アクションは、
女性の瞳に映った敵の姿を察知し、
その女性を盾にするという非情さがカッコイイ!
その後、電気スタンドで相手を感電させるのも理にかなってる。
こういうちょっとした小道具を武器に変える機転は007ならではだ。
これまでのボンドアクションもそういうものだった。
第1作には観られなかったその手のアクションが炸裂したのが第2作。
映画史に残るオリエント急行内でのボンドと殺し屋の死闘では、
客室のドアが非常に効果的に使われていた。
あっ、ドアってそういう風に使うのねと。
なんとも痛そうだったし。
本作では、その機転がスケールアップした最初だと思う。
ムーア・ボンドにつながるこの粋な活劇スタイルは、
今日のアクション映画に欠かせないものとなっている。
そういうスタイルを発明したのが『女王陛下の007』だろうなと。
コネリー・ボンドに比べ、アクのないレーゼンビー・ボンドが
興行的に成功したのは、2代目ボンドという話題性だけでなく、
こういう工夫や発明のおかげにちがいない。
『女王陛下の007』の今までになかったアクションスタイルが、
その後の世界標準となった。
それを根底からひっくり返したのがリーさんだけど。
今では、小道具ボンドアクションとリーさんスタイルが融合している。
そういうアクションの転換期になった貴重な映画である。
♠︎♠︎
あまり評判の良くないレーゼンビー・ボンドは、
コネリー・ボンドとムーア・ボンドを繋げる大切な役割を担い、
リアル肉体アクションとユーモア・アクロバットアクションを繋げる
潤滑油にもなったと思う。
この映画の興行的成功がもたらしたものは、
本来はショーン・コネリーの当たり役で終わったはずの007が
他の役者でも成立することを証明したことだ。
『ダーティ・ハリー』『ロッキー』『ダイハード』『寅さん』などは、
全て1人の役者が演じ切り、他の役者が入り込む余地がなかった。
007は、S・コネリー氏が人気絶頂で降板しただけで、
映画の人気は右肩上がりだった。
それでもレーゼンビー・ボンドが興行的に失敗すれば、
『やはりボンドはコネリーだけのもの』となり、
スパイブームの終焉と同時にシリーズは終了していたかもしれない。
当時『コネリーのボンドか、ボンドのコネリーか?』と言われたほどの
世紀のはまり役を新しい形で蘇らせるためには、
レーゼンビー・ボンドというワンクッションが必要だったのだ。
ちょっと気の毒な気もする2代目ボンドだが、
シリーズ継続に大きな貢献をしたと思う。
ちょっと想像してみよう!
ジョージ・レーゼンビーの『死ぬのは奴らだ』
ジョージ・レーゼンビーの『黄金銃を持つ男』
ジョージ・レーゼンビーの『私を愛したスパイ』etc…
個人的には、これ全部観たかった!!
でも、はたして面白かっただろうか???
★ネット上の『女王陛下の007』の画像を流用し、加工させて戴きました 感謝!★
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