岩井田治行の『くまのアクセス上手♪』

興味を持った本と映画のレビューとイラストを描く♪

クリエイターは引きこもりかもしれないというお話その他♪

 

 

で、引きこもりって、どうよ?

 

 

どうよと言われても困る。

今の私は引きこもりではないから。

ただなんとなく引きこもる感覚はわかるのだ。

私も20代に数年間だが引きこもり状態だったことがあるから。

 

現在の私は画家である。

画家の仕事は絵を描くことだ。

どこで絵を描くかというと自宅の仕事場である。

スケッチにでも出かけない限り部屋で仕事をしている。

仕事中は散歩と買い物以外は外出しない。

外出したら仕事ができないのだ。

 

だから画家は忙しくなればなるほど部屋にこもるという

なんとも不思議な職業なのである。

これは作家も同じだろう。

 

さしずめ私は『引きこもりモドキ』かもしれない。

生活形態が引きこもりに似ているのである。

 

ほんの数年の引きこもり経験者の書くことなど

何のインパクトも説得力もないが、

ともかく書いてみようと思う。

今引きこもっている人には多分役に立たないと思うので、

興味のある方だけどうぞ♪ かなりの長文ですよ。

 

 

 

まずは引きこもりの効用から

 

そんなものがあるのか?

あったら知りたい私だって。

 

引きこもりは病気ではなく、その人の今の状態を表す言葉だそうな。

つまり「今はたまたまこもってるのが私なんです」ということ。

 

ひきこもる原因は挫折体験やトラウマ(社会的原因)と、

精神疾患(病的原因)に分けられる。

さらに『怠け者』という強者の引きこもりもいるようだ。

 

精神疾患(病的原因)の場合は心療内科の受診が良い。

私も母を亡くした時はひどく落ち込んだ。

落ち込んでいても仕方ないので心療内科へ行った。

今ようやく落ち着いてきたが、まだ通院している。

 

クリニックの先生がすごく良い先生で助かった。

安定剤を処方してもらっているがほとんど必要ないまでに回復した。

だから、病的原因の引きこもりの人は

心療内科への通院を一度は試してみると良いと思う。

我慢しても悪化するばかりですからね。

 

 

問題なのは病的原因ではなく社会的原因の場合だ。

社会的原因の中には性格的なものも含まれる。

挫折やトラウマによって、根こそぎ自信を失ってしまうというのは、

多分にその人の性格と関係するのだ。

 

生まれた時は、ほぼみんな自信などない。

親の育て方にもよるだろうが、

3歳ぐらいまでに性格が形成されるんじゃないかな。

3歳児って、結構出来上がってますものね、性格が。

 

親から否定的な言葉を浴びて育つとまず自信など持てない。

よく出来たときに十分褒めてもらう事が大事なのだ。

この時期は犬や猫と同じじゃないかな。

褒められると自信がつきますもの。

これは大人になっても同じです。

だから他人にダメ出しするのは楽しいがやめた方が良い。

百害あって一利もないですからね。

 

他者から否定された心の傷は本人以外にはわからない。

精神科医は力になってくれるだろうが限界がある。

一人で苦しみ、一人で立ち直るしかない。

 

それができないから引きこもるんだと言われそうだ。

それではあまりに無責任なアドバイスだと。

でもね、他人とは無責任なものなんですよ。

自分以外には関心がないのが人間なの。

一日24時間、ほとんどの人は自分のことを考えて生きている。

他人のことはあまり考えないのが普通なんです。

 

そもそも引きこもっている人だって

一日中自分のことしか考えてないと思う。

みんな自分のことで手一杯なわけです。

何とかしなければ、このままではダメだと。

鬱でも引きこもりでも問題は誰にも相談できずに、

その苦痛から自らを追い詰めてしまう事だ。

 

苦しむ人の気持ちは他者にはわからない。

その人の苦しみはその人だけのもので、他人との共有は難しい。

だから他人の力を借りながらも

最後は自分で立ち直るしかないのだ。

 

人生自体がそうです。

自分の人生しか生きられません。

他人の人生を生きることはできないんです。

 

悩みや苦しみもその人だけのものだから、

なかなかわかってはもらえないと覚悟した方がいい。

所詮人間は一人だと思うべし。

 

 

さて、引きこもる人は一日何をしてるの? という疑問。

ただ苦しんでるだけなのでしょうか?

ネット検索ではニートの生活は以下のごとくらしい。

 

最低限の用事(買い物など) 散歩

無料の場所で過ごす(図書館など)

ネットサーフィン アニメやドラマ観賞 ゲーム

 

この中で私に当てはまるのは、

最低限の用事(買い物など)と散歩だけ。

他の時間は本を読むか絵を描くことに全力投球しているので、

私は引きこもり(ニート)ではないと思う

 

最低限の用事(買い物など)

散歩 無料の場所で過ごす(図書館など)

この3つは特に引きこもりでなくてもやることだろう。

 

ネットサーフィン アニメやドラマ観賞 ゲーム

この3つを一日中やっていると『怠け者』と思われてしまう。

引きこもりなのか怠け者なのかの線引きは実は難しいのだ。

 

ただ働かない(働く意思がない)のがニートで、

働きたいが働けない人は『失業者』と言います。

ニートは失業者ではないんですね。

 

ただ働かない(働く意思がない)というだけでは

怠け者かどうか実はわからないと思う。

勤勉は美徳というが、

生活形態や働き方も多様化しているので、

一見怠け者や引きこもりに見えるが実は違うという人も

一定数はいるのだと思う。

私も一日中、本を読んでいるか絵を描いているかという生活なので、

働いてるのか趣味に生きているのかよくわからない。

何なのだろう私は?

 

一般的にニート15歳から34歳までの仕事をしていない人で、

若年無業者」と呼ぶらしい。 

35歳以上になると「ニート」という言葉の定義から外れるので、

「中年無業者」と呼称が変わります。

 

若年無業者」にはまだ救いを感じるが、

「中年無業者」ってなぁ、

だんだん呼び名が身も蓋もなくなって来るじゃないか。

まだニートの方が聞こえはいいと思う。

 

「中年無業者」ではなく、

例えば『働くことにとても謙虚な中年』とか

そんな謙虚さはいらない! 少しは働けよ!

 

さて、

ニート(無業者)期間の有意義な過ごし方というのがある。

 

起きたら朝日を浴びる

生活にメリハリをつける

時間を勉強・スキルアップに使う

リフレッシュ方法を試す

相談相手を見つける

仕事を理由に、していなかったことを始める

周囲に明るく振る舞う

やりたいことリストを作って実行する

 

実に有意義なことばかりだが、

引きこもりの人がやりたくないことばかりだと思う。

同じく、怠け者もこれらのことは絶対にやらないだろう。

 

こういうことができないから引きこもるのだ。

私のオススメは『仕事を理由に、していなかったことを始める』だ。

 

仕事があるばっかりにできなかったことをこの際やってみる。

時間だけはあるのだから、

生活費さえ何とかなれば、後は好きな事をするチャンスだ。

そう考えられるなら、引きこもりを脱却できるが、

それができないから引きこもるのだろう。

 

理屈はそうだが人間は感情の生き物だからそうはいかない。

堂々巡りになってしまうのでしょうね。

これは辛いですよ。

 

ニートの進化系はネオニートというらしい。

就職しなくても十分な収入を手に入れている人のことだ。

 主として自宅のインターネット環境で活動し、

給与や親の資産などではなく、

不労所得」により自力で生計を立てるのがネオニートだそうな。

 

『親の資産などではなく』というところが逞しい。

自力で生計を立てているわけですから、

新しい生活形態なんでしょうね。

 

画家はネオニートではないと思う。

自力で生計を立てていますが、不労所得ではないから。

絵を描くという労力を惜しみなく提供してますもの。

しかし趣味に生きている風にも見えてしまう辛さ。嗚呼。

 

 

  お金持ちのボンボンはニートなのか?  

 

親の資産で働かずにぬくぬくと生活している人を

お金持ちのボンボンと言います。

こういう人を羨ましいという人がいますがどうなのよと。

 

私は羨ましくはないなぁ。むしろ退屈じゃないか。

そもそも自分で稼いでないのだから自信などつかないでしょう。

親のすねかじりの一生なんて退屈なだけだと思う。

 

ボンボンニートっているんでしょうかね?

いるみたいですよ、このはてなブログにも!

なんか凄いよね。

ボンボンニートって呼び名がさ、飛んでますもの

往年のコント55号じゃないけど、

二郎さんの「飛びます! 飛びます!」ってヤツ。

あれがボンボンニートなのかなぁ♪

なんか楽しそうやなぁ♪

 

ただお金をたくさん持っていても幸せにはなれないらしい。

ハーバード大学で実に80年の長きにわたって研究された

幸福研究の結論が本になって出版されています。

⬇︎

https://toyokeizai.net/articles/-/689793

 

私はこの本、未読ですがザックリ言うと

人間関係が良好な人は、生涯に渡って幸福を感じられるらしい。

お金は必要だがやはり人間関係が大事という結論。

 

人間は一人で生まれ一人で逝くわけです。

人生の始めと最期は一人なんです。

だからせめて生きている間は楽しい人間関係を持とうと。

どうもそういう結論らしい。

 

だからボンボンニートさんは、あまり幸福じゃないと思う。

むしろお金がある分不幸ではないかなと。

 

ではお金持ちの子供がみんな親のすねかじりかというと違う。

以前TVであるドキュメンタリーをやっていた。

30代の企業家の話ですが、この男性は実家が歯医者さんなのね。

開業医だからお金があるわけです。

親御さんも良い方で「困ったらいつでも帰ってこい」と息子を励ます。

ところがこの息子さんは、年に1回しか実家に帰らない。

東京に出て友人と会社を作り成功しているんです。

年に1回実家に帰り、お父さんに歯のメンテナンスをしてもらうだけ。

 

あとは絶対実家の世話にはならない。

なぜですかと聞くと、

「俺は元々親なんか当てにしてねえよ」と逞しいのね。

 

だから、お金持ちの子供イコールすねかじりとは限らない。

結局はその子の資質なんだと思う。

 

一方で30過ぎても親にベッタリで離れない奴もいる。

ボンボンニートさんですね。

親の脛をかじりまくっても平気。

かくも人間は違うものだなぁと思いました。

 

 

 引きこもりと怠け者は見分けられるのか?  

 

これは見た目ではわからないでしょうね。

一日中何もしないというだけで怠け者とは限らない。

何もしないのではなく出来ないのかもしれないからだ。

 

ただじっくり観察しているとわかることもある。

見た目は同じでも、トラウマを抱えて引きこもってしまう人は、

心に苦しみを抱えているだろうし、

そういう自分に嫌気がさし、自責の念に苦しんでいる。

 

つまりもがいているのだ。

隠しても隠してもどこかに切実さが滲み出る。

 

一方の怠け者はというと、緊張感がない。

なんか余裕をかましているわけね。

そういうのは見ていれば徐々にわかると思う。

 

引きこもり人気ブログランキングというのがあって、

このはてなブログにもいくつかあります。

 

時々お邪魔して読ませていただくのですが、

上位ベスト10にランクキングされるブログを拝読させていただくと

みなさん結構深刻なんですね。

そう軽々とコメントはできないほど深刻なものが多い。

中には処方されている精神安定剤の一覧が書いてある記事もあり

すごくショックを受けました。

 

そして、みなさん自分は役立たずで無価値だと書いていますが、

じっくり読むと実にまともに見えるんですよ、私には。

こういう人たちがなぜ社会に参加できないのか不思議になります。

 

問題児ばかりを集めた特殊学校があって、

そこを取材した人の記事を読みましだが、こう書いています。

 

どこからどう見ても『まともな子たち』の集まりで、

優しさ、思いやり、洞察力のどれをとってもまともである。

こういう子供達を問題児として弾き出してしまう今の学校とは

一体何なのだろうと。

この記事はとてもショッキングでした。

 

 

引きこもりになりやすい人の特徴は以下の通り。

 

1)真面目で頑張り過ぎる ... 2)自己肯定感・自己効力感が低い ...

3)人目を気にし過ぎる ... 4)内向的で不満を表に出せない 

 

(2) 自己肯定感と自己効力感とはどう違うかというと、

自己効力感は、目標を達成する際に

「自分ならできる!」と信じることができる"認知"のこと。
ポイントは、

「自分にはそれだけの能力がある」と信じられている状態。

 

<自己肯定感>は、

無条件に「自分には価値がある」と認めることができる"感情"のこと。
「能力があるから」「容姿が優れているから」

などといった理由で自身を価値ある存在だと考えるわけではなく、

ありのままの自分の存在価値を無条件に受け入れている状態。

 

以上はネット上の記事のコピペですが、

効力感や肯定感は自動的には身につかないと思います。

 

「自分ならできる、きっとうまくいく」と信じるには、

失敗体験をたくさん積んで、そこから立ち直らないと無理です。

「自分ならできる」という確信は、

過去の失敗から自力で立ち直った時にしか身につかないから。

失敗から学び、うまくいく方法を学んだんですね。

 

しかし、引きこもってしまう人たちは、

失敗から学ぶ前に心が折れていますから、

「自分はできない。きっと失敗する」

としか思えないのでしょう。

 

ありのままの自分の存在価値を無条件に受け入れるというのも、

失敗から立ち直り、それが自信にならないと無理だと思う。

そもそもありのままの自分に絶望して引きこもってしまうのだから。

 

「簡単に言ってくれるなよ」と言いたくなりますよね。

 

繊細で真面目な人ほど引きこもりやすい。

これは鬱になりやすい人と共通しています。

もうビンビン感じすぎてしまう。

 

もう少しずるくてもいいんじゃないかと思うけどそれができない。

人間は少しずるく、少しいい加減でいいと思うんです。

以前、メイキングの記事で書きましたが、

絵は完璧に仕上げない方がいい。未完成の方がいいと。

その方が伸びしろを感じて生き生きと見えるからです。

 

人間も同じで、完成されてしまうとつまらなく見える。

荒削りの魅力というのがあるんです。

人の評価もそうで、完成度で人を見ない方がいいです。

 

学校で順位をつけるのはなぜかというと、

人間の脳はあまり複雑なことを考えられないようにできているから

わかりやすいように順位をつけるそうです。

 

稲垣栄洋さんという植物学者が本に書いています。

ほとんどの人間は4桁を超える数字は覚えられないと

私なんか3桁超えると無理ですもの♪

 

だから順番に並べることでようやく理解できる。

それが学校の成績なんですと。

 

50人のクラスで1番の人は1番目にいますよ。

30番のあなたの居場所はそこですよ。

そういうことをわかりやすく教えてくれるのが『成績』です。

自分の居場所の確認用に『順位』をつけるのが本来なんですが、

人間というのは余計なことをやりたがる。

それが『優劣』というもう一つの物差しで、

30番より1番の方が優れているという評価です。

 

稲垣先生はこれは間違いだと言います。

『順位』とは自分の居場所の確認であり『優劣』ではないと。

でも我々はこの『優劣』を叩き込まれて育ちます。

 

だから順位が上だと偉くて、下の方だと価値がないとなる。

それは違うんだと言っても誰も耳を貸さない。

もうひたすら上を目指すわけです。

子供の時に洗脳されてしまうのでしょうね。

 

ところが、上に行けば行くほど景色が変わるらしい。

確か『ゴットファーザー3』でマフィアの頂点に上り詰めた

マイケル・コルレオーネがこう呟くシーンがある。

 

上に行けば行くほど景色が汚れてくる

 

そして最期は闘争により殺されてしまうという悲劇。

 

社会の底辺も辛いけど上の方も同じらしい。

それなら真ん中辺りでいいんじゃないかな。

できれば真ん中より少しだけ上、みたいな♪

 

引きこもっている人たちは、必ずしも怠け者ではなく、

本能的にそういうことがわかっているのかもしれない。

引きこもりというのは人間の防衛本能でもあって、

危険から遠ざかることで自分を守っている。

そういう解釈をすると「甘い!」と一喝されます。

「アイツらは甘えて怠けてるんだ!」とね。

 

さてどうなんでしょうね?

 

でもボンボンニートは『怠け者』かもしれない。

そういうブログもあります。

「あぁ辛い辛い、辛くて気が狂いそうだ!」

そう愚痴るんですが、なかなか狂わないわけです

いっそのこと狂ってみれば新しい景色が見えるのに。

そう思って観察してるけど、狂わないですね♪

 

何がやりたいかというと何もやりたくないと言います。

何もやりたくないことが一番やりたいことだと。

一番やりたいこと(何もしない)をやっているのだから、

毎日が楽しいかというと死にたいと言う。

で、なかなか死なないわけです♪ 呑気なんですよ。

 

何なんでしょうね、基本が不真面目なんですかね。

だから私はボンボンニートさんには同情しません。

 

 

引きこもる方がまともなのでは? という疑問

 

引きこもりイコールダメ人間

こういう印象は未だにありますが、

果たしてそうなのでしょうか?

 

引きこもりの多くは真剣に生きようとしていると思います。

引きこもりブログのいくつかを読むと、

社会で活躍している人よりむしろ

引きこもっている人たちの方がまともなんじゃないかと思えます。

 

世の中には不遇で無名のままの人たちがたくさんいます。

芸術家のほとんどは無名です。

そういう人たちの中に本当に才能のある人がいるんですよ。

でもなぜか売れないし、求められない。

それでも創作を諦めないで続けるというのは凄いことなんです。

 

芸術家の岡本太郎さんはこう言います。

ほとんどの人は失敗する。夢は破れるんだ。

それがノーマルであり、恥ずかしいことじゃないんだ。

だから覚悟を決めろ。

失敗した人生をそれでも生きていく覚悟を持てと。

 

自己効力感や自己肯定感とは、

つまるところそういうものなのでしょう。

自分に自信があるから

『何かができる』『きっとうまくいく』『ありのままの自分でいいんだ』

と思えるわけではないんです。

そんなものはハナから当てにしない。

等身大の自分が無能なら無能のまま生きてやる。

誰にも文句は言わせない。

そういう覚悟のことなんだと太郎さんは言うわけです。

 

もうね、

あまりにも強烈で私は太郎さんにはついていけませんが、

ダメな自分を受け入れ、ダメな自分のまま胸を張れと言われても

普通はできないですよ。すでに心が折れてますから。

でも折れたら折れたままでそれを隠さず生きろって。

どこからそんなエナジーがほとばしり出るんでしょうね。

 

まぁ、太郎さんは偉人でしたから真似はできませんが、

夢破れるのがノーマルなんだという考えには希望があります。

太郎さんの言葉を時々読み返しますが、

とても優しい気持ちになれます。

 

人生に多くを期待しない方がいいのかもしれない。

大学教授の楠木建氏は『絶対悲観主義講談社α新書)という本を

書いていますが、どんな主義かというとこうです。

「心配するな、きっとうまくいかないから」

何かにチャレンジする前に、楠木さんはこう考えるらしい。

もう身も蓋もなく笑えます♪

オモロイ人だなぁと。

 

 

そして偉そうに結論らしきものを語る

 

現在引きこもっている人に伝えたいことは、

とにかく今はまだ人生を諦めないでほしいということだけです。

能天気な私が言っても誰にも届かない言葉かもしれませんが、

とにかく、今はまだ諦めないでほしい。

 

今諦めなければ未来は明るいなんて言いません。

未来なんて誰にもわからないですからね。

良くなるのか悪くなるのか、誰にもわからない。

 

わからない未来を諦めるなって無責任だろうと思うけど、

私はそうやって生きてきたんです。

諦めたら終わりだっていつも思ってます。

 

私は基本的に真面目らしく、

岩井田さんは真面目ですねと時々言われます。

だから、あぁ自分は真面目なんだと思うわけです。

 

諦めたら終わりだと思っていますから、

不思議と人生に絶望したことがないんですよ、ウソみたいでしょ?

 

それには

私が楽天的というだけでなく、もう一つ理由があって、

私の頭の中には今でもアトムが飛んでいるからです。

そう、あの鉄腕アトムです。

アトムは私の子供時代のヒーローでした。

憧れましたねぇ、かっこよかったもの。

 

人生の壁にぶつかる度にいつもこう考えるんです。

アトムならどうするだろう?

アトムなら絶対に諦めないなって。

すると不思議とワクワクしてくる♪

そういうことの繰り返しで今日まで生きて来れました。

だから、絶望したことはないんです。

アトム様様ですね♪

 

諦めたら終わり。諦めたら終わり。

いつもそう心に念じるんです。アトムなら絶対諦めないって。

 

ケント・M・キース氏の著作に

『それでもなお、人を愛しなさい 逆説の10ヶ条』(ハヤカワ文庫)

という本があります。

この本も時々読み返すんですが、

逆説の10ヶ条の第8条にこうあります。

 

何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。

それでもなお築きあげなさい。

 

これが創作活動であり、みなさんの人生です。

崩れたら初めから創り直すしかない。

泣きながらでも最初からやるんです。

誰も褒めてくれなくてもやるしかない。

諦めたら全てが終わるのですから。

 

クリエイターはみなさんそう思って生きているはずです。

一般の方は創作活動はしていませんが、人生を創作しています。

その意味ではみんなクリエイターなんですね。

 

ボンボンニートは違うかもしれない。

アイツは多分怠け者だと思う。

死にたい死にたいって愚痴る割りになかなか死なないから♪

根が不真面目なんだと思う。

まぁいいや。

 

 

私の言葉はあまり救いにはならないですが、

とにかく今はまだ人生を捨てないでください。

諦めたら終わりなんです。

シンドイでしょうが耐えてください。

そういうことを伝えたくて長々と書いてみました。

 

長文をここまで読んでくれたあなたに感謝です。

 

 

 

岩井田治行コミックス