岩井田治行の『くまのアクセス上手♪』

興味を持った本と映画のレビューとイラストを描く♪

色あせない『2001年宇宙の旅』♪

 

 

2001年宇宙の旅

2001:A SPACE ODYSSEY

1968年アメリカ/スタンリー・キューブリック監督作品

★★★★見応えあり!

 

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観ればわかりそうなのに、

観るとわけがわからなくなるのが『2001年宇宙の旅』だ。

レビューが書けそうなのに、

いざ書こうとすると書けないのが『2001年宇宙の旅』である。

(じゃあ 書くなよ!) 

 

ウィキペディアには、

2001年宇宙の旅』という映画は、

人類の進化について語る科学者のインタビューが作品の冒頭に入り、

本編にも解説(ナレーション)が入る予定だったものを

過剰な説明が映画からマジックを奪うことを恐れたキューブリックが、

インタビューもナレーションもすべて削除してしまった

という記述がある。

 

これが事実なら、この作品が難解に見える理由は意外に簡単だ。

説明がないのだから、誰にもわからない!

ということだ。

 

しかし、

『過剰な説明が映画からマジックを奪うことを恐れた』だけでなく、

説明を削除し、わざわざわかりにくい映画にした理由が

他にもあるのではないか? という疑問が浮かぶ。

なぜなら、キューブリック作品の中でも、

2001年宇宙の旅』は、明らかに特殊な作風を持っているからだ。

なぜ この作品だけ? と思わずにはいられない。

このレビューは,その疑問の答えである。

(また大風呂敷広げましたなぁ~)

 

この作品を観て、いつも一番面白いと感じるのは、

冒頭のおサルさんが出るプロローグ『人類の夜明け』のエピソードだ。

 

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何度観てもホントに面白い♪

CGなしのアナログである。私 着ぐるみ大好きですから!

そして、この部分に作品の全てが凝縮されているのだ。

 

このエピソードは、おサルさんが知恵を得て道具を持った時、

その道具を生活(狩猟)のためだけでなく、

武器としても使用した事を描いている。

つまり『反暴力』というテーマがある。

 

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今から400万年前、

おサルが モノリスと呼ばれるナゾの物体に触れることで知恵が生まれ、

人類が誕生した。

そのささやかな知恵は、力で他者を支配する暴力となり、

やがて人類は宇宙へ飛び出すまでに進化するのだが…

 

はるか未来でも人類は争い続けるのではないか?

人類が争わず、平和に暮らせるよう進化する道はあるのか?

この問いに対するキューブリックの答えが、この映画である。

 

キューブリックは厭世的で懐疑主義者だったと言われる。

何に対して懐疑的だったかというと、

人類の将来(人間性)という事にとても疑いを持っていたらしい。

『突撃』という作品では、戦争を通して人間の理不尽さ、残酷さを

博士の異常な愛情』では、人類が破滅へ至る道程を

『時計仕掛けのオレンジ』では、暴力そのものを描いている。

 

これらの作品を通してキューブリックが描こうとしたのは、

争い、破滅、暴力などの対極にある『平和な世界』だ。

人間が争わずに共存共栄できる方法を探していたのだろうか。

 

手元にある『2001年宇宙の旅』の映画プログラムを読むと、

この映画を撮った時点でのキューブリックの『平和』に対する考えは、

宇宙開発こそ、人類が自身を破滅から救うものだという結論に達した

というものだった。

 

これはどういう意味かというと、

どんなに人間が平和を唱えても、我々が人間である限り限界がある。

人間を超えた存在にならなければ、人類の平和はあり得ない。

人間を超えた存在になるためには、

人類以外の知的生命体の力を借りなければならない。

この知的生命体とのコンタクトを可能にするのが、

宇宙への進出ということになる。

 

人類が宇宙へ進出する目的は、知的探究心ではなく、

人間をより崇高な存在へと導いてくれる知的生命体との出会いである。

宇宙開発の目的はそこにこそある!

というとてつもなく空想的な結論に至ったらしいのだ。

(ホンマかいな…)

 

この映画の着想は2つ。

『人類の進化』と『異星人とのファーストコンタクト』だったらしい。

キューブリックが考えた『人類の進化』とは、

生物としての進化や文明の進化ではなく、精神面での進化のようだ。

おサルさんから進化したままの人間ではだめで、

もう一段上の段階へ進化しなければ、人類は幸せになれない。

そして、人類がさらなる進化を遂げるためには、

人智を超えた『何か』とのコンタクトが必要で、

宇宙開発はそこへ至る道になる。

それがキューブリックの考え(理想)だったと推測できる。

その理想を表現するには、SFという空想世界が必要だった。

 

はるかな未来、われわれ人類という種が老年期を迎えた時、

その『何か』の力を借りて、

もう一段上のステージへ進化できるかもしれない。

その時、

人類は初めて争いから解放され、心の安らぎを得られるだろう と。

 

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そう考えてくると、
この映画はキューブリックの究極の理想(争いのない世界)を描いた
『平和へのメッセージ』に観えるのだが、
その裏には、人間に対する深い絶望が隠れている。
アーサー・C・クラークの描く未来世界がプラス(希望)だとすれば、
キューブリックの描く未来はマイナス(絶望)なのである。

 

そしてここで大きな疑問が湧く。

2001年宇宙の旅』という作品が、

もしキューブリックの何らかのメッセージを伝えるための映画なら、

なぜ説明を削除して、わざわざわかりにくい作品にしたのか?

メッセージはわかりやすい方が伝わりやすいのに。

 

私もこの映画を観て、

多分そういうテーマだろうとボンヤリ思うだけで、確信はない。

それほどこの映画は説明不足で、何を描いているのかわかりにくい、

もしくは全くわからない。

ほとんどの人が理解出来ない映画にメッセージを込めることに、

どんな意味があるのだろう?

(知らんがな)

 

この映画には宇宙からの視線がある。

宇宙のどこかから、地球をジッと見つめるまなざしである。

それは、手塚治虫火の鳥(宇宙意識)かもしれない。

人智を超えた『何か』が、

まるで人類の進化の過程を見守るかのように見つめている。

そういう視線を感じるのだ。

淡々とわれわれを見つめている『何か』がいる。

そしてこの『何か』の意識が、キューブリックの視点と重なる。

実はこの作品には、もうひとりの作者がいるのだ!

(だ… 誰や~!)

 

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天才のインスピレーションとはどこから来るのだろう?

それは『宇宙の意識とつながった瞬間に発想を得る』という説がある。

つまり天才とは、この『宇宙意識』とリンクする才能なのだ。

もうひとりの作者は、スタンリー・キューブリックという天才に

この映画を創らせた『何か(宇宙意識)』である。

 

この『何か』は、ある日キューブリックの夢枕に立った。

そしてこう話しかけた。『おい キューちゃん!』

『キューちゃん』というのは、キューブリックのことだ。

宇宙意識はキューブリックより格が上なので、ちゃんづけで呼ぶのである。

(ホンマかいな…)

 

 

『キューちゃん! 用意した過剰な説明は削除しなはれ~!

ナレーションで説明しては、わかりやすい映画になってまう。

あえて意味不明な作品にする事で、

多くの人々(人類)に影響を与える事が出来るのじゃ~!』

 

宇宙意識がこう言ったという記録はないが、おそらく言ったのだ。

これをインスピレーションとして受け取ったキューちゃんが、

宇宙意識に従って完成させたのが『2001年宇宙の旅』という映画である。

(アンタなぁ… 自分で何書いてるかわかってます?)

 

この宇宙意識は、アーサー・C・クラークという天才作家にも働きかけた。

SF小説という形で表現せよ~!と。

ためしに手塚先生も誘ってみた。

締め切りさえなければ、宇宙意識に参加できたのに… 残念だ。

この他にも当時の才能ある人々に、宇宙意識は働きかけ、

そして映画という形のモノリスを創らせたのである。

(へえ〜 あ、そうなん?)

 

こうして完成した『2001年宇宙の旅』という映画モノリスは、

しかし説明がないために酷評もされたが、

かなり多くの人々の深層意識に働きかけることが出来たのだ。

 

とにかく、たくさんの人々に影響を与える事がモノリスの役割だ。

モノリスは他にも、手塚マンガやビートルズの音楽という形で、

われわれの前に姿を表していたのかもしれない。

(ぐっ! あり得るかも!)

 

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1968年に出現した『2001年宇宙の旅』というモノリスは、

あの時代の人々にとって、未来を形作るために必要なもののひとつだった。

未来とは、つまりキューブリックが求めた『争いのない世界』である。

私たちが生きている21世紀のこのデジタル社会は、

これら様々なモノリスから受けたインスピレーションの延長線上に

創られた世界で、それは『2001年宇宙の旅』のラストシーンへと

つながるはずの道のりなのである。

 

モノリスは人間の深層意識に働きかけるため、

この作品を分析したり、解説本を読んだり、

生真面目に続編の『2010年』などを観て理性で理解してしまうと、

ただのSF映画になってしまう。

一方、わからないけれど何かを感じるという人は、

正しくモノリスの影響下にある。

だから、この映画を観て『わけわからんが、感動した~!』

と叫ぶのが正しい見方なのである!

(みんな叫んだもんな〜!

キューブリックの平和を求める真摯な想いは、

宇宙の『何か』とリンクし、その表現法を伝えてきた。

いわく『わかりにくく創れ~!』と。

そしてこの『わかりにくい』からこそ、

このメッセージは我々の深層意識に働きかけるのである。

『平和を実現せよ~!』と。

 

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最近、私の周りに、この作品を古いと感じる若者が増えている。

それは、デジタル社会が実現した現在、

『2001年』というモノリスの役割が終わり、

その先へ進みなさい!というメッセージなのかもしれない。

(そうかもしれん!)

 

この作品の冒頭の『人類の夜明け』というエピソードの中で、

おサルさんたちがモノリスのまわりに集まり、

そっと手をかざしている姿は、

私たちがコンピュータに向きあっている姿と重なりはしないだろうか?

デジタル社会のその先に、

キューブリックが想い描いた平和な世界が、

はたしてあるのだろうか?

 

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もしかしたら、

このレビューもささやかなモノリスかもしれず…

画面を見つめるあなたは、

今その影響下にあるかもしれないのだ。

ウルトラQみたいな終わり方やなァ… )

 

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ネット上の映画『2001年宇宙の旅』の画像を流用、加工させていただきました 
感謝!

 

 

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