JT生命誌研究館名誉館長
中村 桂子さんのお話
先月の朝日新聞の記事から。
生き物の歴史と関係を読み解く「生命誌」を研究されている
中村桂子さんの「脱炭素社会」についてのお話が載っていた。
最近よく聞く「脱炭素」という言葉。
要するに、二酸化炭素を出さないようにしようということだ。
そうだよなぁ~ 賛成! と単純な私は思うのだが…
中村さんはこの言い方が好きではないという。
どういうことなのかと興味が湧いた。
♣
人間を含むすべての生物は炭素の塊である。
だから「脱炭素」と言ってしまうと、
人間の存在そのものを無視した物言いになってしまう。
いつの間にか我々は人間が「自然」の一部であることを忘れてしまった。
そして自然は人間がコントロールできるものと思い込んだ。
人間の力で「思い通りにできるはず」という前提があったのでは?
気候変動の問題が「他人事」となってしまうのも
人間が自然やあらゆる生き物の「一部」である
という感覚を忘れてしまった結果なのだ。
ことほどさように、人間は自らを自然の「外側」に
捉えるようになりました。
中村さんはそうおっしゃる。
♣ ♣
気候変動の解決に必要なのは、
「自然に対置しようとする価値観」
この前提を崩して考えることが必須なのだと。
そして、
気候変動の自分化は、
止まると倒れてしまう社会を変えることにもつながる
と結んでいる。
中村さんは「進歩」という字には、
「走」ではなく「歩」という字が入っており、
さらに「歩」という字は「止」を含んでいると。
ああなるほどな~と感心したのだ。
「歩」という字は「止」と「少」という字の組み合わせだ。
つまり「歩」とは「少し止まる」ということ。
「進歩」というのは「少し止まりながら進む」ということなのだと。
歩みの遅い私は、
なぜかとても勇気をもらったのである。
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